jomon.sumpu.net from Suruga, Japan
静岡市駿河区から日本語・パングラム・車・等々の内容をお届けする『縄文ネット』. デザイナーで日本語教師の興津諦が個人運営.  

平成17年の仕事、そして来年。

仕事は会社でやっているのが仕事なのだが、自分に回ってくるほとんどの仕事は、立案からデザイン、写真撮影、コピーまで、全部一人でこなしている。
本来自分はデザイナーではあるが、社内には専業のコピーライターもいないし、自分より文の書ける者もいない。はっきり言えば、頼れる者がほかに誰もいない。自分では自分だけが頼りとなり、難しい仕事は必ず自分に回されるようになっている。

デザインに関しては美大を卒業後も広告方面で仕事をしてきた実績があるし、文に関しては本を書いて賞をもらったこともあるし、日本語教育能力検定試験合格の日本語教師でもあるから、会社ではまあ、これほど重宝なやつもないというところであるわけだが、最近では何でも言うことを聞くとは限らず、変なことを頼まれればできないと言い、変なものは変、汚いものは汚いとはっきり言うので、営業としては、頼めばきっと興津に悪態をつかれると予想されるような変な仕事は、私のところには持ってこずに、何でも言うことを聞きそうな我が部下に直接仕事が行く。

それでこのところ、こっちに回ってくる仕事が減ってきているような気もしているが、社内では取りすぎと思われている給料がこの景気で増えるわけでもないから放っておくことにしている。正直言うと、いつでも辞めたい気持ちもある。

そんな中、土肥高校の新聞全面広告と、山川静夫さんトークショーの全ての広告が、今年の仕事の中で最も充実感があった。ある種の“マジック”を披露できたような気もしていて、クライアントの満足度も相当高かったようだ。そんな仕事もできるなら独立でもすれば良いかとも思うが、この歳で独立して、土日も祝日もなく仕事と私生活の境目も曖昧にするようなことはできそうにない。なにしろ子供が二人いて、二人の子供には親が私ひとりだけなのだから、平日もなるだけ定時に帰宅したいし、休みは休みとしてたっぷり子供と過ごしたいという思いがやまない。

男たるもの仕事に明け暮れるのが当然であって、家庭の心配などするものではないというのが旧来の常識だったのかもしれないが、とてもとても、私は仕事よりパパ優先で結構だ。

しかしそれでも野心のかけらぐらいはあるから、来年こそは何とか皆を驚かせてやろう、などとも考えている。
051231-2

平成17(2005)年の出来事

日本と世界

インド洋大津波(2004.12.26)
堤義明逮捕(3月)
愛知万博開催(3月〜9月)
JR福知山線脱線事故(4月)
中国各地で反日暴動(4月)
全国各地で市町村合併(4月〜)
個人情報保護法が始まる(4月)
日本でも反中国感情が高まる
ロンドンで同時テロ(7月)
中国が人民元を渋りつつ僅かに切り上げ(7月)
火星から「氷の湖」の映像(7月)
アメリカ南部に超大型ハリケーン(8月)
アメリカでガソリン高騰
トヨタが世界一の自動車メーカーへ
台風14号(9月)
「郵政選挙」で自民圧勝(9月)
郵政民営化法案の成立(10月)
パキスタン大地震(10月)
イラク新憲法成立(10月)
フランス各地で暴動(11月)
韓国人がES細胞の研究論文(6月)、捏造と判明(12月)
紀宮さまご結婚(11月)
「名門」ヴェルディーがJ2落ち決定(11月)
日本の株高
ビルの耐震強度偽装事件(11月〜)
朝青龍快挙
子供を狙った殺人事件が多発
スワローズ古田捕手が監督兼任へ

我が家

親子三人で長谷川町子美術館(1月)
WILLCOMの「京ぽん」を契約(1月)
親子三人で波勝崎の猿見物(2月)
カシオのデジカメP-600を購入(3月)
長女がランドセルを卒業、中学に入学、美術部に入部(3月、4月)
静岡市が政令市となる(4月)
静岡市のミニチュアカーメーカーエブロからビートが新発売(4月)
親子三人で愛知万博(4月)
親子三人で八景島水族館(7月)
次女がスポーツ少年団に入る(7月)
親子三人で藤枝市蓮花寺池公園花火大会(8月)
親子三人で片親家庭のサークルに初参加(8月)
食堂にプラズマテレビと8人掛けテーブルを新調(8月)
iBook G4とAirMacがはいる(8月)
我が家に英国から一週間の泊まり客(9月)
弟の一周忌、2か月早めの法要(10月)
次女と二人で草津温泉(10月)
ビートとジーノにETCがつく(10月、11月)
親子三人でディズニーランド(12月)
浜松オート運営を来年度から民間委託(12月)
「京ぽん」2台めを契約、auを解約(12月)

仕事では、土肥高校の新聞全頁広告と山川静夫トークショーぐらいか…。

明日から始まる来年は、もっと良い年であるよう願いたいところである。
しかし欲張ってもいけないから、家族がとりあえず元気に暮らしていることで満足しなければならないとも思う。
051231

扇風機

今年は子供の宿題やらなにやらで大掃除の機会を逸してしまい、扇風機はまだここに出ているが、まだついこの間、立冬翌日の11月8日に静岡市の気温は25度を超えて夏日だったから、それが言い訳として使えそうだ。

今年から中学生になった長女は自宅学習のやり方がまるで身に付いておらず世話が焼けるのだが、年明けに試験があるためか宿題もたくさん出ている。
会社は昨日仕事納めだったのできょうは指導のため朝の8時前から大きめのコーヒー屋に出掛けて、たくさんの人目を前に一気に理科を片付けた。5時間から6時間ぐらいかかった。
明日は数学だ。

1988年の2月から一年間、焼津市内の塾で講師を務めたことがあるが、担当したのは国語と英語と社会だけだったし、自分も理科と数学については中学、高校とまったく勉強した記憶がないので一番の苦手科目となるが、まだ中学1年だから何とかなりそうだと思っている。

明日は大晦日だが正月の支度どころではない。だがその方がかえって正月ボケをせずに済みそうで良いのかもしれない。春になって、暖かくなってからの大掃除でも良いだろう。
051230

