jomon.sumpu.net from Suruga, Japan
静岡市駿河区から日本語・パングラム・車・等々の内容をお届けする『縄文ネット』. デザイナーで日本語教師の興津諦が個人運営.  

休寒日。

天気予報によれば、きょうは気温が上がって十六度ぐらいになるという。 朝から風がなま暖かく、屋外で暖房がきいているような感じである。全体に、十二月と正月の気候が入れ替わったような感じでもあろうか。

奄美大島あたりから南では二十度を超えると出ているから、南の方ならことによると今月中に「夏日」があるのかもしれない。

我が儘な話であるが、寒さからの解放、自分にはこれほどありがたいこともない。できれば奄美とか沖縄あたりへ引っ越しして住み着きたいとも思う。

こうも寒いのが嫌いになったのは、かつて台湾に住んだせいもある。それと、暖房器具が不足している我が家では、冬の寒い間、自宅で仕事にならないためもある。
また好きなドライブに出掛けるにも、山道の雪や凍結が怖くてなかなか出られない。
そんなわけで、まるで冬眠しているような気分にもなってくる。暖かくなれば、あれもできる、これもできる。しかし今は駄目だからじっとしていようということになってしまう。

そのじっとして過ごすのになかなか良い遊びを見つけた。
今まではどちらかというと嫌ってきたゲームセンターでの遊びなのだが、麻雀ゲームなのである。

これは全国のゲームセンターとオンラインで繋がっていて、会ったことのない人たちと対戦するようになっており、遠くは香港のゲームセンターとも繋がっているらしいから、インターネットでのオンライン対戦と同じことをタッチパネル式の専用ゲーム機でやるわけだ。

初めは「初心者卓」を囲んで、十級からスタートし、戦績が上がってくると昇級させてもらえるようになっている。
今のところ二段まで行ったが、また昨日初段に戻ってしまった。隣の人の画面を見ると、八段だったり、更に上だったりして、すごいもんだと感心したりするのもなかなか楽しい。

麻雀は亡くなった弟が好きで、弟によく教えてもらったものだが、弟の分まで麻雀してやろうといっても雀荘に行った経験もないし実力もない、友人たちともなかなか集まれるものではないので、こうしていつでも時間が空いたときに半バーチャルの雀荘を経験できるのはなかなかありがたいことだ。

なにより時間のかからないのが良い。東風戦が十五分もあれば終わる。
それにお金もほとんどかからないと言ってよいだろう。フリコミなどすると継続のためにゲーム代を追加しないとならないが、そこそこに打っていれば、三十三円から百円(うちの近所では時間によって料金が変わる後払い制)でたっぷり三十分は遊ぶことができる。そもそもこれはギャンブルでさえない。
暖房もしっかりきいているし、ゲーム機の半分は「喫煙席」だし、飲み物の自動販売機は全部百円だからコンビニで買うより安い。

おまけに、子供たちが遊びに来てもすぐ見つけられるから、父ちゃん暇なときいつもゲームセンターとなれば、子供の無駄遣いまで管理できてしまうのである。
060130

一夫多妻な催眠術

ぶったまげたニュースが世のもてない男たちを大いに騒がせているようだ。
一夫多妻の生活をしておりますという初老の男が、二十歳の女性を脅した廉で逮捕された。
なんでも、夢で出てきた呪文を唱えると女性に好かれて結婚してもらえるのだとか。しかし男の家から出てきたのは催眠術の本だったというから、一緒に暮らしていた十人の女性たちもそれにやられたのではないだろうか。
催眠術で人をコントロールするなんてのは犯罪のはずだから、決して真似をしてはいけない。もちろん私も真似はしないのである。
060126

「儲かる」なんていう仕事の儲かったためしがない

インターネットが便利になったため「個人投資家」に相当する人がかなり増えてきているらしい。パートに出て働くかわりに自宅で毎日売ったり買ったりに一喜一憂している主婦もいるようだ。

それで儲かると信じ込んでやっているのであろう。

「儲かるよ!」という言葉ほど怪しいものはないというのが世の中の常識であるから、「儲かるよ!」という友人などの話を信じて始めたような人は、ほぼ全員が損をしていると見て間違いないだろう。

「ネットワークビジネス」などと呼び方を偽った「ネズミ講」つまりアムウェイ等の「マルチ商法」も、いまだ各種各様に健在であるらしいが、被害を訴える人が昔よりは若干減っているようにも見えるのは、要するに違法とはなりにくいシステムで運営されているからであろう。

「違法でないならネズミ講ではない。」という当事者の弁解をよく耳にするが、違法でなくともネズミ講はネズミ講なのである。

参加しているほとんど全員は、いつか自分も儲かるはずだと教えられ、タダ働きの上に自腹まで切って宣伝活動をおこなう。そのおかげでごく一部の者のふところにだけ金が集まるというシステムなのである。これが不道徳でなくて何が不道徳か、違法でなければいくら不道徳であっても許されるのか、是非とも冷静に考えてもらいたいものである。

