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心が通じるから日本語が通じる。心を解き明かし、文法などの問題を解明していきます。  

和語と外来語と


英語からの外来語はなにも戦争に負けたあとで入ってきたものではなくて、戦前からすでにたくさんの英単語が日本語に採り入れられてきましたが、常に英語の発音通りとはいかず、日本人に発音しにくい語を発音しやすく変えたり、あるいは英語の発音を無視して英語の綴りから読み方を決めたりしてきたようですね。
たとえば……

Philippine は、今ではフィリピンと普通に言いますが、昔の人が「フイリッピン」と言うのを聞いたことがあります。「フィ」が言いにくくて「不意に」と同じ発音で「フイ」と言っていたようですね。
同じことで、fan という語を「不安」と同じ発音で「フアン」と言ったりしますが、古い芸能人がまだ使っていたりするようです。

これは日本語に「ファ」や「フィ」という音がなかったためだったり、うまく発音できなかったためだったりということもあったのかもしれませんが、最初にその外来語を使い始めた人々が使った発音がそのまま広まるということがあるようです。「D」を「ディー」と言わず「デー」と言い、「T」を「テー」というのもそうだったのかもしれませんね。

発音しにくいものを発音しやすく変えるのなら自然なことのように思えますが、あべこべに、発音しやすいものをわざわざ発音しにくく変えているものもあるようです。
よく耳にするのが、「entertainer」という語で、これは「エンタテイナー」と、いたって発音しやすい語なんですが、これをわざわざ「エンタティナー」と「テイ」を「ティ」に変えて言っている人がよくいます。
どうしてそんなことが起こるのかと考えてみますと、どうやらカタカナを読むときに気を利かせ過ぎた結果ではないでしょうかね。

日本語にあった発音となかった発音というのがありますが、小さいかなの「ぁぃぅぇぉ」を使って表記できる範囲であれば、日本語しかできない人でも発音することができます。たとえば「つぁ」なんて、ちょっと難しいと思われがちですが、お相撲さんが「ごっつぁんです」と言っていますから全然問題なしなんですね。「てぃ」「でぃ」なども、発音しにくい地方もあるかもしれませんが、地方によっては、そこの方言になくてはならない当たり前の発音だったりします。

いずれにしても、日本語に本来ある子音と、本来ある母音の組み合わせなら日本人にも発音できるわけです。その組み合わせ方が新しくても組み合わせて発音してみると、なんだできるじゃないかという範囲です。

もっとも英語の「V」の子音は日本語にはありませんし、「L」と「R」の使い分けも日本人にはできませんから、日本語では発音できないものをわざわざ「ヴァイオリン」などと表記するのはやりすぎという感じもします。

また、私たちが日本語の子音の種類が少なすぎると感じているのは、学校で習うローマ字表記が五十音の列の数しかないために、子音の数もそれで全部だと思い込んでいるためなのかもしれません。

ところが実際は案外たくさんあります。
たとえば、「か、く、け、こ」と「き」とでは子音が異なります。「き」と「きゃ、きゅ、きょ」が同じ子音です。
「た、て、と」は同じ子音ですが、「ち」は別で、「つ」もまた別の子音です。これはヘボン式ローマ字表記(学校ではオプション的に出てくる表記法)で「chi」「tsu」と違いをはっきり区別しています。
あと、「は、へ、ほ」は同じ子音ですが、「ひ」は別で、「ふ」もまた別の子音ですね。ヘボン式ローマ字表記では「fu」を区別して表記しています。

「fu」という音があるのですから、「fa」もあり、「fi」もあり得る。だから発音しようと思えば「ファ」「フィ」と発音できるというわけです。
「tsu」があるのだから「tsa」や「tso」も「ツァ」「ツォ」と発音できるわけです。
060517

社会の選択権と個人の選択権


本サイトではここまで、「山」「歩き」「美し」など検索して選ぶことを意識できる語を“検索語”、それぞれの語尾で出てくる「だ」「−u」「−い」など検索して選ぶことを意識できない語を“非検索語”としております。

同じような意味の用語は下の表のようになり、「s」と「m」という略号をつけてまとめてみます。

略号 用語
検索語意義素semanteme 山, 歩き, 美し …等
非検索語形態素morpheme だ, −u, −い …等

絵にしたものもアップしてありますので、こちらをご覧ください。

このように、語というものを大雑把に二つに分けてみたわけですが、これは細かい品詞を特定する基礎の基礎のそのまた基礎になる、いわば本仮説における原理にあたる大事な部分です。もちろん、このような二つに分類するという試みは、もうずっと昔から行われていることで、「検索語」「非検索語」以外の用語はすべて、昔の研究者が使ってきたものです。