Disaster and Digital

押し詰まってきたが、きょうは割と暖かい。明日も暖かく、元日は寒くなると予報が出ている。

当初この冬の長期予報は「暖冬」とされたが、12月頭からの大寒波で訂正された。
12月4日、ここでも紹介したが、静岡市の山奥である梅ヶ島に前日の雪が積もっていた。このような例はかつてなかったのではないかと思われる。

この調子で1月、2月と、さらに寒くなるようなことがあれば、静岡市駿河区にも積雪があるかもしれない。それよりも、低温が心配である。寒い地方と違ってろくな暖房設備もないから、あまり気温が下がると死者が出るだろう。

昨年はクリスマスのあとの日曜日にインド洋大津波が発生して20万人を超える犠牲と行方不明者が出てしまった。2005年はふたつの大きな「D」の年になる、つまり「災害」と「デジタル」だ、などと会社で知ったかぶった年頭の挨拶をした憶えがあるが、災害はその後もパキスタンでの大地震などがあり、日本では年末に来てまた天候が大荒れに荒れている。

デジタルの方はといえば、我が家にも地上波デジタル放送を受信するテレビが一台はいった。
それ以前からも衛星デジタルは見ているが、静岡県で地上波デジタル放送が始まったのは今年になってからである。長いこと「試験放送」とか「試験電波発信中」という状態だったが、なにやら昔々のUHF放送が始まったころを思い出して懐かしくもあった。

デジタル化はどうしようもなく蔓延してきており、我が家がこのインターネットにつながってからすでに9年を超えた。仕事でも私生活でも、Macintoshコンピューターのヘビーな使用状況はすでに10年を超えており、それ以前からもワープロなど使ってきているし、レコードは使わなくなって代わりにCDを使っている。

今ではそのCDすら買わずにオンラインで音楽ソフトを購入できるようになっているし、音楽用カセットテープなど、はたして今でも生産されているのだろうかと思う。1992年式である愛車のビートにはカセットを再生する装置がついているが、家でラジカセを使わなくなっているため、CDからのダビングなど、もう何年もやったことがない。映画もDVDばかりとなり、1987年製VHSの再生機は故障したままだ。

本サイトで紹介している「フランスの古い絵葉書のコレクション」をご覧いただきたいが、これらはどうやら20世紀初頭のものであるらしい。
つまり百年経っている。「百年プリント」という謳い文句があったが、これらコレクションに色付きのものがあるのは、モノクロ写真に色絵の具で綵色しているためである。
つまりどの絵葉書も印刷ではなく、本物の印画紙による写真であったわけだ。それが1980年代、パリに長く逗留したころの蚤の市では、これでもかと並べて売っている店がいくつも出ていたから、百年前当時はこうした本物の写真による葉書が普及し、誰にでも愛用されていたのだろう。

このコレクションにはクリスマスカードや年賀はがきも混じっているが、年賀はがきを写真でということに強い抵抗を示す人が少なからずいた。あるいは今でも少なくないのかもしれないが、彼らはこの百年前の写真葉書を見たら、抵抗できるのだろうか。
いえそんなものは、百年前からありますよ。珍しいものでも新しいものでもありません。
そういって百年前の写真葉書を見せたいものである。

しかし彼ら“抵抗勢力”の言いたいこともわかる。
つまり、年賀はがきぐらい、手書きや、せめて手作りの木版画などで出すべきだということである。
私は美大の校友会で支部長などやらされてきたので、先輩たちからは版画や、絵筆で綵色された、まさに美術品というべき美しい年賀はがきをいただくのだが、それを見れば確かに、写真で年賀状というのは値打ちがないのかもしれないとも思えてくる。ましてやオフセット印刷で何百枚印刷させましたなどという、これも私が度々使ってきたやり方では、値打ちがまったくないということになってしまう。

美術をやってきてるんだろう?絵が描けるんだろう?プロなんだろう?なんで描かないの?

そんなふうに追い込まれたら降参してしまうかもしれない。確かに、芸術ではないにせよ、イラストを描くことに関しては、一応プロの端くれということになっている。それなのに、もう十年以上も写真とフォントの年賀状しか出していないのである。

デザイナーだもんですから、写真とフォントで制作するのもプロなんです、ということでお許しくださいと逃げるほかはないが、“心”はどこにあるんだよ?というのが、そんな私へのとどめの一撃となるのかもしれない。

しかしどうだろうか。“心”を言うなら、写真に心がないという話になるが、そんなことはない。写真にだって心はあるし、フォントで並べた「謹賀新年」だって、木版を彫った「謹賀新年」だって、同じように心があるはずだ。

“心”というのは表現に用いる道具が決めるものではないのだ。
木版画でないと“心”が出せない人は木版画をやれば良いだろうし、毛筆でなければとなれば毛筆、絵心も筆もてんで自信がないとなれば写真や印刷に頼るほかはないが、写真なら“心”が伝えられそうだと思う人も少なくないから、それならそれで良いのではないだろうか。

自民党の武部幹事長が良いことを言っていた。
新しいことに抵抗する人というものは、「既成概念、固定観念、経験則」でしか考えられない、行動できない人だというのだ。

人間というのもなかなか悲しい生き物で、「既成概念、固定観念、経験則」によって生きているということが確かにある。しかし現状を打開してさらなる向上をはかろうと思えば、それが大いに邪魔をする。また、歳をとればとるほどに、その傾向も強くなる。

毛筆、木版画でなければいかんという気持ちもわかるが、写真で出したい者もいるのだから、道具や方法がどう変わろうとも、その道具、その方法で最善を尽くしましたという、そこに込められた“心”を汲んでいきたいものである。
051229

伊豆諸島

大島、利島、新島、三宅島、御蔵島、神津島、八丈島を「伊豆七島」と呼ぶのだそうだが、ここに写っているのは、利島、鵜渡根島、新島、式根島、神津島であるらしい。
大島はもちろん近いので、写真外左外に大きく見えていた。伊豆半島の南部、下田市東部の展望台からの写真である。

