jomon.sumpu.net from Suruga, Japan
静岡市駿河区から日本語・パングラム・車・等々の内容をお届けする『縄文ネット』. デザイナーで日本語教師の興津諦が個人運営.  

インターネットにおける日本の伝統的犯罪

インターネットは無法地帯なのか、特にでたらめの勧誘メールが連日後を絶たない。
近ごろでは、メールソフトも進歩してきており、“迷惑メール”を自動的にゴミ箱へ入れてくれるなどするが、それがかえって火に油を注いでいるのか、でたらめのウソメールはこのところ益々増えてきているようである。

単に不要な広告メールであるだけならまだしも、ウソを並べ立て、まるでひと気のない出会いサイトへ誘い込んで金を騙し取ろうとする悪質な犯罪メールが近ごろは特に増えているのではないだろうか。
私の場合は毎日、英語や中国語でも様々な広告メールが送信されてくるが、一番ひどいのは日本語による日本のメールである。

ありがちなサブジェクトをあげてみれば、
「○○グループに参加しませんか?」
「無料ポイント3万円分、ご当選おめでとうございます」
「人妻○○クラブへのお誘い」
「今夜か明日の夜、私と○○してください」
「pregnantできたら100万円の報酬をお支払いします」
「○な私と同棲してください」
「最近さびしくて○○がウズくんです」
「メール読みました。ありがとう」(※もちろんこっちからは出していない)

このようなあり得ない文句に騙される男がいるとも思えないが、それでもネット初心者などがたまに釣れてくるからこうしたメールはなくならないのであろう。
しかし悪いのは騙される側でなく、無辜を騙そうとする犯罪者の方に決まっている。
メールはあちこちから収集されたメールアドレスに無差別に送信しているようであるから、女性に向けての「男募集」といった見当違いなメールもきっと大量に送信されているに違いない。

悪質犯罪メールへの対策については、ほかに専門のサイトや窓口があろうからここでは取り上げないが、私がここで問題にしたいのは、なぜ日本ばかりがこんなに詐欺メールが多いのかということである。

違法コピー商品やED治療薬の販売(ともに英語メールには多い)も犯罪であろうが、そうした明らかな違法商売ではなく、助平根性に付け込んで詐欺サイトへ誘い込み金を騙し取ろうという、この行為ばかりが目立つ、この異常さである。

日本語には「美人局(つつもたせ)」などというけしからん語彙が古くからあるから、これも伝統産業のひとつなのかもしれない。
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駿河とはどこか

静岡市に「駿河区」と、正式に「駿河」のつく地域ができたことをおかしいと見る向きがある。

「駿河(珠流河)」とはそもそも、沼津方面から発生した地名であって、そのころの静岡市方面は「廬原(いはら)」あるいは「安倍廬原」の国であったのだから、その点から見れば確かに、「駿河」をもって市町村のように狭い地域を称するなら、静岡市ではなく沼津市の方が正統だということになるのだろう。

しかし大化2(646)年より、「安倍廬原国」は「駿河國」と共に一つの「駿河國」となる。今から1300年以上も昔の7世紀前半、奈良時代のことである。以来、我が「駿河区」は、「駿河國(するがのくに)」にあった。またその国府も、当初沼津の方(駿河國駿河郡駿河郷)にあったものが天武天皇9(680)年には静岡の方に移された。
また、「駿河國駿河郡」であった沼津あたりは、いつの頃からか「駿河國駿東郡」となってしまった。

こうしたいきさつを眺めて見ると、そもそも沼津そのものだった「駿河」が、なにやら西へ西へと逃げていったかのように見える。これでは沼津の人たちも面白くなかろう。

因みに、スルガ銀行は沼津市に本店があって、相模國方面にも多数の支店をもつ。
この際いっそのことスルガ銀行本店は静岡市駿河区に引っ越してきてはどうだろうか?

まあ冗談だが、地名など、しょせんは人間の都合で決めたものであって、神話伝説にどう言われようと、人智を超えた神の命名でなどあろうはずもないのである。時代が変わればその都合も変わる。これが世の常人の常。
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明治22年の静岡縣有渡郡大里村

これが明治22(1889)年、自治制施行時の地図である。
現在と大きく異なるのは、「中野新田」の領域が不自然にも南に延びていて「中島」と「西脇」「西島」の間、かなり浜に近いところまで来ている点である。現在では、中島と西脇・西島の間に「中野新田」はない。
中島・西脇・西島は、西島の東隣の下島も含めて、元禄11(1698)年以降、瀧脇丹後守の領地だったというから、その関係なのか、あるいは浜川西岸に沿う領域であるし、地名が「新田」であるから、浜川西岸を新たに開墾して新田としたが丹後守さんはその開墾に関わりがなかったということなのかもしれない。