つまり、全然目新しくもないことを、また改めて別の用語で言ったところでどうなるものかと訝る向きもあるかもしれませんが、まあ、話はこれだけではないので、どうぞサイト全体の議論をお読みくださいますようお願い申し上げるところです。

で、今回は、語の選択を決めるのは誰かということを確認したいのです。

sでもmでも共に、“語と意味”という関係は、語の行われる社会が決定したものです。
「山」と“その意味”のセットは、個人が勝手に決められませんが、これは「だ」と“その意味”についても同じことです。

しかし、発話するとき、例えば「ウクレレ」に相当するものを指して「ギター」と呼ぶことができるかどうかは、あらゆる発話ケースにおいて社会に決定権があるのに対し、「ウクレレだった。」と言うべきところを「ウクレレだ。」と呼ぶことができるかどうか、その発話ケースのひとつについては、社会に決定権があるのかどうか、ちょっと怪しくなってきます。

たとえばこんなケースです。

山田さんは楽器店のショーウィンドウにあったその楽器を指して「ギターだ。」と言いました。
それを聞いた楽器店の店員さんは、山田さんの間違いを指摘し「お客様、これはウクレレという楽器なんですよ。ギターによく似てるんですけどねえ。」といってニヤリと笑いました。
実はウクレレという楽器のことも聞いたことがあった山田さんは、次の(1)か(2)のどちらかを言います。

(1)「ああ、これはウクレレだった。」
(2)「ああ、これはウクレレだ。」

「だ」と「だった」の使い分けについて、この場合(1)と(2)のどちらを使うのが正しいかということを、社会が決定することができるでしょうか。

本サイトで紹介してきている「請け合い/受け止め」という“ルール”では、それが物事の“請け合い”であれば「だ」を用い、“受け止め”であれば「だった」を用いるということになります。

山田さんが、ここで間違いを指摘され、“その楽器”=“ウクレレ”という検索をあらためて受け止めれば(1)になり、あらためて請け合えば(2)になるわけです。

間違いを指摘された山田さんが、もし比較的謙虚な気持ちなら(1)を、「言われなくてもわかってるよ。」という負けず嫌いの気持ちなら(2)を発話するでしょう。

しかしその(1)と(2)の選択権は、発話する山田さん個人に委ねられているということになるのです。

略号 用語 選択権
検索語意義素semanteme 社会にある
非検索語形態素morpheme 個人にある

060515

ホームページデザイン


新しいページデザインをやってみました。

これと類似のものとして、メインのテーブルセルが中央に来る通訳ネットのデザインをやったのが、平成12(2000)年の前半でしたが、あれから6年も経って、少しはHTMLもわかってきましたから、テキストを入力するだけですらすらとテーブルのレイアウトを作ることができるようになりました。通訳ネットの時に、死ぬほど、苦労したのが今では嘘のようです。

今回のデザインは、ブラウザの任意のウインドウサイズに合わせてワクがつき、その中央に小さいワクが並ぶというものですが、本サイトのように、性質の異なるコンテンツがいくつもある場合のトップページには、使えるかもしれません。

現状のこのページよりはむしろ、見る人に親切なものとなりそうなので、できれば使いたいところなんですが、開けばすぐに本文が読めるブログ風の現状も、時流に外れないということで捨てがたいところです。
060513

品詞…


日本語に限ったことではありませんが、語を“品詞”に分類するという作業や議論がありまして、それがなかなかすっきりとは分類できないということがあります。

例えば、台湾で使われている“台湾国語”という中国語がありますが、(ちょっときたない話)「大便」という単語があります。これは文字通り日本語と同じ意味なんですが、日本語では「大便をする」というように使い、動詞が「する」になります。

ところが台湾では、名詞である「大便」が、そのまま「大便をする」という動詞にもなるんです。さらに「大」が「する」という動詞、「便」がその目的語という意味でも使われます。
こうなると、“品詞”に分類するのも大便、もとい大変なことで、文の中でどう使われたから何詞だという見方をするしかありません。

英語にも、名詞であると同時に動詞でもあるという単語がありますね。「play」「work」「walk」「sleep」「study」「run」…などなど、ほとんどがそうなんじゃないかと思うくらいです。

その点日本語は「歩き」が名詞でも「歩く」は動詞、というように、“語形”によって区別しやすいですから、英語や中国語に比べたらずっと楽に品詞の区別がつきそうに思われます。

ところが、たとえば学校の文法で習う「助動詞」という品詞がありますが、そういう品詞を認める人ばかりではなくて、外国人への日本語教育には「助動詞」という文法項目はないのが普通です。