三宅島と御蔵島も、新島の向こうに見えることがあるらしいがわからなかった。しかしよく見えた方だといって良いだろう。

広角で撮影しているため、細部まで写らないのは残念である。何枚かに分ければ良いのだろうが、それでは展望台の景色ではなくなってしまう。
051228

ジャクソン版キングコングのキャラクター

来年の(2005年作品が対象となる)アカデミー賞は、おそらくこのジャクソン版『King Kong』がかなりさらっていくのではないかと思う。昨日も書いた通り、すごい映画なのである。

実は、映画狂いだった高校時代にはよくあったが、それ以来なかったことをしてしまった。
昨日は、子供と一緒に吹き替え版を見てきたのだが、きょうまたひとりで字幕版を見てきたのだ。公開中の映画を二度も観たのである。二度以上を別々に金を払ってみたのは『燃えよドラゴン』以外に記憶はない(日本で二度、フランスのパリで一度、モロッコのカサブランカで一度、少なくともそれだけ観ているはずだ。)。高校時代には映画が終わってもそのまま劇場に居座ってもう一度、というのをよくやったものだが、こういうことは人に語るにはちょっと恥ずかしいことでもあるし、滅多にしない。

映画の出来が非常に良いと(個人的に)思ったためもあるが、昨日観賞後に出演俳優の出身など読んでいて、彼らの生の声と英語が聞いてみたくなったためでもある。そして望みはかなったが、ここで特にコメントするほどの新たな感想はなかったりする。

二度目を字幕版で観た後の感想も、やはり昨日の吹き替え版とさほど違わない。吹き替えがそれだけしっかり作られているからだろう。
そもそも、主役のコングは人間の言葉を話さないから吹き替えも必要ない。

しかしそのコングの雄弁であるところが、この映画のすごいところなのである。
コング自体はほとんど全部がVFX(CG)によって描かれているので存在しないのだが、その動きや表情をコンピューターにデータとして取り込むために、撮影隊を乗せてコングの棲むSCULL ISLANDへ冒険に出掛けるVENTURE号乗組員として生で登場もしているアンディ・サーキスが、モーション・キャプチャーのため陰で演技をしているという。昨日書いた通りである。

完成度の極めて高い演技をさせた監督のピーター・ジャクソンの技量とともに、世界各地のゴリラを研究してきて見事演じたサーキスの演技力は、いくら高く評価されてもされすぎることはないだろう。

それほどまでにこのコングは生きている。その生い立ちや、心に抱えている悩みまでもが見事に表現されているのだ。

ここまでの表現をやり遂げるには、映画に音声が入る、いわゆるトーキー以前のサイレント時代の映画をかなり研究してこないとできないことではあるまいか。
オリジナルのRKO版『キング・コング』が作られたのは1933年だから、まだトーキーが始まって十年と経っていない時代である。チャップリンなどは『キング・コング』より3年あとの1936年にもほぼ全編サイレントの『モダン・タイムズ』を発表しているくらいである。

つまり当時は出演する俳優も、スタッフも、サイレント映画の技法をこなせる人が多く、『キング・コング』にもサイレント時代の名残があり、それがまた独特の豊かな表現力にもなっていたのだと思う。

そのオリジナル版を超える作品を作るには、ただ現代のデジタル技術に頼るだけではなく、オリジナル版がもっていた無言でも通ずる表現の豊かさを凌駕する必要があったわけだ。

そしてジャクソンとサーキスは見事それをやり遂げた。
051224

2005年『キング・コング』、本物の巨大ゴリラ

アンディ・サーキス、ナオミ・ワッツ主演、2005年ユニバーサル映画作品、『キング・コング』が先週末よりロードショー公開されている。

アンディ・サーキスという俳優は私より4つも若いそうだが、地味ながら存在感の強い脇役と、コングのモーションキャプチャーという一人二役を演じているから、ヒロインのナオミ・ワッツと共に、事実上の主演となる。

監督は、ニュージーランド人のピーター・ジャクソン。この人も私より1歳若い。『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』という作品でアカデミー賞11部門ノミネートという快挙を成し遂げたすごい人である。

すごいのは監督ばかりではもちろんなく、主演として上にあげた二人もすごいし、例によってもはやどこからどこまでと全くわからない高度なヴィジュアルエフェクツ(スパーバイザー:ジョー・レッテリ)もすごいし、ドラマ部分もなかなか深い。なにからなにまでものすごい映画を作ったものだと感心しきりである。

特に期待して見たのは、主役であるコングのキャラクター描写以上に、1930年代ニューヨークの町並みや風俗の再現であったが、1933年、初めて映画化されたRKO映画による『キング・コング』へのジャクソン監督によるオマージュの深さを感じて見事だった。

1933年にヒロインを演じた女優フェイ・レイの名や、RKOの名もちゃんと台詞の中に盛り込まれていて、特にストーリーの中で映画監督を演じるジャック・ブラックが、主演女優にキャンセルされた穴埋めにフェイ・レイを起用したがるところなどは、全体が暗いムードのこの作品の中で最大のユーモアと見てもよいだろう。

1933年の『キング・コング』はモノクロで、コングは人形アニメによるものだったが、高校時代に名画座だったか、しっかりとスクリーンで鑑賞する機会があった。アニメ映画のジャンルに入れたい人も少なくないようだが、この映画が後世に与えた影響は大きかった。

同じように最近リメイクされた『宇宙戦争』が巨匠スピルバーグの作品でありながら、ただ古くささばかりが際立ったのと比べると、『キング・コング』には種を超越した「愛」とともに、「西欧文明の傲慢さによる種の絶滅」という普遍的なテーマもあるから、ジャクソン監督でなくとも取り組み甲斐のあるテーマであり、作品の質も自ずと高いものになりやすいのかもしれない。

ところが、高校時代に期待してロードショー公開を観たディノ・デ・ラウレンティス製作、ジョン・ギラーミン監督、ジェシカ・ラング主演での『キングコング』(1976年)では、いかにもイタリアンな血を感ずる山師的大仕掛けが目立ちすぎて失敗作だったのではないかと思っている。
ラングはそれなりに熱演していて、巨大な手の仕掛けに締め上げられて怪我も負ったそうだが、今となっては、アルカイーダにより破壊されてしまったニューヨーク世界貿易センターのツインタワーにコングがよじ上った点ばかりが歴史に残ったというべきだろう。それというのも、この2005年ジャクソン版『キング・コング』の出来が良すぎるためということにもなってきそうだ。