ライブドアという会社も、「儲かるよ!」というウソデタラメの宣伝をして自社の株価をまんまと吊り上げた。インターネット関連の企業であるといいつつ、独自のコンテンツらしきものも持たず、ただヤフージャパンなどの模倣による間に合わせのサイトを運営していただけで、実際には何もやっていないに等しい虚業であったわけだ。

細木数子という占い師もそれに手を貸したらしい。
細木数子を踏み潰すブログというブログに詳しく載っているのでちょっと勉強させてもらったが、ライブドアの株価が5倍に上がるとテレビで発言したという。
しかし細木ばかりではなく、堀江をもてはやしてきた民法テレビもまったくの同罪であろう。
それが逮捕されましたとなるや番組を変更してまでまた大騒ぎの報道をする。

人間の仕事とは、また日本人のやるべき仕事というものは、儲かるかどうかを基準に決めるものではなかったはずだ。
060124

雪は降らねど

十二月には大井川流域以西でも積雪があり、島田市などでスリップ事故が相次いだというが、昨日は関東南部でも積雪だったらしい。
この冬は各地で記録的な大雪だから、無雪地帯の静岡市だって少しは付き合うべきなのではないかとも思うが、やはり降らない。
昨日も朝から雨が降り、夜は風もなくむしろ暖かいと感じた。

ラジオを聞いていたら、関東の人がベランダに積もった雪にシロップをかけ、かき氷のように食べたという投稿を紹介していたが、子供たちは羨ましがるところである。
しかし黄砂など混じっているはずだから静岡で仮に降ったとしてもそんなことをさせたくはないが。

豪雪地帯に暮らす人々の苦労は想像することしかできないが、寒さ自体は相対的に感じるものなので、この静岡にも暖かい日があり寒い日もある。

台湾のように沖縄より暖かいぐらいの国であっても、寒いと思えばマフラーをしたり手袋をしたりする。その横を半袖Tシャツ姿の外国人観光客が歩いている。
常夏のバリ島では三十度を超える炎天下、バイクに乗る人の多くが冬用のジャンパーを着込んでいたが、それで汗もかいていないのだから不思議なものである。
年中暑い地域では、冷房のきかせ方に手加減というものを知らない人も多く、これでもかと冷房をきかせたバスで外国人観光客がブルブル震えているなんてことも珍しくない。

しかしまだその程度なら笑い話で流せる。
かつて静岡市内の日本語学校で、ルームメイトになったばかりの黒竜江省の学生と広東省の学生が包丁まで持ち出す大喧嘩になったことがあるが、どちらも中国人、なにをそんなに揉めたのかといえば、寒い日の、窓の開け閉めのことだった。
黒竜江省の学生が寒いからと窓を閉めたら、広東省の学生が息苦しいからといって閉めるのを許さなかったのだ。

台湾でも、寒いからといって窓を閉め切るという習慣はないようだが、同じように暑い地域である広東省でも、窓というものは常に開けておくものと決まっているらしい。
日本人でも、冬などは窓を閉める。しかしそれだと室内の空気が淀んでくる感じがして、どうしても開けておきたくなるというのが南の方の人たちの生理であるわけだ。

暑い国から来た人は寒がりだろうと単純に考えるのは実はちょっと違っていて、寒いのに窓は閉めたがらないとか、冷房をきかせすぎるとかいった行為を見る限り、寒さに対する警戒心というものが不足しているのだろうと思われる。

夏は三十度を超え、冬は氷点下十度以下というような、年間の暑さ寒さが極端に違う国では、人々は気温の変化に応じて衣服などで自ずと対応せざるを得ず、生活に必要な智慧も身につけてくるわけだが、年中暑いとか暖かいとかいった気温変化に乏しい国ではそうした経験も智慧もないから、寒いときにもそのまんま、暑くなっても日本人のように容易に汗をかいていたのではすぐ脱水症状になってしまうので、汗もあまりかかないような体になっているらしい。

そんなわけで、暑いか寒いかという感じ方の基準というものは、国によって激しく違っていたりするので、「静岡は暖かい」という定説も、それは絶対的な基準に照らしてのものでしかなく、そこに住んで生活している人にとっては、さほど意味のない説なのかもしれない。
060122

ドシロートのくるま煩悩

平成十八年一月現在、理想の車の条件。
  1. 軽いこと
    1トン超えた車はタイヤと路面の摩擦を想像するのがつらい
  2. 安いこと
    形あるものみな壊れるので潰れても悔しさの軽いのがよい
  3. 思い通りに走ること
    思いは自分の能力と経験以内。たかが知れている
  4. 三人は乗れること
    三人乗りマクラーレンでは高価すぎるな…