駿河の地に「丹後守」の領地というのは、『静岡縣安倍郡誌』(大正三年八月十二日)を紐解くまで知らなかったが、中島では、明治の前半ごろまでに生まれた人々の間で、「ありがとう」とは言わず、「おおきに」と言ってきた事実がある。この「おおきに」は、あるいは丹後の方からもたらされた言葉であるのかもしれないが、より広い地域で調査してみないことにははっきりしたことは言えない。

また、古代において、駿河國(するがのくに)が相武國(さがむのくに)に属したというのはなんとなくわかるような気がしないでもない。
同じ静岡県内でも遠州の浜松であるとか、愛知県に入って三河であるとかいった地域がなぜか非常に縁遠いところと感じるのに対して、相模(さがみ)方面はさほどでもない。もっともこれは、相模方面の人がどう思ってくれるかわからないし、あくまでも個人的感想にすぎないのかもしれないが、フォッサマグナの関係もあるのかもしれない。

フォッサマグナというのは、日本海側の新潟県は糸魚川から本州を横断して静岡に至る「糸魚川―静岡構造線」と思っていたが、実はその「線」はフォッサマグナの西端であって、実際には幅広く、明治26(1893)年にフォッサマグナの発見を論文で発表したナウマン博士の時にはその東端を直江津から平塚に至るまでの本州横断線としたそうだ。その領域内には、妙高山、黒姫山、八ヶ岳、富士山がある。
現在では東端が「新発田―小出構造線」および「柏崎―千葉構造線」となっており、東京都と房総半島も含まれるらしい。

いずれにせよこの“帯”は、東の北アメリカプレートと西のユーラシアプレートのぶつかりあった境界線だというから、日本が東西まっぷたつに分断されることになる。
静岡はその“帯”の西端で、地図上ではどちらかというと西に属するように見えなくもないが、文化的には東の影響が強いのかもしれない。いや、これもよくわからない。
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静岡市駿河区中島

静岡(しずおか)市と清水(しみず)市が合併した新・静岡市は今年から日本一小さな政令市となり、静岡市内を流れる安倍(あべ)川の河口東岸にある我が中島(なかじま)は駿河(するが)区となったが、行政区がどのように変遷してきたものか興味が湧いたので、昨日静岡県立図書館で調べてみた。

まず、より広域となるが最も古い記録には、「廬原國(いはらのくに)」というのがあったらしい。
静岡県庵原(いはら)郡(富士川町・蒲原町・由比町)というのが今でもあるが、その「庵原」である。
これには現在の志太(しだ)郡を含み、現代でも一般に言うところの「駿河」の前身というべき地域であるらしい。「廬原國」のころには「安倍(阿部=あべ)國」はなかったようだ。

「廬原國」が後に「阿部廬原國(あべいはらのくに)」となる。

「孝徳天皇大化二(AD646)年の改革ありて國郡(くにこおり)の制定めらる、此時安倍廬原國を廢して駿河國(するがのくに)を置かれ九群を立てらる、天武天皇二年(AD673)に至り二群を割き伊豆國(いずのくに)を置き、駿河を志太(しだ。岡部町は現在も志太郡。)、益津(ましづ。焼津市に同名の大字が残る)、有渡(有度=うど。有度山は、日本平のある山)、安倍(あべ)、廬原(富士川から興津川のあたり)、富士、駿河(現在の沼津市方面)の七郡に分ち定めらる。」 「駿河國は古代は相武國(さがむのくに)に属せしが、景行天皇の御宇皇子日本武尊東征の後、足柄嶺より西を割て分國とし、始めて珠流河(するが)、廬原の二國を置きが如し。」

以上は、『静岡縣安倍郡誌』(大正三年八月十二日)の抜粋である。()は私の加筆したもの。

「安倍」と「阿部」、「有度」と「有渡」、「珠流河」と「駿河」など、漢字表記に変化があるのは、日本語には始めに音ありきで、漢字はあくまでも当てたものだからである。

つまり、7世紀の後半頃より「有渡郡(うどのこおり)」という地域が「駿河國(するがのくに)」の中にあったことになる。

これがどうやら、明治22(1889)年の自治制施行まで、あるいは明治11(1878)年1月の郡区町村編成法布告まで、同じ区分が続いていたようである。
『Wikipedia』に「令制国の改廃は、奈良時代までと明治時代になされ、その間の平安時代から江戸時代には長期にわたって変更がなかった。」とある。)
明治初期の文献には、我が「静岡市中島」は「駿河國有渡郡中島村」とある。