書きたいことは山ほどあるが、いくらでも長くなりそうなのでとにかく、まだ観ていない人のために「すごい映画だ」というだけにしておきたい。
ただしこの監督さん、かなり暗い人だと思う。笑える場面があまりない上に、全体を通して陰気なムードである。

日本映画のキングコングというのもかつては作られていて、「ゴジラ対」というのがついたりするのだが、出来の悪い着ぐるみコングのナンセンスな“明るさ”以外に見るところはない。
それが今回のジャクソン作品では、『ジュラシック・パーク』よりも格段に進歩したリアルな恐竜たちもこれでもかと暴れ回り、「Tレックス対キングコング」の超リアルな決闘場面までサービスしてくれる。
日本で「ゴジラ」を作ってきたスタッフにも、反省と共に学ぶべき点が多いのではないだろうか。
051223

今朝未明にはかなりの強風が吹き荒れていたようだが、朝6時半ごろ外を見ると雪が降っていた。
しかしその雪もいつも通り積もることはなく、日陰に駐車している車をただ汚してくれただけだった。
このところ雨も降らず埃っぽかったので車のボディーに埃がたまっていたためだ。

写真は今朝午前10時45分ごろ、静岡市清水区は三保の真崎海岸より撮影した富士である。
クリックすると〈1024×768〉ピクセルの画像を別ウインドウで開く。
最近主流のモニターサイズなので、デスクトップピクチャー(壁紙)に使っていただくことができる。
051222

「ちょっと変」を知る感性

小平市のアパートは、初めての一人暮らしに興奮していたせいもあって、まんざらでもないと思っていた。
美大に入ってすぐのころからガールフレンドができたこともあり、むしろバラ色の学生生活でさえあった。
しかし今になって改めてあの頃を振り返れば、運気が、あのアパートによって相当に悪かったのではないかと思えてならない。

あのアパートはやはり何かあったのだろうと思う。
きっと自分が住んでいたあの部屋に、あの幽霊は住んでいたのだろうと思う。
寝ている間には頻繁に金縛りにもあったし、夜、襖から天井に立ちのぼるような黒っぽい人影を見たこともある。
真下に住んでいた五十ぐらいの男性が、亡くなってから一週間ぐらいの間、誰にも発見されなかったということもあった。
ある日帰宅したら制服の警官や刑事さんが来ていて、管理人さんにその事実を知らされたのだ。

学業は、すべてがギリギリという調子で、美大一年目にして危うく留年しそうになったし、美大で本当に身に付いたといえるような勉強も制作もしてこられなかったように思っている。

すべてがあのアパートのせいだとはいえないだろうが、やはりどうも、あのアパートに暮らすことが自分にプラスに働いたという気はしないのだ。自ら望んで、しかも極端に難しい入試を突破して入学した美大であったのに、一人暮らしを始めて以来、なにかから逃げよう逃げようとする衝動が常に働いていたように思う。

科学的には説明できないところでの、つまりいわゆるオカルト的なところでの、何らかの力の作用というものは、事実として存在するのだろうと思う。

それを敏感に察知して、なんだかここ気持ちが悪いなと感じられる感性というものも、私たちには必要なのではあるまいか。
051220

本物の幽霊が出た話

アパートは、薄暗い林の一角に立っていた。
部屋は文字通り畳が敷かれた六畳間、あちこち剥がれ落ちた壁、三畳ほどの台所はタイル張りの流し台で、専用の水洗トイレは上からぶら下がった紐を引いて流す古めかしいタイプだった。
部屋数12、コの字形の二階建てで、私の部屋は鉄製の階段をあがった二階の真ん中あたり、住み始めがすでに築17年だったが、初めての一人暮らしには十分すぎるアパートだった。月1万4千円という家賃も、1979年当時として安い部類だったのだろう。

東京都小平市での学生生活がそこで始まったのだが、東京が地元の級友に教えられ、休みの日に面白いアルバイトに行くようになった。
高田馬場の駅から歩いてすぐのところに小さな公園があって、そこへ早朝一番の電車で駆けつけると、日雇い労働者が集まっている。建築現場などでの仕事だから身なりはそれなりで、若い学生風から高齢者まで様々。格安の朝食を出すめし屋も湯気をあげていて、なにやら郷愁を誘うものもあった。
手配役が来て、
「6千円、6千円。」
と募集をかける。
「兄ちゃん行くか?」
「はい、お願いします!」
という具合に仕事が決まる。6千円というのが日当である。
運が良ければ日当8千円ということもあったが、仕事にあぶれてしまい無駄足ということもあったから、8千円の仕事が見つかるまでパスしておくというわけにもいかない。

慣れない仕事でスコップの使い方すらさまにならぬまま、へとへとになって一日が終わると、帰り支度とともに現金が支給される。
懐が暖かくなって疲れが吹き飛び、また来たいと思う。
東京の色々な現場に連れて行かれるので、なかなか貴重な社会見学にもなった。
そんなアルバイトだった。

ある晩も、翌朝の早起きに備えて早めに寝床に入った。
コの字形の外側、林に面した北側の窓に簡単なベッドを置いて寝ていた。
雨の降りしきる夏の夜だった。
ぐっすり眠っていたのだが、ガラス窓を外からガシャガシャと叩く音がして目が醒めた。
時計は午前3時ごろだった。
こんな時間に起こされてはたまらないと思ったが、叩く音が執拗だったため仕方なく窓を開けてみた。
白いYシャツを来て、髪を七三に分けた若い男だった。窓の東側から顔を出し、雨の中で濡れていた。
「隣の者ですが、この窓に干してあったシャツ、知りませんか?」
という。
ここは自分の部屋の窓だし、彼のシャツなど知るはずもないから知りませんと答えた。
「シャツはいいんですが、胸のポケットに大事な物がはいっていたんです。」
男はたいそう困った様子だった。
「シャツは知りません。明日早いのですみません。」
そう答えて窓を閉めたが、それきり目が醒めて夜が明けるまで眠れなかった。