品詞の分類を最終的にどうするかということについては、これが正しいという答えは出ないようですが、たとえ完璧な分類はできなくても、基本としてこれだけは区別できるだろうというところ、つまり本サイトでおこなっている「検索語」(意義素、または詞)と「非検索語」(形態素、または辞)というような、すべての根幹となる大きな分類をして、そのどちらに分類されるべきかはっきりしない語が出てきても、それはそれでグレーゾーンということで仕方ないのではないか、それよりももっと重大で根本的な問題に取り組むべきではないか、という姿勢こそが正しいだろうと思います。

基本中の基本となる問題を放置して枝葉末節にばかり熱くなることは道理に適ったことではありません。
060511

面白いんだね。


「駆け引きってのがあるんだよ。自分の性格の欠点が出ないように、無表情を装って、心も冷静でないといけないんだ。相手との、無言と無言の駆け引き。それがすっごく面白いんだよ。」
「ふうん。面白いんだね。」
「……。ごめん、興味なさそうだね。」

ポーカーか何かの面白さを力説していますが、相手は「面白いんだね。」と答えました。
それで相手から、あまり興味がないという気持ちが伝わってきました。

これまでは、「のだ(=んだ)」によってそれが自分独自の見解ではなく世間一般にも認められるものであることを主張できるということを述べてきましたが、ここでは「興味ない」という“意味”が伝わるわけです。

もしここで「面白いね。」とか、「面白そうだね。」と応じれば、興味をもって聞いたという“意味”になるのですが、それは、「面白いね。」「面白そうだね。」がともに自分の主観から直接出た感想であることを表すからです。

それに対して「面白いんだね。」では、“自分の主観はともかく”という意味になりますから、“自分の感想とは別”ということにもなります。それで「興味ない」という意味にもなってくるのです。

このように、「のだ(=んだ)」を使うか使わないかで、“意味”は大きく変わるということが確認できると思います。
060510

これは私の独断じゃないんだってば。


「の(だ)」は、「了解事項」「consensus」と考えればわかりやすいようです。

 「山だ。」(1)は、話し手の独断ともとれる。
 「山なのだ。」(2)は、独断ではないという意味を含む。

…ということです。
(1)と(2)の意味の違いをわかりやすく説明した例はまだないと思うんですが、「認識をファイル化する」のところを読んでいただいた上で、上にまとめた説明をお読みいただけば、わかりやすいのではないでしょうか。

(3)
「それはアサリだよ。」
「ハマグリだよ。」
「アサリなの。」
「ハマグリなの!」
「アサリなんだよっ!」
「ハマグリなんだよっ!!」
「アサリだってば!」
「ハマグリだったらハマグリだっ!!」

(4)
「それは毒キノコだよ。」
「違うよ。食べられるよ。」
「食べられないの。」
「食べられるんだよ。」
「食べられないんだってば。」
「食べられるに決まってるんだってば。」

意見を通すには、それが自分独自の見解ではなく、世間一般にも認められるものであることを主張するのが有効です。

それには「アサリだ。」と言うよりも「アサリなのだ。」と言うことになります。
また、「アサリだって。」という言い方も有効です。「だって」によって、自分だけの考えではないという意味になるからです。「だって」にも。「のだ」と同様の効果があるわけです。

さらに「のだ」と「だって」を組み合わせたり、「だってば」を使ったりして、「とにかくこれは自分の独断では断じてない!」という意味を強く訴えるわけですが、やりすぎると子供っぽく、戦争みたいになりますので、大人ならどこかで適当にやわらかく引いてやる必要もあるでしょうね。

060509

君の瞳に乾杯。


世の中にはロマンスというものがいろいろとあります。青春と呼んでもいいかもしれません。私は特に高校時代から映画狂いになり、いろいろな映画を観てきましたが、そこで展開するストーリーの主役たちというのは常に、もしかしたらいつかは自分もおかれるかもしれないという絶頂期を自分よりはるかに先んじて生きている人物でした。

マイケル・カーティス(発音通りなら「カティーズ」)監督のアメリカ映画『カサブランカ』で、ハンフリー・ボガート演ずるリックという人物なども、自分にとっては永遠の憧れみたいなところがありましたが、年齢の設定は実に37なんですね。
もうとっくにその年齢を超えている自分がいまここにいて、人生のピークがどこだったかと自覚せぬまま過ぎてしまい、あとはただ枯れゆくのみではないかと心配になります。