明治21(1888)年5月、町村制が発布され、明治22年4月より自治制が施行された。
これにより、幾多の「村」はより大きな地域となる新しい「村」に括られた。この時より「静岡市」の市政も始まったが、当時は駿府城の城下町のみが静岡市だった。
そして「駿河國中島村」は明治22年5月1日より「有渡郡大里村」の中の大字「中島」となった。
7年後の明治29(1896)年4月1日より「有渡郡」は全て「安倍郡」となり、さらに「大里村」他が「静岡市」に合併されたのは、昭和4(1929)年であった。

「中島」のみを見れば、近隣の「西島」「西脇」(以上が現「中島小学区」)および「下島」とともに、寛永10(1633)年より幕府直轄領となり、元禄11(1698)年より「列侯瀧脇丹後守(小島藩主改)之を領す」とある。(『静岡縣安倍郡誌』)
本コラムは、2005年11月28日に一部を修正しました
051127

女系容認への動きを伝統の保守のみに捕らわれて否定するべきだろうか。

憲法に定められて言動の自由を一切持たない特別な家族がある。皇室である。

昔は皇室に限らず、古い伝統をもった家系であるとか、親権の強さであるとかによって、言動の自由などなきに等しい家族というものも少なくなかったことであろうし、現代でも歌舞伎の世界などにそうした伝統が残ってはいるようであるが、法律で拘束されるところまではいかない。

皇室は憲法に定められ、民が直接選挙で選出した議員たちによる議会での決定にしたがって生きる決まりになっている。それは考えてみたら非常に厳しい決まりで、民の誰もが個というものを自由に活かすことができるのに対して、皇族方にはただ公のみがあって、個は誰の目にも触れてはならぬところにひっそりとおこなわれるのみであり、事実上は剥奪されていると見るほかなかろう。

かつては民の間にも行われてきた個の剥奪が、ただ皇室のみに残されてしまったということであれば、皇室も民の変化に応じてそれなりに変化があってよいのではないだろうか。

憲法に定められる「日本国民統合の象徴」としての、その存在、その存続自体がなにより尊いのであって、民が等しく仰ぎ、深く感謝する存在であり続けることが可能であるのなら、民と同等とまではゆかぬまでも、活き活きと暮らしていただくための個をお持ちいただくことは、皇室と民と、双方にとっての“望み”となりうるのではなかろうか。

皇族に“望み”は許さぬというのが現行憲法下における皇室であるのなら、それは少しでも改善を目指すべきであろう。

さもなければ、民の中から皇族の配偶者を選び出すことが、今後ますます困難を極めることとなる。
それこそ、皇室伝統の崩壊につながりかねない。
051125

モーリス・ギャランの自転車

フランス一周自転車レース「ツール・ド・フランス」が初めて開催されたのが今から102年前の1903年。優勝者はモーリス・ギャラン(ガラン)という怪力男だったらしい。

彼の使用した自転車が写っている古い写真をグーグルのイメージ検索で収集し、それらを参考に改めて作図したのがこの画像である。(この画像の著作権は筆者、興津諦にあります。)

時代はまだアール・ヌーヴォー。この時代のダイヤモンド型フレームの自転車が、現代の自転車の原型ともなっているが、学生時代から好きでたまらず、自分でレプリカを設計してオーダーメイドしたことがある。1982年の西欧自転車旅行もそれで走った。今もあるが、長年使用していないのでタイヤが干涸らびるなどして乗れる状態ではない。
来年は何とか使えるように修理したいと考えているが、あまりに懲りすぎたので完全修理にもいくらかかるかわかったものではない。
051124-2

他人の悲劇は自分の喜劇?

姉歯に構造設計を依頼していたとして、姉歯とともにその不正を疑われていた熊本県の木村建設が破産手続きに入ったそうだ。

経営者はともかく、なんの罪もない人だっていたであろう社員の皆さんには同情する。
しかし私たち人間は、狡いことをしていた人がばれて不幸になることに関しては、ざまあ見ろと残酷に反応するのが常である。
また、ずるいことをしていたとは言えないまでも、単に羽振りの良い人や企業が落ち目になることに関してまで、ざまを見ろと笑うことがよくある。

チャップリンが『自伝』に書いていたことだが、二階から落ちたアイスクリームが、金持ち風の気取った貴婦人の背中にべたっと落ちれば観客は大笑いして喜ぶが、それが貧しい少女だったら喜劇どころか悲劇になってしまう、とまあそんな心理がある。

頭髪まで偽造している(『週刊文春』の見出し)という建築士の姉歯さんは、なにしろ高級で名高いベンツに乗っているそうだし、悪いことがばれて職を失い、今後は犯罪者として扱われることになるわけだが、私たちにとってこれは紛れもなく喜劇であろう。

いつ壊れるかわからないマンションに住んでいる当事者には同情したいし、彼らにとっては間違いなく悲劇なのだろうが、マンションも買えない貧しい一般人には、それとても大いに喜劇かもしれない。
051124