平成十八年一月現在、いいなあと思う車。

1.ロータスエリーゼ
新旧ともに憧れる。しかし故障ばかりで金がかかること間違いなし。
となると乗りたいときに乗れるとは限らない。
自分で直す技術もないので一生乗れそうな気がしない。

2.ホンダS2000
BBCトップギアの調査で二年連続満足度ナンバーワン。さすがホンダ。
二人しか乗れないことではビートと同じ。

3.ホンダNSXR
高根沢で試乗させていただいたら自分のビートにそっくりの動きだった。
パワーとプライスは文字通り桁違いだが、ビートもすごい車だったのだと思わせてくれたものである。
しかし本田技研高根沢工場がなくなったのに続いて、このNSXもとうとう生産を終わってしまったらしい。買えるわけもなかったが、寂しいものである。

4.マツダロードスター(新型)
S2000が1999年。このロードスターは2005年の登場。
S2000よりだいぶ安く手に入るのが魅力。
レンタカーがあったら是非借りてみたい。

しかし何だろう。「三人は乗れること」といいつつ、いいなあと思うのは全部二人乗りで、全部スポーツカーである。
「安いこと」といいつつ、安いといえそうな車だって入っていない。
「軽いこと」といいつつ、軽いのはエリーゼのみで、あとはみんな1トンを超えている。
そもそも1トンなんて、今どき決して重い部類ではないというのが常識なのであろう。

その常識と、自分の固定観念とはしばしば衝突する。衝突するのは自分の方が固定観念だからである。
もっと常識を勉強して、もっと頭が柔らかくならないといけないとも思う。
060120

ライブドアって一体?

社長のホリエモンで有名になったライブドアだが、サイトを開いてみると一見、ヤフージャパンなどと区別がつかない。
これはちょっと、盗作というやつではないのかと心配にもなってくる。
ポータルサイトはどこも似たようなものと言えるのかもしれないが、それにしてもである。ニュースの短い見出し「トピックス」まで、ほぼ同じ場所に並んでいるし、色遣いまでそっくりだ。

そのトピックスを開いてみると、驚いたことに「ライブドア」や「ホリエモン」という見出しがたくさん並んでいる。

ライブ、社内調査結果を公表
史上初 ホリエモン東証破壊
ホリエモン ひなのが新恋人?
ライブドア株、取引成立せず
ホリエモン泣き言「大変なことに…」
[ライブドア]強制捜査の背景に政治的意図と分...
ホリエモンの太鼓判!使えば増えるお小遣い!

このところのライブドア一連の不祥事を知らずに見たら、この会社はいったい何をやっているのかと混乱するにちがいない。
060119

気合いとほろ酔いと

最近改めて思うことなのだが、会社から帰宅後、ちょっと一杯やると気持ちがまるくなって、子供に接する態度もまるくなる。
これは子供には間違いなく有り難いことであるはずだから、なるべく毎晩やろうかとも思う。
ところが今夜など、夕食後長女の買い物に出なければならなくなり、飲むわけにいかなかった。仕方ないので我慢したが、長女と二人、車に乗っての往復は、アルコールの力など借りずとも穏やかなものだった。
要するに自分の気の持ちよう、心掛けの問題なのである。

ほろ酔いがいくらよい気分だといっても、今年はそうも言っていられない。
ちょっと真剣に、新しいことをやりはじめ、なんとか夏までにまとめてやろうという野心があるからだ。
これまでやってきたことを本一冊にまとめるという作業である。前回こういうことをしたのは1998年だったから、すでになんと8年が経過してしまった。
前回は、次点となって賞金5万円をいただいただけで出版とはならなかったが、今回こそは本を出していただこうと考える。

前回は「パングラム」の本だったが、今回書こうとしているのは「日本語」に関する本である。
本サイトでやっているように「日本語文法」としてしまうと、間違いなく多くの人が拒絶するので、テーマからして考え直さないとならない。

そこで今のところ考えているのは『ゼロからの日本語』というほどのテーマである。
「ゼロから」というのは、私たち日本人(日本語を母語とする人の集団)が日常なんのこだわりもなく使用・運用している日本語に、学校で習わされたような「文法」というフィクションを一切排除して、帰納的に“日本語の原則”を見つけ出そうという試みとなる。

書きたいことはすでにきりがないほどたくさんあるのだが、全部書いたのでは到底まとまりそうな気がしないから、項目をかなり絞ってかからなければならない。
そして自分にしかできない手法をもって、日本中の誰にも真似のできないものをまとめたいと考えている。
060116