心配したところでどうにもなりませんから、毎日を少しでも意味のあるものにしようと思いながら生きていますが、四十代がすでに老人の仲間入りであることも、ある程度自覚する必要がありそうです。

二十代、三十代はまあ人並みにいろいろなことがありましたが、四十代も後半になってまた若い者と似たようなことをしようと望む必要もないんだなと、遅まきながら思い始めております。

ところで、『カサブランカ』の中でリックがイルザに何度か言う「Here's looking at you, kid.」、日本語字幕で「君の瞳に乾杯!」という台詞がアメリカでも名台詞ということになっているようで、とても有名ですが、私にはいまだにこの語感は理解できません。
果たしてこの台詞がかっこいいのか、キザなのか、渋いのか、何度聞いても、文字で読み返しても、さっぱりわからないのです。想像でいえば、飲むときの「Here's to you!」が「君に(乾杯)!」ですから、それをもっともっと親密な感じにした言葉、ということなんでしょうか。
日本語字幕が正しく語感を伝えてくれていると信じればよいだけで、それで存分に映画を堪能できますから別に問題ないんですが、英語独特の英語らしい英語というのは、翻訳が難しいものなんですね。

まあ何にしても、自分の今後の人生でこの台詞を拝借する機会もないことでしょうから、過ぎてしまった青春を冷ややかに思い出しつつ、これからも何度となく『カサブランカ』を見直していきたいと思っております。
060507

帽子を英語で何というか?


最近、イギリスの帽子メーカーのサイトを見たら、つばのないニット帽が「hat」とされていました。
つばのない帽子は「cap」に決まっているだろうと信じていたのですが、まさかイギリスの、しかもかなり有名らしい帽子メーカーさんが英語を間違えるわけはないので、間違っていたのは私の方だったのです。

いろいろ調べてみたところ、どうやら次のようなことになっているようです。

まず、帽子を英語では基本的に「hat」といいます。どんな形であれ、帽子は全部「hat」で良い、ということのようです。
たとえば、こちらをご覧ください。
色んな形の帽子、全部を指して「hat」となっています。「帽子屋さん」といえば「Hat shop」であって、わざわざ「Hat and cap」などとする必要もないようですね。
ハットの中に、キャップがあったり、ベレーがあったり、バイザーがあったり、ヘルメットがあったりするということのようです。

きっとこの程度のことは、「英語豆知識」みたいなことですでによくご存じの方も多いかと思いますが、自分が知らなかったので恥を忍んでアップしてみました。
060506

遠すぎる市内(静岡市井川のスキー場)


清水と合併後、飛び地の蒲原町まで加わって横に広くなった静岡市ですが、南北はさらに大変なもので、静岡県の最北端、南アルプスの方まで含まれます。
いくら含まれても、そこへ行ったことのある静岡市民もほとんどいないようなところですから、長野県と山梨県に深く食い込んだそのあたりがどんなところなのか、遠くから眺めることすらなかなかできません。
車で行くとすれば、せいぜいがダムのある井川と、その北の畑薙ダムぐらいでしょうか。ずっと北の赤石ダムやさらに北の方まで延びる東俣林道というのがあるようですが、一般車通行止めの上に所々が埋まっていたり崩落していたりするそうです。
ビートに乗ってお気楽に、ということになりますとやはり、井川と畑薙あたりということになりますが、それでも富士山へ行くより時間がかかります。


昨日は井川にあるスキー場まで行ってきました。市街から90分で行けるということになっていますが、富士山麓のスキー場の方が所要時間も短いですし、道路も安全です。(我が家はスキーをしませんが…)

まだ桜が咲いていました。


060505

「google.co.jp」は日本語に対応していないようです。


日頃グーグルを検索に利用しておりましたが、どうやら致命的な欠陥を抱えているようです。
日本語に対応しているということにはなっていますが、対応しきれてはいないんでしょうね。

「熱海市」と入れて検索すると、トップに出るのは「東広島市」。いったい何がどうなってるんでしょう。
きっとこのような、あり得ない検索結果が他にもたくさんあるはずです。

皆さんもどうぞ注意してご利用ください。
ヤフージャパンでは、さすがにそういうことはないだろうと思います。
060503

主観の仕組み


(1)「トマト食べ。」

…という言葉の中には、赤字の「トマト」「食べ」という、検索を意識できる語と、青字の「」「」という、検索を意識できない語とがあります。

これをそれぞれ便宜的に“検索語”“非検索語”としていますが、“検索語”を「詞」、「意義素=semanteme」としてみたり、“非検索語”を「辞」、「形態素=morpheme」としてみたり、まあ呼び方には異論のあることでしょうけれども、私たちの日本語には、主としてそのように大きく分けて二種類の語があると見ること自体はさほど間違いはなさそうです。