エンガチョ

静岡市の中心部、葵区御幸町にある「三交イン静岡」というホテルが、姉歯による構造設計だったということで、「建物の安全性が確認できるまでの間」休業を決めたそうだ。

「三交イン」というのは、三重県に本拠のあるホテルチェーンだそうで、このニュースを聞くまでは静岡にそんなホテルがあるとは知らなかった。

他にも「桑名駅前」が姉歯の設計だったそうで、そちらも休止だそうだが、「問題はない」ということになっている「名古屋」「豊田」では当然、「引き続き営業」なのだという。

しかしこれを機に「三交イン」の名前がひどい印象になったのは間違いないだろうから、今後全店舗で問題なしになったとしても、ちょっと不安だというのが客の正直な反応だろうから、売り上げが落ち込んでくる可能性もあるかもしれない。

今後は「姉歯」の名が「危険建築」の代名詞となるであろうから、無責任で横着な私たち一般人は、冷静に検査結果を見て行動するなどといった面倒はせず、「姉歯?じゃあやめとこう」という行動になるだろう。

「けっこう揺れたなぁ!ちょっとなんか、姉歯っぽくねえか?」
なんていう会話も全国に広まりそうだ。いわゆる“エンガチョ”である。

業績が落ち込むかもしれない当事者の皆さんにはまことに気の毒だが、仕方ない。もはやどうにもならんという覚悟をしていただくことになろう。
051123

姉歯建築設計事務所

「周辺と比べて格安の7000万円」だったそうだ。
東京は、銀座や築地もある中央区のマンションで、この9月から最上階にその部屋を買って住み始めた老夫婦の話である。建築主が千代田区の「ヒューザー」といい、千葉県市川市の「姉歯建築設計事務所」による設計。耐震構造計画書を偽造して建築されたことがすでに判明し、耐震性に問題がありそうだということが指摘されている。
このマンションは写真も公開されており、間口は狭く、左右をビルに挟まれて建つ。最上階は13階だというが、先月の震度3だったという地震でも大きく揺れて、この老夫婦は、わざと揺れて壊れないように設計されているのだろうと思っていたらしい。(以上は昨日17時22分配信の毎日新聞の記事による情報である。)

地震などいつ来るかわかったものではないから、事実が判明したいまは、一刻も早い避難が必要である。

「姉歯建築設計事務所」では、そうしないと仕事がもらえなかったと言っているらしい。そうしないと仕事がもらえなかったというのは、ウソを申告してでも安い費用で建つようにしないとならなかったという話であり、それはつまり、違法建築でないと競争できない程度の仕事しかできなかったということである。正々堂々と競争して勝てない者が卑怯な手をつかって勝ってきたということである。

「姉歯建築設計事務所」が破綻することは社会にとっては痛くも痒くもないことである。発注した「建築主」が全部潰れたとて同様である。

全財産を注ぎ込んで老後の安住の地を手に入れた人たちが、大地震でもないのに倒壊して犠牲になることのみが、問題なのである。

日本のひとつの安全神話が阪神淡路の震災と共に倒壊したと言われたが、しかしこうして新たな倒壊を生産してまで生き延びようとする犯罪は徹底して撲滅しなければならない。

この大事件、行政はその責任を否定していると聞くが、そこにも徹底的に法のメスを入れてもらわねばなるまい。日本国民は日本という法治社会を信じるほかに生きる道はないのである。いま国民の大半が怒っている。
051120

幸福の条件

今年8月24日に大阪で行われた「行動経済学研究センターシンポジウム」の中で、大阪大学社会経済研究所の筒井義郎教授が『なぜあなたは幸福なのか』と題して講演されたそうで、昨年2月に、20歳から65歳までの6,000人を全国から二段階抽出しての訪問留め置き法という方法でアンケート調査を行った結果がネット上でも公表されている。回答率は70.4%で、有効回答数は4,224だとのことである。

幸福度を10段階で表し、「非常に幸福」を10点、「非常に不幸」を0点として、回答者が自己評価を行ったという。この調査の結果は日本人の幸福感を考える上でなかなか示唆に富み、興味深いものであるが、中から私が興味をもったものを紹介させていただく。

(ソースは、こちら。)

他の人の生活水準を意識している
  • 意識していない(6.7)
  • どちらかというと意識していない(6.6)
  • どちらともいえない(6.2)
  • どちらかというと意識している(6.1)
  • 意識している(5.0)
この結果によれば、他人の生活を意識している人ほど、幸福度が低いという数字が出ている。 もっとも逆に考えると、自分が不幸であると感じている人ほど、幸福そうな他人の生活が気にかかるということでもあるのかもしれない。