お年玉の管理問題

お年玉を全額遣わせることはしたことがないが、今年は一人一万円程度の買い物を許した。残りは例年通り貯金とした。

通帳を持って貯金に行ったのが正月四日だったが、次女の金額が妙に少ない。下さる人がそれほど差をつけたのかと思っていたら、今日になって五千円出てきた。しかも私がやった袋そのまま。

このような時にはどう叱ったものか、適当な方法が思いつかず、つい曖昧なまま時間が過ぎてしまう。次女はむしろ長女よりも金勘定に細かい。そのくせもらったお金をちゃんと管理できない。まったくどうしたものか途方に暮れる。

これを可愛いといえば確かに可愛いのだが、この調子では通帳や印鑑の管理など到底できそうにないから、将来家計を預かるなど無理な話だ。取り敢えず罰として、出てきた五千円の中から今日の昼食代など払わせるぞと言ったら、「いいよー」と言って笑っている。

ないはずの大金が出てきたのだからそれぐらいどうということはないわけだし、釣りが出ればまた自分のものになるのだから、儲けたことに変わりないわけだ。

二人の買い物だが、長女はiPodシャッフルで、次女はあかりの灯る大きなお家である。中学一年生と小学四年生、まあそれなり、というところなのだろうか。
060115

新しいこと

武部幹事長が言っていた「既成概念や経験則で行動する人は要らない。」という発言、激しく同感だったが、どうも歳を取ってくると新しいことができないし、受け付けない精神になってくる。

自分も決して例外ではなく、例えば3Dのコンピュータグラフィックを作画するコンピューターアプリケーションなど、ほとんど触ってこなかった。

自分と同じ美術大学を卒業している人でも、工業デザインを専門とする人たちはそんなことは言っておられず、そうしたソフトが商売道具になっているからヘビーに使いこなしているが、自分はグラフィック、つまり平面のデザインが専業であるためなかなかそっちまで手が回らないのだ、という言い訳をしてきた。しかし言い訳は言い訳である。手軽に手に入るソフトもあるのだし、それが使いこなせたら愛車の3Dデータを作るぐらいのこともできるのだから、このサイトで配布するなりして、閲覧者に喜ばれたら良いのである。

絵を描く素養に欠けているがために、そうしたソフトは使えても決して美しいといえるまでのレベルの高いものは作れない、それでも作って楽しんでいるという人もいる。自分はそんな人たちにも負けているわけである。

限られた人生だから、どこまで手を伸ばせるかということには当然ながら限界もあって、そう何もかもやりこなそうと考える必要はないのかもしれないが、どこまでやったら「何もかも」になるのか、どこまでで止めておいたら怠惰だということになるのか、そのあたりの基準を決めるのも難しい。

それが難しいのをいいことに、「おれにはできないよ。」「おれはやらないんだ。」と言い続けるのは卑怯とさえなりうる。因みに自分はスキーもやらないが、それはまあ、静岡には雪が降らないからだという言い訳ができる。

しかし自分はサーフィンもやらない。しかしこれは、自宅から目と鼻の先にある波乗りスポットに遠方からも人が来ているという事実があるため、言い訳が難しい。

そこに「趣味じゃないから。」という言い訳が出てくる。
あるいは、そんなことをするのは「自分の主義に反する。」という言い訳も出てくる。

「趣味」なら好き嫌いの問題だから、単に「好きじゃない」というだけのことであるが、「主義」となると、好き嫌いを超えてくる。

「主義」と言いつつ、単に自分個人の既成概念や経験則からものごとを一面的にしか捉えられぬがために手を出せないのが事実だったりもする。

もしそんな事実であったのなら、大いに恥ずべきことである。
恥ずべき事実を隠匿せんがための「主義」であるなら、それは人を騙し、己を偽る不道徳で卑怯な態度であるということになる。

人間は、感謝の心をもって正直に生きなければならないということに、異論の余地などなかろう。
自分も常に正直に生きたいと願っている。卑怯者にはなりたくないからだ。

しかし既成概念や経験則が大きく邪魔をして、未経験の領域に踏み出すことを躊躇ってしまう。

若いころ、子供のころにはなかった躊躇いが自分を小さなものにしてゆくのを感じるのは恐怖でさえあるが、その恐怖も感じなくなったときはきっと、人生が終わったということになるのだろう。
060114

あいうえお

もう一つ、心配になったことがある。
「あいうえお」の発音である。

小学校一年生の教科書だったか、「あ」は口をめいっぱい大きく、「い」はめいっぱい横にひろげて、「う」ならウンとこさつぼめて…という調子で、口の形をはっきりさせてはっきりと発音しましょうという、目を背けたくなるような指導が写真も入って念入りになされていた。モデルを担当していた女の子を不憫に思ったものである。