これまでにも述べた通り、“検索語”とは“他者としっかり共有されるファイル”です。
山を指して「。」と発話するのは、

 指した“それ(大きく盛り上がった所)”=「」という検索対象のファイル

というしっかりした決まりが、話し手と聞き手の間に共有されているからです。
これを「客観的」というのだとすれば、

(2)「。」
(3)「だろ。」
(4)「では?」

…のような発話における青字の部分は「主観的」に決定された語であるということができます。

「客観的」な“検索語”の方は、生まれてから死ぬまでの間、新たにファイルを追加したり忘れてしまったりを繰り返しますが、「主観的」な“非検索語”の方は、子供時代のある時期までにおよそ習得してしまったら、もう追加することもありませんし、健康でさえあれば忘れてしまうこともありません。

また“検索語”というものはその意味を説明するのが比較的容易で、他の語に置き換えたりすることもできますが、“非検索語”は、“意味”の説明が容易でなく、他の語への置き換えはほぼできません。

検索語”は客観的、論理的に習得され他者と共有されるものですが、“非検索語”は至って感覚的、主観的に習得されるものです。

このように、“非検索語”は“感覚的”に習得されたものですから、その“意味”も“感覚的”なものであって当然だと見てよいでしょう。

その“感覚”を、可能な限り客観的に説明してみせようというのが本サイトの試みる「文法理論」です。なんとかして主観の仕組みを説き明かしてみようと頑張っているわけです。
060502

ボク、じょーもん坊や。
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運動するヨ!
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暑くなりました
中学の奉仕作業で校庭まわりの側溝掃除をやり腰痛です。
このところ、またページデザインをやり始めてしまい、更新が滞っております。本サイト、もうこれでずっと行くと宣言したりしておりましたが、これでお仕舞いというほど完璧なものではありません。
開いてほっとする、見やすい、見つけやすい、気持ち良い。そういうものをやりたいものです。
060520
体内カレンダー
気がつくと五月も十日を過ぎています。体内のカレンダーは完全に故障しているようで、平成がすでに十八年で大正よりだいぶ長いという年数の実感もありません。ということは平成元年生まれの子供たちもすでに半数近くが十七歳なんですかね?早生まれの子たちは高校三年生なんでしょうか?この調子だと、子供たちと思っていたら成年となるのもあっという間のことでしょう。でも、高校三年生にもまだ昭和生まれがいるわけですから、自分もその仲間だと思えばまだまだ若いのかもしれません。
060511
赤電話
こんなもの見つけました。
喫茶店やタバコ屋の店先にあった赤電話、懐かしいです。ピンク電話もありました。黄色になったのはだいぶ後のことですね。
昔はいつでも電話がかけられるよう十円玉を切らさないようにしていたものですが、テレホンカード、携帯電話と、持ち物も変わってきました。
国によっては、郵便局と電話局がいっしょで、そこの電話をかけるにはお金をトークンに交換して、コインの代わりにトークンを投入する電話もありました。
台湾のテレカはICカードでしたが、まだあるんでしょうかね。
060510
サッカーW杯
日本は予選がブラジルと同じグループFですが、日本を応援すると同時にブラジルも応援したいので気が楽です。6月9日(金)からA組の試合が始まって、日本の初戦は6月12日(月)のオーストラリア戦です。ブラジルの初戦は翌13日(火)のクロアチア戦。いよいよ近づいてきました。
060505
昨日は真夏日
昨日5月1日は、静岡市で32度まで気温が上がり今年最初の真夏日となりました。今日の最高気温はそれより9度も下がってまた普通に戻りました。
明日から5連休となりますが、潮干狩りをクリアしたのであとは映画に行くぐらい。のんびり過ごしたいと思います。
060502
昨日は夏日
今日はまた少し寒くなりましたが、昨日は27度ぐらいまで上がったそうで、今年最初の夏日となりました。2月半ばの24.6度以来の“暑さ”でしたが、体感的には2月のあの日の方が暑く感じました。
このところ、『日本語文法 新理論』の専門サイトと化しておりますが、今までうまく伝えられなかった“事実”が、次第に適切な言葉になってきているように思っております。目標はノーベル賞ということでがんばってまいりますが…、会社を辞めたくなってきました。
060425
手繰りの「を」
4月14日の原稿を一部修正し、図を加えました。「助詞」の「を」を「引き寄せ」としていましたが、これを「手繰り」に換えました。また、“検索語”と“非検索語”のモデルを図でご覧いただけるようにしました。
060414
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