後日、遊びに来ていた友人にその時のことを話した。
話してみて、はてと思った。
いったい彼はどうやってあの窓を叩いて現れたのか。

改めて窓を開けてみた。
窓の外は地面までストンと壁があるだけで、そこに人の立つ場所はなかった。東隣の部屋の窓まで壁が一間半はあり、そこに掴まることのできるものもなかったから、壁をつたって来るのも不可能だった。
また、下からよじ登ることも、どこかにぶら下がることもできるようにはなっていない。
あのときあの男は東側から顔を出していたが、東隣の部屋からそのような芸当をやってのけるのは、どう見ても、どう考えても不可能だった。
また、あのときは隣の部屋の人の顔を知らなかったために隣の人だと思い込んでいたのだが、その後知ったその人は、あの雨に濡れた男とはまったくの別人だった。
051219-2

“人間賛美=環境破壊”という当たり前の事実

中国でもインドでも、自動車の生産台数は伸び続け、道路に自動車が溢れるようになってきている。
儲かるのは自動車会社で、自動車を所有できるようになった途上国庶民も鼻高々。
同時に石油の消費も増えて地球の温暖化にも貢献する。

世界的に、地球環境の保護というものに向けて本気で対策を講じるという気があるのなら、まず最も簡単な話、車を我慢すれば良いのだろう。
発展途上国では自家用車などないのが普通であるし、日本でもマイカーブーム以前には、自家用車など庶民の手に届くものではなかったのだから、そのころの暮らし方に戻ればいいだけの話である。もちろん、それがアメリカとなればもうちょっと昔に戻ることになる。

例えば、自動車を所有するためにかかる諸々の税金を、今の百倍ぐらいにする。
自動車に給油するガソリンにかかる税金も百倍にすれば、1リッターあたり1万円近い燃料費がかかるようになる。
自動車税も、毎年の自動車税だけで車両本体価格の5倍ぐらいの税金をかける。
そうすれば、よほどの極端な金持ち以外は自家用車を所有できなくなるから、現状のように道路が駐車場みたいになって朝から晩まで数百万台、数千万台の車から排気ガスが排出され続けるようなことは、すっかりなくなってしまう。
空気はきれいになり、庶民の足腰だって強くなる。
リヤカーや大八車も復活して、のどかな田園風景が復活する。
この税制の施行直後は、なかなか車を手放せずに泣く泣く税金を払う人もいるだろうから、財政赤字など1年もあれば解決するかもしれない。(計算したわけではないが。)

いいことづくめである。

困るのは、自動車メーカーと自動車関連で食ってる企業や人々である。
ものすごい大規模の倒産と失業が出るだろう。
日本のGNPも数分の1規模にまで縮小するのかもしれない。
そうなれば戦後復興みたいに、すべて一からやり直しである。

さて何が言いたいのかといえば、要するに無理だということだ。
無理というのは、自動車依存のこの生活を変えるのが無理。
それが無理なのはマクロな経済の面もあるだろうが、それ以前に個人個人のエゴと欲望が押さえられないのだ。

中国やインドでのモータリゼーションなど、まだやっとこれからだというのに、例えば日本が何もかも捨てて地球環境のために自動車を捨てるなどという英断を下すことが、できるはずもない。

地球規模の環境破壊が続くのは、経済のため、個人の欲望のため、みなで欲望を肯定しましょうという政治や法律に支えられているためであって、つまり私たち人類が、地球よりも人間を優先させ続けるためであろう。

だから、もし本気で地球環境を元通りにしたいとなれば、人間よりも地球を優先させればよいだけのことなのである。
しかしそんなことは不可能なのである。

不可能の中に可能性を見いだそうというパラドックスの中にのみ、「環境保護」の議論はある。
そんなものが、地球の役に立たないことは自明である。
役に立つとすれば、それもやはり人間のために役に立つだけである。

今年は、愛知県で「愛・地球博」なるものが開催されて大変な賑わいだった。
私も二度、足を運んだが、どの展示を見ても、詰まるところ人間賛美が貫かれている印象が強かった。
人間を賛美する限り、地球規模の住み良い環境はとめどなく破壊されていく。
そんな当たり前の事実をはっきりと打ち出せるような企業も国家も、この地球上には存在しないのだ。

さて、今度のドライブはどこへ行こうか。
051219

The Day After Tomorrow

標題のアメリカ映画を最近観たので寒さが恐ろしくなっている。
12月にこのような寒さというのは、雪国でなくても初めてではあるまいか。
明日は静岡市で最高気温が7度まで下がる(この冬初めての一桁気温)という予報が出ている。
我が家ではスケート(屋外)に行こうかなどとも考えたが、そこまで寒いとなると危険回避で中止である。
風も強いかもしれない。
051217

エンブレム


「jomon.sumpu.net」の新ロゴを考えてみた。あまり意味はない。
051216

思想

右翼思想には、天皇を神と仰ぎ大和民族による大同団結で本来の大日本を建て直そうという議論があるようだ。
詳しいことはわからないが、戦後の占領下において天皇の実権が剥奪され国民も不在で「平和憲法」が押しつけられたことは事実である。それを正そうという思想があるのはまあ、当然であろうと思う。

去る12月10日夜、新潟市の岸壁でその思想家の一人が割腹自殺を果たしたらしい。
心より冥福を祈りたいが、人は思想のために死ねることを、身を以て示したということなのであろう。三島由紀夫がそうであったように。

理解、しようと思えば理解できる。しかし、とまた考える。
思想とは、社会が共有する経験と、そこから生じてきた価値観を基礎としていて初めて支持が得られるものである。
実際の経験によらず、むしろその経験や価値観から乖離したところにある思想は常に危険なものである。共産主義思想の破綻を見れば明らかであり、類似の思想には平成のオウム真理教事件がある。またアメリカの禁酒法なども似たようなものではあるまいか。