利他性と幸福度の関係
  • 利他的な程度が小さい(6.04)
  • 中間(6.31)
  • 利他的な程度が大きい(6.38)
この結果も上と同様かもしれない。幸福を感じている人なら、精神的に余裕もあろうから、自分だけで手一杯だということもないのかもしれない。

「人生の目的はお金」と幸福度
  • お金ではない(6.6)
  • どちらかというとお金ではない(6.4)
  • どちらともいえない(6.2)
  • どちらかというとお金(5.8)
  • お金(5.2)
これもまた同様。お金に苦しんでいることで自分を不幸と思えば、お金があれば幸福になれるかもしれないと思うのが当然なのである。

果たしてこのような調査が意味をなすのかどうか、多少疑問に感じないでもないが、当たり前と思われることが本当に当たり前であるのかどうか、それを実地に調査して数値化してみましょうということなのであろう。これが科学的研究の基本的な手法であって、個人の主観も集めれば数字が出せるということなのであろう。

私なりに、非科学的な話をすれば、自分は今、かなり幸福ではあると思う。
その理由の筆頭は、自分を必要としてくれる人が一人ならずいてくれることである。
人間は共存するために生まれてきていて、共存することこそがあらゆる価値の基本であるから、周囲の人間関係において排除されないことが幸福の最大の条件となる。
排除されないためには、必要とされるように働くほかはないから、家族のため、会社のため、世のため人のためとなるよう、不断の努力を続けるよりほかに生きる手だてはない。
それはなにも、周囲に媚びを売ることではなくて、自分自身が真に有益な存在になるということである。
無益な者がいくら媚びを売ってその場を取り繕っても、結局は全体から来る排除の動きは制止できない。

言うは易く行うは難しである。
こんなわかったようなことを言っても、自分が誰かに排除される時がいつやってくるかわからないから、とにかく生きている限りは頑張るしかない。
051118

ナビグラスという新しいカーナビ

平成22年(2010年)初頭にナビグラスが認可されて爆発的に売れたため、一見ただのサングラスにも見えるそれをかけて運転しているドライバーが増えてきているが、今年(平成23年)はとうとう我が家でも導入した。
ナビグラスというのは、メガネ型のモニターを備えたカーナビのことで、これまでのカーナビゲーションシステムが据え置き型液晶モニターだったのを、画面サイズ無制限の3次元モニターにするためにメガネのレンズに完全立体表示のナビゲーション情報を表示するという未来的なシステムである。

話には聞いていたが、実際使ってみて驚いた。これまでフロントガラス越しに見えるのは外の景色だけと決まっていたのが、路上や信号機やビルなどに漫画のフキダシのようなものがついて、今いる場所や行き先を教えてくれる。道路が分岐になるなどすれば、走るべき路上にアニメーションで矢印が出てきてそちらへの進行を促してくれる。メガネレンズは眼球に極めて近いところにあるにも関わらず、そうしたナビ情報はちゃんと外の景色について出ているように見えるから、モニターを見ているという感じはまったくせず、ただ実際の景色にコンピューターの文字情報などがくっついて出るようになってしまったという感じなのである。

特に情報を表示する必要のないところではかけていることすら忘れてしまうが、ポイントとなるところに近づくと外の景色にいきなり文字や矢印が現れるから、ややどきっとする。このシステムを開発したメーカーでは、初期の実験でテストドライバーが無用なブレーキを踏んでしまったなどの失敗があったというが、晴れて国土交通省の認可となったこの市販品では、表示もさほどうるさくはないし景色にかなり溶け込んでいるように見えるため、さすがにそのような危険はなさそうである。そもそも運転中に車内のモニターを見ることがなくなるので、カーナビ使用に起因する危険はかなり軽減されるということである。それが認められての認可でもあったわけである。


…てなことが来るものかどうか、果たして技術の進歩がどっちに向いてゆくものなのか、このように想像してみることしかできないが、デジタルという名の数学の化け物が私たちの生活を飛躍的に便利にしてきているのは平成17年の現在においてすでに十分経験済みである。
今後はもしかしたら、ここに書いたような未来がやってくるのかもしれないし、もっとすごいことになっているのかもしれない。
051117

おめでとうございます。

紀宮様と黒田さんの御婚礼が、七五三でお洒落した子供たちの闊歩するこの季節の中、和やかにおこなわれたことを嬉しく思う。

ドンペリニヨンとかいう上等の酒で乾杯されたとのことだが、飲んだことがないので、うちにあった開城産の朝鮮人参酒を飲みながらの更新である。

新婚旅行は国内とのこと。警備の都合等もあるのか、そのあたりはよくわからないが、実は国内旅行こそが最高の贅沢ではないかとも思う。外国からの旅行者も増えてはいるのだろうが、なにぶん物価や交通費の極端に高い我が国へ来てゆっくり旅行するのは、どこの国の旅行者であれ容易ではない。
金がかかるということもあるが、日本を旅行するのはなにより安全度が高い。報道はされていないが中国などもイスラムテロが激しくなっているようであるし、テロの脅威に怯えるのはフィリピンやインドネシア、またインドやパキスタンなど、数えればきりがないほどたくさんの国に及ぶ。
自分もかつて惚れ込んだフランスではいま、暴動が全国に拡がって非常事態だというし、アメリカは常にぴりぴりしている。