日本語の「あいうえお」は残念ながら、そういう発音はしないのである。
そういう発音をしているのは、日本語教師としての基本を無視した似非教師に教わった外国人か、自分の国の言語がそういうふうに発音するのでそのまま日本語でもやってますという外国人だけである。

もっとも、歌の世界は事情が異なるらしい。
昔々のこと、デビューしたばかりのピンキーとキラーズの今洋子さんの口の開け方がすばらしくはっきりしているというので、淡谷のり子だったか、偉い大先輩に褒められていたことがあった。
どうやら歌はそれでも良いらしい。

しかし日常の話し言葉でそれをやったら、かなり変なことになる。とても日本人とは思えないのである。

もっとも、あまりにモゴモゴ喋るのも嫌われがちなので、外国人みたいにはっきり話すのはまだましなのかもしれない。
060113-2

非常に気になることがある。
日本語のことである。
それも、もっとも簡単なはずの、ひらがなの読み方である。

例えば「先生」は「せんせい」と書く。しかし読み方は「せんせえ」なのである。
これをひらがなの通りに「せんせい」と言うのは変なのである。

「お父さん」なら「おとうさん」と書くが、読み方は「おとおさん」である。ひらがな通りに「おとうさん」と発音する人はいないはずである。

そして最近特に気になるのが「を」の読み方である。
どうやら小学校の先生からしてが、「うぉ」と読ませているのではないかと思われる。
最近テレビで歌っていた歌手も「を」を「うぉ」と発音していた。

しかし「を」本来の発音は、ア行と全く同一の「お」なのである。
いったいいつから「を」を「うぉ」と読むようになったのだろう。

「終わり」を歴史的仮名遣いで書けば「をはり」であるが、これは「おわり」と読むのが当たり前である。

もし「を」が「うぉ」であるのならば、「スターウォーズ」など「スターヲーズ」と書けばよいことになってしまうが、誰もそんな書き方はしない。そんな読み方がないからである。
060113

日曜、中高一貫六年間を共に過ごした級友が逝く。
昨夜が通夜で大勢の仲間が集まった。

誰にも好かれるいいやつだったから遠くから駆けつけた者もいた。
後で食堂へ寄って、ビールなど飲んだ。
久しぶりの再会に冗談も交わした。
あいつの笑顔もずっとそばにあった。
060111

帰って来たヨッパライ

昭和42年の暮れにレコードが発売され大ヒットとなった『帰って来たヨッパライ』を知らぬ人はいないだろう。
もっともあんまり若い人は知らないだろうから、おやじのウンチクだと馬鹿にされるような話かもしれない。歌ったのはフォーク・クルセダーズという京都で結成されたバンド。作曲したのがそのリーダーだった加藤和彦。バンドはこの曲が大流行した後にさっさと解散している。

日本の流行歌にもなかなか個性的な曲があるもので、昔のことをろくに憶えていない私でもしっかり記憶に残っている。
まず一体どうしてあんな変な声で歌えるのだろうと不思議だったが、あれはテープの早回しをして声を変えたものだった。ということは当然、コンサートなどライブであの声を出すのは不可能であるから、きっとフォーク・クルセダーズはライブで歌わなかったのではないかと思われるが、どうだったのだろう。

ラジオをひねれば『帰って来たヨッパライ』が聞こえていた昭和43年、その翌年には皆川おさむ(当時6歳)が『黒猫のタンゴ』を歌い、200万枚を超えるヒットとなった。

1970年には大阪万博が開催されるが、日本の大衆文化はこの前後こそが全盛期といってよいのではないかと思えるほど、多様な歌があり、漫画があり、テレビがあった。

まだ小学生だったが、そのころに自分の文化的価値観がおよそ決定していたのではないかと思えてならない。
060108

真理ちゃん、ありがとう。

天地真理関連のリンクを貼っておこう。

夏を忘れた海

想い出の足音

SNOW WHITE

いずれもファンのサイトである。

テレビと、私たちファンの熱狂によってボロボロにされた天地真理には、いくら感謝してもしきれない。
そして今もなおこうして彼女を支えようとしてくれるサイト運営者の皆さんにも大いに感謝したい。
060107-2

美しいあの歌

永六輔作詞・いずみたく作曲『見上げてごらん夜の星を』
坂本九がみずから主演した同名の映画(昭和38年松竹、番匠義彰監督)の主題歌であるが、今もなお愛されつづける名曲中の名曲である。

その5年後の昭和43年には、ザ・ダーツが歌った『ケメ子の唄』(馬場祥弘作詞作曲)という大ヒット曲があるが、この歌には以下のような非常に印象的なスキャット部分がある。