そうした思想は、社会の外から持ち込まれたものであったり、あるいは一部の口のうまい人間の思い込みによって周囲をたぶらかした結果であったりするのであろう。

冒頭にあげたような右翼思想が、今や力をもたなくなったのはなぜかと言えば、戦前にはそうした思想が必要であったが、現代に必要がなくなったためであり、また戦後、現代に至るまでに積み重ねられてきた経験と価値観が、戦前における経験と価値観とはかなり性質が異なってきたためである。

日本に古来より皇室の伝統があり、現代でも天皇制がなんとか存続しているのは、ただひたすら古いものを絶対視して保護してきたためばかりではなかろう。それは皇室が、時代ごとに形を変えつつも機能してきたためではないのか。

時間が経てば時代が変わる。時代が変わればそれまでになかったような種々の新しい要請が生ずる。未経験の局面が国家存続の危機ともなるから、そこで滅びるわけにはゆかぬと智慧を絞り立ち向かう。そうした窮状打開の連続が、今の日本をまだこうして存続させているのである。ただ古きを守り抜いてきた結果では決してない。窮状打開には、新たな策の発案と実行が必要で、それがまた経験となり、新たな価値をも生み出す。そうして無数の新しい価値が蓄積されたその上にのみ、現代はある。

そんな現代は断固として拒否するとなれば、もはや生きているのも困難となろう。
しかし人間は、死んで気付くことも多いのではあるまいか。
自ら気付き、同時に残された人々に気付かせることが多いのではあるまいか。
それもまた人々の経験となり、新しい価値を生み出すのである。
無駄な死などひとつとしてありはしない。
051214-2

スポーツ

「健康のためにスポーツをやるなんて、スポーツを冒涜してます。」
上岡龍太郎氏が1990年代はじめごろ(?)に熱く語っていた言葉である。
それを聞くまでの私もまったく同じことを考えていたので激しく同感したものだ。

当時も民放テレビはあまり見ていなかったのだが、上岡氏は確かマラソンランナーだったのではないか。Googleで検索するとどうやらマラソンに関わる著作もあるようだ。

それはともかくとして、スポーツというのはそもそも、やるかやられるか、生きるか死ぬかという闘争であって、相手を傷つけ、己を傷つけることが許され、またそれを目的とするものであるのだから、それによって健康になろうというのはちょっとおかしい。

健康指向であるのなら、適度な運動をするとか、栄養に気を遣った食生活をするとかいうことになるはずであるが、それをスポーツにしてしまえば、戦うために体を鍛えて強くなることはあっても、戦うことで傷つき傷つけられるのであるから、健康のためならスポーツに踏み込むのはやめておくべきだという話になる。

とはいえ、若いころには大いにスポーツを指向して体を鍛えるべきであることに異論はない。若いころというのは怪我などしても快復も早いから、傷ついてもむしろ強くなる機会が多いからだ。

しかしやりすぎると一生の傷や持病を背負うことにもなるから、どこまで、というところはなかなか難しいのではあるまいか。

私は高校時代に高いところから飛び降りるのにはまっていたことがあって、2階の屋根からコンクリートの地面にダイビングしては喜んでいた。しかしそれがエスカレートしてしまい、3階まではいかないが、2階よりはかなり高い石垣から飛び降りて、左足の踵を激しく打ち付けてしばらく松葉杖暮らしをしたことがある。
また中学高校と必須科目だった柔道では、乱取りの最中、急に隣から倒れこんできた同級生によって左膝の靱帯を傷つけられた。この時にも歩けなくなり松葉杖だった。

踵と膝の怪我は、その後も天候が悪いときなどによく痛んだ。
度々自転車旅行に出掛けたので、寒い雨の中を走るときにはペダルを踏めないほどに痛んだこともある。

飛び降りも、柔道も、自転車旅行も、戦う相手のあるなしに関わらずスポーツである。
スポーツは心と体を鍛えるが、鍛えすぎてかえって弱い体にもなりうるという危険と隣り合わせなのである。
051214

勉強

小学校で6年、中学高校で6年、さらに大学など行けば追加で4年、全部合わせると16年、などという大変な長い期間を“勉強”に費やすことがあって、今やそれはさも普通のことであるかのようである。

一流の大学を卒業しました、などと聞き、さぞ立派な人であろうなどと考えるのが早計であることは、もはや常識であろう。
学校でする勉強など、実は取るに足らぬことであることが多いからだ。

同級生がいて同期生がいて、先輩があり後輩が続く。何百人、何千人という子供や若者が、ベルトコンベヤに乗せられた薄っぺらな鉄板よろしく、切り取られ、プレスされ、穴を明けられ、ビスを通されナットで締め上げられて、何年、何十年と変わらぬ品質の製品として“羽ばたいて”ゆく。
それも学生として真面目であればあるほどにそういうことになっている。

つまり、学力や偏差値なるものが高ければ高いほど、信用ならぬ人物が生まれかねぬという心配すら生じてくるのである。

肝心なところは、どんな学歴があるかではなく、学校を卒業して社会に出た、その後に、果たしてなにを勉強してきたかということであろう。

学生時代の成績や学校名に甘んじて卒業後には何もせず生きてきたなどという輩が最も危うく、愚かであることは議論を待たぬ。

学校というのは、子供のやる気の差、親の方針や教師との相性の差などで、進む方向はいくらでも変わる。
公立中学までは誰も同じに進めるが、高校受験あたりから、学力に応じての個人差が激しくなってきて、立派な学校、情けない学校といった区別・差別に甘んじて少年期を終えることになる。

「良い」高校に行こうが、「情けない」高校に行こうが、問題は社会に出てから後、死ぬまでの間、どれほど向上心を保ち続けられるか、なのであって、学生時代に卒業がゴールと考えたくなるようなつらい学業を強いられることは却って堕落の原因ともなりうるから親としてもその点で注意が必要だ。

学歴コンプレックスのある者は、学歴にかまわず勉強すればよし。学歴にあぐらをかいた者などすぐにも蹴落とせると知るべきであろう。
051213

狂った基準

子供が「おとな」に惨殺されるという事件が相次ぐ。
怒りなど通り越してしまった。
惨殺、あるいは単に殺傷という行為がどうして選択肢にあるのか、理解をとうに越えている。