思えば戦後、戦争やテロによる犠牲者を世界で最も出していない国は日本ではないだろうか。
戦後はそれほど日本人が平和を強く希求してきたということでもあるのだろう。
アメリカの庇護のもとでの偽りの平和といえばそれまでだが、今後軍事的に独立した後にも、平和の尊さを知る国民として、強大な軍事力と経済力で世界平和に貢献してゆくことも可能であろう。

ともかくこの大安吉日である。なにがめでたいといって、日本国民が揃って祝福できることが最もめでたい。
祝福などしないという天の邪鬼の国民がいたところで構わないが、祝福する国民がこれだけ多い婚礼はやはり皇室がナンバーワンなのであるから、天の邪鬼とてこの事実には太刀打ちできないのである。

黒田さんご夫妻にあやかって、これからの新婚旅行は国内旅行がトレンドだということになることも、ここにあわせて願いたいものである。
051115

静岡のアクセント

静岡に住んでいると、すぐ隣が神奈川県で関東だということもあってか、静岡と関東、特に「東京」との言葉の違いについて、よく話題になる。

小学校までは、子供たちも教員もほとんどが静岡の訛りで話していたから、別にそれで普通じゃないかと思っていたが、たまに遠方からの転校生などあると、ちょっと違うアクセントに子供たちはみな大いに反応したものである。

3年生の時に関西から来たK君は無口な子であったが、静岡との言葉の違いの大きさに押されて言葉が出なかったのではないかと思う。
算数の時、先生が黒板に書いた問題の答えが「8」だったのだが、K君が指されて「はち。」と答えて大爆笑になった。
答えはもちろん間違っていなかったのだが、アクセントがちょうど静岡とは逆だったのだ。

標準とされる日本語のアクセントにはまず、「平板アクセント」という、第1拍が低くあとは高いまま下がらない語があり、他は下がる前の拍が何拍目に来るかで「1」であるとか「2」であるとか記すことになっている。
(※「拍」とは、歌にしたとき音符ひとつ分になる音の単位である。「きゃ」「きゅ」などの拗音は小文字も入れて1拍、促音の「っ」、撥音の「ん」、長音符「ー」などで表す長音はそれぞれひとつで独立した1拍となる。)

「はち(8)」は、「はちです。」と言った時に「ち」が高く、「で」が低くなるので、アクセントは「2」が標準である。
しかし関西から来たK君は「は」を高く、「ち」を低く発音した。回りが小学3年生の血の濃そうな集団だったために、それで大爆笑となったわけであるが、あの爆笑が彼のその後の人生に深い傷となって残っていないことを今も密かに祈っている。

さて、では静岡のアクセントは標準語なのかというと、ちっともそんなことはない。「はち」がたまたま標準と同じだったというだけのことで、小学3年生で静岡アクセントのまま東京へ転校したらクラスできっと毎日爆笑されるだろう。

静岡のアクセントを紹介する前に、標準語アクセントのルールについて、以下にもう少し見ておくことにする。
「鼻」と「花」は、どちらも「はな」であり、第1拍が低く、第2拍が高い。
しかし「鼻です。」と言った場合、「で」も高くなり、「花です。」と言った場合は「で」は低くなる。
つまり「鼻」はアクセントのない平板型で、「花」は第2拍にアクセントがあるということになる。
また、「花子」という女性を「花」と呼ぶ場合は、「は」が高く、「な」以下低くなる。この場合は第1拍にアクセントがあるということになる。

さて静岡人がおのれのアクセントと標準アクセントとの違いに最も気付きにくいのが「花」「鼻」のような、全部で2拍しかない語のアクセントである。もっとも、この「鼻」と「花」については、静岡でも標準語と同じで発音しているが、次のような語ではアクセントが逆になる。

漢字表記  標  準    静  岡   小文字部分を低く読み、太字の部分がアクセント。 「標準」ではこのうち、「姉」のみが平板アクセントとなり、他は第2拍がアクセント。

このように、第1拍と第2拍の高低が「標準」とは逆になることが「静岡訛り」にはよくあるようだ。
しかしだからといって恥じることはない。恥じることはないが、何も知らずにいて東京の人などに指摘されると恥ずかしい。それがどうやら人情というものであるらしい。
051114