ドゥワパーパートゥドゥワッパダンダン
ドゥワパーパートゥドゥワッパダンダン

これを歌ったあとに「見上げてごらん夜の星を〜」と続けるとうまく続くから面白い。

同じようなコード進行であろうと思われる曲がもうひとつあるが、これは題名を出すのも憚られる『オーチンチン』(里吉しげみ作詞・小林亜星作曲)。
歌ったのはハニー・ナイツというあのコーラスグループだったらしいが、老若男女、日本中が天地真理に熱を上げた昭和47年ごろのエメロンシャンプーCMソングでもある『ふりむかないで』が彼ら唯一のヒット曲、なのではあるまいか。

因みに、『ケメ子の唄』は同じく昭和43年に松竹が田中康義監督で映画化しているらしい。私は見たことがないが、小山ルミ、谷幹一、川崎敬三、竹脇無我らが出演しているようだ。

天地真理には私もとことんはまった。寝ても覚めても真理ちゃんのことばっかり考えていた。小遣いでシングルレコードも全部買った。これもまた松竹だが、昭和47年の『虹をわたって』(前田陽一監督)もちゃんと見に行ったものだ。

天地真理のあとに、女性歌手などのファンになることは二度となかった。
060107-1

世の中の矛盾

主な仕事として、公営ギャンブルの広告デザインをやってきた。
すでに十年を過ぎ、静岡県内の公営ギャンブルなら大体のことはわかっている。
しかし次年度から浜松市が撤退の方向で、オートレース場の運営は民間企業に委託されることになった。
売上が落ち込んできて市の財政を圧迫しはじめたためである。
景気の良いころにはその財政を大いに潤してきたのであろうが、もう使えないというところにきてしまったわけだ。

金儲けの神様といわれる邱永漢先生によれば、どんな商売も30年が寿命というもので、流行り廃りは必ずあるという。

現在もなんとか行われている賭博対象としての自転車競技の歴史を見てみれば、「自転車競技法」がGHQの認可を得たのが昭和23(1948)年、衆議院、参議院で可決され、同年の11月には、九州の小倉競輪場で最初の競技開催が始まっている。
それから次々に競輪場が開場して、静岡競輪場は昭和28(1952)年から。これは後発のくちであるから、ほんの数年の間に、こうしてほぼ全国に役場を胴元とする賭場が開帳されるようになった。

当初は競輪ブームも起きて、若い人たちも挙って競輪場に足を運んだようだが、以来半世紀が過ぎ、競輪場の客といえば主に老人、しかも爺さんばかりになってしまった。
若い人もいるにはいる。だがとてもじゃないが、お洒落して彼女を連れて来るようなところではない。
どんなところなんだろうと興味が湧いた方には是非一度ご覧いただきたいが、恐らく二度目は行きたくなくなることだろう。
競輪場とは今やそんなところである。

およそ30年でどんな商売も廃れてくるというのに、競輪はそれでも50年続いている。
続いているのは、合法的に博打が打てるからであって、健全な娯楽として庶民に親しまれているからとかいうようなことでは全然ない。
健全ムードなら、中央競馬にだけはきっとあるのだろうが、競輪にはそのムードがない。
私個人としては、競輪もいたって健全な娯楽としてなかなか楽しいものだと思っているが、見渡せばあの客層である。
街を歩いているときに見る人々と、競輪場にいるときに見る人々というのは、まるで別の国か別の世界かというくらいに異質なのである。

おじさん、おばさん、若いおにいちゃん、おねえちゃん、おじいさんにおばあさん、一通り揃って普通の人混みであるが、競輪場にはまず女性がほとんどおらず、若い男も少なくて、ほとんどが高齢者、それもほとんどの人が、タバコの吸い殻や紙くずを吸い殻入れやゴミ箱のアウトサイドに捨てる。

考えてみれば競輪場という空間は、開設されたころの昭和20年代からずっと、まるでタイムカプセルのように閉鎖されてしまった空間なのではあるまいか。
競輪場が開設された当時の生活習慣は、世間ではその後次第に改善されてきたのだが、競輪場の中はといえば、あのころの若者たちがそのまま歳を取り、世間からこの競輪場の空間に戻ってくればすぐ昔どおりの元どおり、当時の様子にもどることができる。
だからゴミは捨て放題だし、食べ物を売る食堂だって戦後のどさくさみたいな雰囲気を大いに漂わせている。

だから、ちょっと昔に戻ってみたいという向きには競輪場は面白いところに違いない。私も競輪場の食堂が嫌いではないし、ゴミを踏んづけて歩くことにさしたる不都合も感じなかったりする。
もし男女比率が自然なものだったら、昔に戻った勢いで小綺麗なおばさんでもナンパできるのだろうが、さっぱりそんな人は見あたらない。

昔から指摘されてきたことだが、矛盾といって、この公営ギャンブルほどの矛盾もないのである。
そもそも賭博というのは、詐欺や泥棒ほどではないにせよ、不道徳な行為のひとつである。それを役場が開帳していて、さして金回りも良くない高齢者や年金受給者が小遣いのありったけをはたいたりしているのだから、福祉もへったくれもあったものではないのだ。