もう何年も前には幼稚園に通う女の子が“おともだちの母親”に殺された。
山田という姓のその女は静岡県も大井川町の出身だったという。
これも、決して忘れてはならない事件である。

おそらくこうした「選択肢」を持つ化け物たちの中には、日常の家庭生活において“怒り”や“不安”、あるいは“欲望”といった感情の処理方法を持たない者が多いのではないかと考える。

怒りの感情が湧いて出たら、大声で怒鳴り散らせば良い。
それを完全に禁じられたら、より危険な処理方法を取ることもあり得る。

不安に襲われたら、大声で泣き喚けば良かろう。
それを完全に禁じられることも危険であるはずだ。

欲望が抑えられないのは、幼少からの教育環境が狂っていたのかもしれない。
思い通りにならないのが世の中であり、それが常識である。

誰でも、世のため人のために役立つ人間となるためにのみ、生まれてきている。
他に目的などないのが人生である。(もちろん、世のため人のためになった上で、自分の楽しみを持つことはいくらでも許されている。)

しかしどうやら、世間が個人に禁じている事柄が多すぎるのではないか。
また同時に、許すべきでないことを許してきた事柄もあるのではないか。

怒鳴り散らしたり、泣き喚いたりすることがどれほど悪いことなのか。
それを禁じて、取り返しのつかない犯行に走らせていることがあるのではないか。

何事も我慢が大事ではある。
しかし、どうしてもすべき我慢と、許されてよい我慢とを区別すべきではないのか。

そうした区別の基準が狂っているからこその犯行ではないのか。
051210

Kane, kane, kane!

今の会社に拾ってもらって十年、かれこれ○千万円以上支給されたはずである。

…どこへ消えたのか。
考えてもしょうがないが、年末になると何かと金の出入りが激しくなってくる。もちろん余裕というほどの余裕もない。

子供たちがサンタクロースの存在を信じなくなったため、「信じられなくなったらサンタさんはもう来ないのだ。」ということで、その分は若干節約できそうではあるが、微々たるものであろう。

幸い、年末にどっと支払うようなローンはないし、正月を過ぎるとやってくるビートの車検も来年はなく、来年は1年間、自動車税と軽自動車税とそれぞれの保険ぐらいで、まとまった支出は他に予定されていないから少しは楽になってくるのかもしれない。

考えれば、ビート1台は余分なのである。子供たちが小さいころは、この助手席に二人乗せてどこへでも出掛けたものだが、もうひとりずつしか乗れないので、ジーノ1000さえあれば、あとは実用上不要な車だということになる。それでもやめずに乗り続けているのは自分の楽しみのためのみであって、その楽しみを我慢すればさらに家計は楽になる。

しかしやめられない。たまには一人でドライブを楽しみたい。これ以上はないというくらい思い通りに走ってくれるこの車がなくなると、自分の人生のためのささやかな楽しみがなくなってしまう。もちろん、子育てとどちらを優先するかとなれば子育てに決まっているが、まだどうにかビート1台ぐらい持っていても、2年に一度の車検と、軽自動車税、保険、ハイオクのガソリン代…ぐらいはなんとかなっている。

しかし自分の楽しみのための贅沢にみずから縛られ身動きが取れなくなるような愚はおかすまいと思うから、いざとなって大幅な節約を迫られたら手放すつもりでいる。

節約といえば、携帯電話2台とインターネット接続料という通信費も節約を始めている。
これまでは固定電話の基本料金、携帯2台、ADSLのインターネットを合わせて最低でも1万6千円ぐらいかかっていたのを、1万円以内に押さえつつある。
携帯もインターネットも始めていなかった1995年ごろは、毎月の固定電話料のみで1万円程度はかかっていたから、通信費が当時に戻ることになる。

実は携帯電話のうちの1台がWILLCOMの「定額プラン」で月2900円なのだが、今月からWILLCOMで「ADSL接続サービス」を始めてくれたため、携帯電話端末とセットにすると月1885円でADSLがつながるようになる。(これまではODNに約4千円支払ってきた。)
また、もう1台の携帯電話はauなのだが、これも解約してWILLCOMにすれば、EメールやWILLCOM間の通話料が無料になりさらに安くなる。

あとは、いかにしてauからWILLCOMに乗り換えるかである。すでに知らせてある電話番号の変更を知らせる相手は、仕事と友人関係だけではなく、諸々のID登録にも使用してきたので、どこにどう知らせるべきなのか、自分で把握できていないのである。
ええい、ままよ!とやってしまって、後から考えるというのが最善かもしれない。“案ずるより解約は易し”に違いない。
051206

雪景色

静岡市内、人の住んでいるところに雪が降り積もった。
といっても安倍川も上流の梅ヶ島(うめがしま)地区である。
雪用のタイヤなどないので恐る恐るの走行であるが、大して積もってはいないから無雪地帯の住人にもなんとかなった。しかし雪国の皆さんから笑われるような走り方であったに違いない。
051205

するが

一昨日右側の欄にも書いたが、もし「順光で明るい富士の見える地域」という色合いが「するが」に込められてきたのなら、それは昔からの日本人の心そのものであろう。沼津の人たちの心をやや差し置いたようで多少申し訳ない気もするが、その心を静岡市駿河区がいただいたということになろう。

“葵区”“清水区”“駿河区”というたった三つの区分で、“清水”には本来、清水市だった地域という真っ当な理由があるが、“葵”と“駿河”には、幾多の郡村を合併してきた経緯があるため、適当と言えるような本来の呼称が見当たらない。“駿河”を“有度”としてしまえば“有度”にはむしろ“清水”にかかる地域もあったし、それも適当と言い切れないのではないかと思う。

平成17年、“駿河区”の発生と共に始めたほぼ連日のコラムであったが、早くも12月となった。
“するが”に込められたいにしえの心に思いを馳せつつ、日々富士を仰ぎ見て暮らしたいと思う。
051203

よそ者

広島で小学一年生の女の子が殺された事件に関連する。

事件の犯人はどうやらその“よそ者”、日系3世ペルー人であると見られているが、動機がさっぱりわからない。まったくわからないことを想像してもどうにもならないが、安アパートに一人暮らしをしていて、安定した職もなく、地球の反対側に妻と子供を置いてきている、そして日本語がほとんどできないという。