梅ヶ島の紅葉

静岡県中部には静岡市を流れる安倍川と川根や島田市などを流れる大井川とがあり、上流では紅葉の季節であるが、大井川流域は林業が盛んだったため杉の植林があまりに多く、十分な紅葉を味わうには上流も最上流の、畑薙ダムのさらに上まで行かないとならないのが現実ではあるまいか。

川根には寸又峡という紅葉の名所もあるにはあるが、それとて名所で失望されないようにと、最近になってモミジの並木を植えるなどしているくらいであるから期待に応えられるかどうかまだ心配である。

畑薙ダムで横浜ナンバーの車で来ている人と言葉を交わした際、このへんはきっと秋はきれいでしょうと言われたが、どうして箱根の方がよほどきれいですよと水を差してしまったことがある。

川根の広告に使うために、今が盛りのモミジの写真が必要になったことがあったが、結局川根では満足なものが撮れずに梅ヶ島で撮影したこともある。

梅ヶ島は安倍川沿いをずっと上っていった突き当たりに近いところにある山里で、梅ヶ島温泉がなかなか賑わっている。
今日は仕事の前に3時間ぐらいあったので、ビートに乗ってその様子を見に行ってきた。

写真は梅ヶ島の温泉街に至るちょっと手前を、安倍川にかかる橋を渡って右に入ったところにある金山温泉のエリアで撮ったものである。
クリックすると別ウインドウでビートのページを開くので、大きめの写真をそちらでご覧いただきたい。

ここにも杉だか檜だかの植林が見られるが、全体的には自然林が多くを占める。
紅葉の具合はまだしばらく楽しめるというところだろうか。まだ緑のモミジも少なくないようだった。
051112-2

マッキントッシュコンピューター

1995年の3月に日本語学校が廃校となり、それまで7年やってきた教員から、さてどうしようと途方に暮れることになった。まだ続いていた別の日本語学校から誘いはあったのだが、なにしろ給料が安すぎて行く気はしなくなっていた。
日本語学校に来てくれていたイギリス人の英語教師が3か月ばかりうちに勉強に来てくれていたが月謝は特に取らなかった。市会議員選挙の手伝いをしたり、県警で中国語通訳の仕事をもらったりしたが、結局職安に行ってデザイナー職を探すことになった。

時代は変わっていて、Macintoshのコンピューターができなければ、グラフィックデザイナーもできないというような事態になっていたので、初期のMacintoshからの熱心なユーザーだった友人から中古を売ってもらって、スキャナやMOドライブやプリンターまで買い揃えて自力で練習し、なんとか今の広告代理店に就職できたのが10月だった。

使うソフトは、Adobe IllustratorとPhotoshopで、それ以外はほとんどやらなかったが、それだけで十分生活できるということがわかった。Adobe IllustratorとPhotoshopもそれから十年、こうも毎日使い込んでくると自由自在になんでもできるようになる。バージョンはIllustratorが5、Photoshopが3からだったが、どちらもそれから巨大なアプリケーションソフトに発展してきた。フロッピーディスク数枚でインストールしていたのもCD-ROMになって久しいが、そのうちDVDでなければインストールできなくなるのではないか。あるいは、そうしたメディアは消え失せて、全てがインターネットからのダウンロードになってしまうのかもしれない。実際それで購入できるソフトが増えていて、パッケージを作らなくて良いので比較的安価で手に入るようになっている。

MicrosoftのOSは、会社で一台ウインドウズ(XP)用ノートパソコンを支給されている他は使ってきていないので、世間で「パソコン」とか「PC」とか騒いでいても、マックユーザーとしては蚊帳の外にいる感じである。
マックだけでなんら不自由はないし、ウイルス攻撃からも常に安全なところにいて、ウインドウズが常に危険と隣り合わせであることに対しても対岸の火事といたって暢気に暮らせるが、オンラインのゲームソフトなどは、ほとんどがマックに対応しないので、子供からは苦情がある。

しかし、最近子供たちと一緒に見た『女王の教室』というテレビドラマでも、先生が使っていたのはマックだったし、ジュラシックパークの博士が使っていたのもパワーブックだった。

現在では、PCとさほど違わない価格で買えるようになってきてはいるが、マックはその生い立ちからして、ちょっとハイソなのである。近ごろの言葉では、セレブというのだろうか。セレブは本来「有名人」という意味なのであろうが、実際、有名人がマック使いであることが少なくないようで、特に映画やテレビの業界にはユーザーが多そうである。

PCにもマウスが付き物となってきたが、マウスを始めたのもマックであるし、最初から「ウィンドウ」で当たり前なのもマックであるから、PCがウインドウズで使いやすくなってきたというのも実は、マックが先導してきたおかげなのである。