賭博は悪い。特に、意志の弱い者を食い物にして有り金全部巻き上げるようにできているのだから、これほど悪いものもない。
意志の弱い者が悪いのであって賭博が悪いわけではないという見方もあろうが、それは人間が社会的存在であるという基本的な事実を無視した暴言にすぎない。

賭場に足を一歩踏み入れるやいなや、人間は社会的存在という比較的安全だったその身分をむごたらしいまでに剥奪されてしまう。
とことんのめり込んだその先には高利貸しが待ち受けていて、返せなくなった金は盗んだり騙したりしてでも手に入れざるをえなくなる。
女なら体を売るのが手っ取り早いが、男ならより犯罪らしい犯罪にでも走らなければ金は容易に入らない。
その先には殺人や首つりや服毒や無理心中なども一通り待ち受けている。

博打が悪いのは明らかなのである。
仮に合法的に博打を打ってもよいことにするとなれば、もっと手続きをしっかりしないとならないだろう。
例えば賭場に持ち込める金銭の限度額を定め、限度額の算出には収入などの証明を必要とする、など。役場が胴元なのだからそれぐらいはできそうな相談だ。

ともかく、博打が悪いものとなるその最大の要因は、手軽さなのである。
誰でも気軽にはいれます、お金をいくらでも自由に賭けられます、それが悪いのだ。

そして競輪、競艇などよりも、はるかにお手軽な博打が罷り通っている。
パチンコである。
これもいつまでも野放しとは言わぬであろうが、今のところまだ全盛であるから、やるならその経営に限る。
打ちに行くのは愚の骨頂である。
060106

最悪の時代

「学校の帰りだね?お父さんのお友達のスズキっていうんだけど、お姉ちゃんがね、さっき車とちょっとぶつかっちゃってお父さんが病院に連れて行ったんだ。それでおうちには誰もいないから病院に連れてきてって頼まれたの。だからすぐこの車に乗って。一緒に病院に行こう。」

なんて言ってくるおじさんやお兄さんやおばさんやお姉さんがいても、ぜっっっっったいに、乗っちゃだめだぞ!!

というような教育を日頃からやっておかないとならない時代である。
なんとも寂しいものである。

昔の日本映画など見ると、飛び込みのセールスマンが来ても「お疲れさん。」なんて言って、世間話をしながらお茶を出してやったりしている。セールスマンも人の子で、一所懸命に働いているのだから、苦労が多いのは当たり前のこと、それを労ってやる余裕があって悪いことであろうはずもなかった。

先月も、光接続にするという業者から何度か電話があって、NTTと契約している業者で、今ならいろいろと無料になるからというセールスだったのだが、資料を郵送しろと告げて電話での応対を一切ことわった。我が両親も古い人間なので、電話だけでうっかり「じゃあやってくれ。」などと頼もうものなら、あとからどんなことになるかわからない。電話で契約するということがどういうことになるのか、相手を信じて相手が正直者なら問題ないが、今どきのことである。なにを請求されるかわかったものではない。

一度「督促状」なるものが私宛に来ていたので、母がそれを差し出して私を睨みつけたことがあったが、もちろんそれは詐欺の葉書だった。詐欺がここまで横行した時代というのが過去にどれほどあったものか知らないが、今はこれでやはり最悪の時代といってよいのではないだろうか。
060105

迷惑メールとスパム缶詰


迷惑メールの数がすごいが、それを「スパム」とか「スパムメール」と呼ぶようになって久しい。

「スパム」というのは、きょう買ってきたこの、肉の缶詰のことであるが、うろ覚えだが確か、なんとかいう映画で、呼んでもいないその缶詰の宣伝隊が何度も出てきてしょうがないとか、そんなシーンがあったとかで、迷惑な頼んでもいないメールが来ると、それを「スパム」と呼ぶことになったらしい。

商品名であるから、そのような不名誉な代名詞にされたら普通メーカーとしては不本意なはずで、うちの商品名を勝手に「迷惑」の代名詞にするなと怒るのではないかと思うが、むしろ「スパム」がそれでさらに知名度を上げてめでたしということになっているのではないだろうか。

そこで検索してみたところ、Wikipediaによれば、大文字で「SPAM」というのが商品名であり、迷惑メールの方は「spam」と小文字で書くよう、メーカーは呼び掛けてきたらしい。
060104

光陰矢の如し

時は待ってくれない。どんどん月日が過ぎてゆく。一年などあっという間であるし、去年の正月の記憶と一昨年の正月の記憶、さらに今年の正月の記憶は一緒くたになって区別がつかない。