ここからは一般論である。
日本に住んでいて日本語ができないというのは、住んでいるといっても体がそこにあるだけのことで、日本社会との関わりというものがまるでないわけである。

私も若いころには言葉のまったく通じない国に1か月とか、2か月とか、体を置いた経験があるのだが、現地に英語でも通じる人がいる間は良いが、いなくなって一人になれば、また英語なりの通じる人をさがすことになる。
それが見つからず一日が過ぎれば、その一日は完全な孤独となる。
完全な孤独でも、国に手紙など書いている間はまだ良いが、それすらなく、ただぶらぶら歩いたり、景色を眺めたりすることになれば、自分がそこを単に通過しているだけという寂しさがつきまとう。
そして、眺める景色のあるうちは、まだ良い。
景色など眺めたくもなくなったという時が、最も危ういのではあるまいか。
その時こそが、現地の人々にとっても油断のならない“よそ者”になっているのではあるまいか。

よそ者としては、怪しい者でないと思われたいものであり、現地の人々も、彼に危険のないことを心から願っている。
しかし言葉も通じぬから、ともすると、互いに交わす視線と視線が激しくぶつかり合うこともある。そこに理由らしい理由のない憎悪が芽生えることもある。

よそ者はだから危険なのだといって警戒することになるのも仕方ない。しかし危険なのは、そこに理由もなく生ずる憎悪そのものであるはずだ。
ふとした視線から生ずる危険な対立をいかに未然に防ぐかという智慧があるはずである。その智慧は、身につけておいて決して無駄にはなるまい。
051201

ボク、じょーもん坊や。
ボクをさわると
運動するヨ!
Google

jomon.sumpu.net
www
Yahoo! JAPAN

サーチする:  
Amazon.co.jp のロゴ
さあ大変だと。
こういう形でのサイト運営は今年も春になってからのことで、年が明けたらどうしたものか、よく考えずに来てしまいました。
差し当たり、明日は年賀状でもアップさせていただきます。
どちらさまも良いお年をお迎えください。
051231
このところ10度なんて言ってられない静岡市ですが、毎日やけに快晴が続きます。いくら晴れても気温は上がらず、いくら寒くても雪は降りません。
午後4時45分ごろの富士山、陽もすっかり沈んで当たらず、背景の空ばかりが桃色に輝いて見えます。そのきれいな桃色が、とても寒そうに見えるから不思議です。
051219
最高気温がなかなか10度を下回らない静岡市なんですが、今日の予想はついに10度ちょうど!更新のキーボード打つ指もかじかんでます。まだまだ寒くなるのかもしれませんが、もうこれをピークで折り返して欲しいですねぇ。ろくな暖房器具がないのです…。
051213
今朝は伊豆と箱根の入口である三島市に、最低気温がマイナス1度という予報が出ていました。昨夜の予報です。御殿場市はきっとさらに寒かったことでしょう。富士山の反対側に回って河口湖あたりになるとさらに寒そうです。駿河湾岸の富士市と河口湖の気温差が十度ということもあります。
このところ「駿河」について書きましたが、順光で明るい富士山の見える地域を全般に駿河と呼んだんでしょうね。きっとそうじゃないかと思います。
051201
明日からいよいよ師走に入ります。暑い夏から今まで何してたんだろうと思うんですが、思い出せません。そういう時にはここの過去ログが役に立ちます。
051130
11月もあっという間にぞろ目の11日、めっきり冷えてまいりました。本日は、背景画像(右側欄外の地紋)を今まで横線だったのを斜めにしてみました。これがなかなか面倒な作業でした…。
051111
11月になってしまいました。年賀はがきも発売だそうで、実際、来年の年賀状デザインの仕事も始まっております。年末が、始まった。というところでしょうね。あとは、あっという間にお正月!となるわけです。…やれやれ。
051101
このところ、ここの上に検索窓をつけております。気が変わってまた変える可能性もあるので「縄文ネットの履歴」には載せずにおきます。ヤフージャパンとGoogleの検索窓は、ボタンを自分で作りました。また、テキスト入力欄をGoogleと揃えております。ヤフージャパンオリジナルのHTMLソースはこちらです。どれもちょっと大きすぎたり派手だったりするんですよねぇ…。
051022
この日曜と月曜に、PPD作例集へのアクセス数がなぜか急激に跳ね上がっておりました。恐らく現在も普段にない多数のアクセスが続いているものと思われます。原因を調査しておりますがまだわかりません。どこかアクセス数の非常に多いサイトにてリンクが貼られたものと推察しておりますが、何か情報がございましたら是非、お知らせ下さいますようお願い致します。
051018
今日は「富士山初冠雪!」というニュースが各メディアでも流れているようです。ニュースで聞くより自分で見る方が早いこともあるというのは静岡に住んでいるおかげです。
富士山頂に最初に雪が降る「初雪」の方は、山頂の富士山測候所で行われてきたのですが、例年9月の初旬あたりでした。
富士山頂というところは、実は一年中ほとんど雪が降るので、どの雪が「初」かとはっきりしないところがあって、年間の最高気温のあとを「初雪」としてきたのだそうです。
ところが昨年9月、富士山頂の測候所は、初雪の観測をやめてしまいました。それで今年は「初雪」報道はなく、麓から雪化粧が見えたという意味での「初冠雪」のみの報道となったんですね。
ちなみに、富士山が“すっぴん”で見られるのは、大体7月ごろから9月ごろまでの3か月間だけで、あとはずっと“お化粧”をしています。
051011
10月になりました。昨日伊豆の某峠では気温22度と出てましたが…暑い静岡です。今日は日中室温が30度近くありました。夜は夕涼みがてらアイスクリーム屋へ行ってきました。値段もいいけど味もいいです。月に一度ぐらいは食べたいもんです。
051002
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、きょうは台風がはるか沖を通過して陽射しもまた強くなり、日中をオープンカーのビートで走るには、まだちょっと早いかなというところです。なにしろうちのビートにはエアコンがないんですねぇ。めっきりと言えるほど涼しくなるのが待ち遠しい!
050925
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