子供のころはまだ、それまでの人生に占める一年の割合が大きいから、去年のことなど昔のことであったのだが、歳をとるにつれてその割合は小さくなって、子供のひと月が一年となり、子供の一週間が一年となってゆくかのようである。

しかし一年は一年であって、子供にも年寄りにも同じだけの時間がある。ないように思うのは錯覚でしかなく、大人にも老人にも、一年は決して短い時間ではない。何か事を起こそうと思えば起こすことができ、何かの方向を変えようと思えば変えることもできる。起こした事を前に進めることも可能であり、変えた方向を軌道に乗せるにも決して短すぎる時間とはなるまい。

去年とまったく同じ生活が、まったく同じリズムで過ぎてしまった。毎年、正月になるたびにそう思う。そう思うようになって何年も経つ。これから始まる新しい年が、また去年と同じ一年であることを願いはしないのだが、何も願わぬことが即ち、惰性にまかせて生きることになる。

惰性でないのは子供たちばかりで、親である自分はただ守勢にまわったまま、子供たちに一定の、健康で文化的な最低限度の生活を確保しつつ、やれ勉強しろの成長しろのと日々を口うるさく生きている。

自分の口が子供に命じるベクトルと、自分の精神が守りに甘んじるベクトルとはおよそ正反対であって、ひとりその矛盾を抱えて生きている。

子供とて馬鹿とは限らぬから、一人しかないこの親の抱えた矛盾に何も感じぬわけではない。中学生ともなればそれなりに、親子関係に見え隠れする矛盾に感づいてくる。親だからといってそんなことを命じる資格が本当にあるものなのか、親だからといってそこまで子供の意向を無視する権利があるものなのか、などといった疑問が生じてくる。

頭ごなしに否定されれば、従うほかなかった幼少のころとは異なり、青少年期にはいってくれば、子供の内に反発心というものが芽生えてくる。それが至極正常な成長であり、精神の健康なる証拠であろうから、子供の反発との間にただ対立を深める意固地さを省みなければ、子供は自ら生きる能力を身につける前から親を離れざるを得なくなる。つまり親子の対立こそが、家出や非行のきっかけを作りかねないわけである。

今年は自ら、矛盾を抱えていることを率直に認めようと思う。親こそが正しいという姿勢が子との対立を生むのであれば、子の人格をもっと理解する努力もしてみようと思う。そのためには、これからの一年が決して短すぎることはないはずである。
060103

脱却

寒いところにばかりいたので、やや風邪気味である。明日、小人数の新年会を予定しているため今は水をたくさん飲んでじっとしている。

改革をしなくてはならないのは、日本の政治以上に自分の精神である。
いくら子育てのためといっても、定時退社、土日休み、子供と過ごして平和な親子、ばかりではいられない。
少しでも時間に隙間があれば、今を変えて大きく前進するために行動しなければならない。

口で言うのは簡単だが、実際に自分が前に進むのは容易ではない。まずは弛んだ脳味噌の改革からでも何とか手を着けられないかと思う。ぬるま湯のような今の暮らしを思い切って捨ててしまうのが一番良いのだろうが、ほかにも自分を追い込む方法はあるのではないか。

平和は健康面と人間関係だけにして、自分の中での苦悩や葛藤というものは常に保持する必要があろう。精神が弛んで成長したという事例は聞いたことがないからだ。
060101-2

謹賀新年

これがちょうど百年前の写真年賀状である。
今年は一部の皆さんにこのままを高解像度でプリントして年賀状とさせていただいた。
「駿河國有渡郡中島村」としてみたが、実は百年前当時はすでに「静岡縣安倍郡大里村中島」となっていた。「駿河國有渡郡中島村」という区分けは、奈良時代から明治初期まで続いたものであり、現在は「静岡県静岡市駿河区中島」である。
きょう元旦は曇り空で初日は拝めないため7時過ぎまで朝寝をした。
060101

ボク、じょーもん坊や。
ボクをさわると
運動するヨ!
Google

jomon.sumpu.net
www
Yahoo! JAPAN

サーチする:  
Amazon.co.jp のロゴ
じゃじゃーん! 静岡市は清水区で気温が20度に達したそうです。もうこのまんま、冷えないでもらいたいもんです。
060130
12月はひどく寒かったんですが、正月は風が吹きません。天気予報では「西の風やや強く」などと毎日出ておりますが、ちっとも吹かないんです。どうなってるんでしょうね。不思議です。気温もぼちぼち上がってきているようですが、このまま暖かくなってもらいたいものです。
060126
平成18年、2006年となりました。
あけましておめでとうございます。皆様方には平和な年となりますようお祈り申し上げます。
060101
© 1996-2006 jomon.sumpu.netAddress: 1185-1 Nakajima, Suruga, Shizuoka #422-8046 JAPAN