それでマックはウインドウズに追い越されたかといえば、ウィンドウは今やいくら重なっても立体感と透明感があってウインドウズより十年先を行く感があるし、何よりOSX以降、OSがダウンする心配が一切ないので、いくらヘビーに使おうともシステムがどうかして大事なデータが失われたりする心配はまるでない。マックは限りなく完成度を高めていると言って良いだろう。

とにかく初心者に優しい。マックの素晴らしさはこれに尽き、例えばプリンタードライバーをインストールするなどという手間もなく、ウインドウズユーザーが説明書と睨めっこで悪戦苦闘するようなことが、マックでは一切なくなっている。アップルコンピューターが謳う通り、箱を開ければ何でもできるようになっていて、近ごろの家電製品より楽なのではないかとさえ思えるのが今のマックである。それでいて、Microsoft WordやExcelなどいったソフトもマック用に充実しているから、ウインドウズデータとの互換性で心配することもない。

そんなわけであるから、ウインドウズにしがみついて苦しい思いをしている皆さん、どうかマックに乗り換えてください。
051112

2222年2月22日22時22分22秒

そんなぞろ目まで生きているわけもないから、そんな立派ではなくもっとこぢんまりとしたぞろ目の日付を楽しもうと思って、午前11時11分11秒に何か残そうと思ったのだが、午前10時55分ごろからすっかり忘れていたので、またしても何もできなかった。執念というものが欠けていた結果であろう。
平成22年2月22日22時22分22秒にもきっと乗り遅れると思う。
051111

健全な競争が続いてほしいデジタル一眼レフカメラの未来

デジタル一眼レフカメラの技術競争では、キヤノンのほぼ一人勝ちが続いているようだ。
キヤノンに続いているのはニコンのようだが、キヤノンが35ミリフルサイズのCMOSセンサー(撮像素子の一種)をこれから普及させようという段階にあるのに対し、ニコンはソニー製の「APSサイズ」CMOSセンサーで、キヤノンのフルサイズの半分に満たない大きさにとどまっている。

そもそも撮像素子とは、銀塩カメラのフィルムに相当する部分である。
銀塩カメラならレンズからフィルムに光がとどいて、フィルムに塗られた感光材の粒子が光の強弱によって反応し、画像が記録される。
それに対してデジタルカメラでは、レンズから撮像素子(フォトダイオードまたはMOSトランジスターの並んだもの)の面に光がとどいて、各素子が受けた光の強弱を数値データにして記録媒体に記録するというプロセスになるのだが、撮像素子の性能が良くないと、レンズから入ってきた光を満足な画像にできないということになり、それはちょうど銀塩カメラのフィルムに求められる性能に相当するわけだ。

ニコンの最上位機種(D2x)ではソニー製の撮像素子を使用しているそうで、キヤノン製の半分に満たない23.7×15.7mmという狭い面での1240万画素で受光する。
それに対してキヤノンの最上位機種(EOS-1Ds Mark II)では、36×24mmという、35ミリフィルムとまったく同じ広い面での1670万画素で受光する。
実は価格もキヤノンの方が高いのだが、撮像素子に関わるこの数字を比較しただけでも、両社の技術水準の差がすでにかなり開いてしまっていることが想像できるし、キヤノンがこの大型CMOSセンサーをはっきり「自社製」と主張しているのに対して、ニコンでは自社の製品紹介ページで、ソニー製である事実には触れていないのだ。

もっとも、デジタルカメラというのは私など素人には想像もつかない複雑なもので、撮像素子開発技術だけですべてが決まるというものでもないのであろうが、撮像素子がレンズなどと同等かそれ以上に重要な構成要素であることは確かであろう。

したがってもしこのまま、キヤノン以外のメーカーからキヤノンに追いつく撮像素子が開発されないのであれば、デジタル一眼レフカメラのマーケットでは、キヤノンの独占状態が今後さらに加速し、すでに撤退の方向にある他社とともに、ニコンも沈没してしまうのではないかと心配になってくる。
一企業の独占というのは消費者にはマイナスでしかないからである。

これはあくまでも今の時点でのことに過ぎず、まさか独占などということにはなるまいと信じたいところであるが。
051109

立冬の富士山

昨日は立冬で、それらしく澄んだ空が今朝も続いており、富士の写真もこの通りであったが、静岡市の気温は25度を超えて夏日となった。
051108

時計とは呼べない時計のこと

時計について、改めて考えてみた。

「アナログ」の針と文字盤というものは、時計普及の当初からこの様式によって、正確なる“時”というものが表現されてきた歴史があるために、伝えられる時刻に威厳というものを加えるには極めて効果的な様式であるといえよう。

それに対して数字のみで表示する「デジタル」には、時にそうした付加価値を加えることが困難である。

「いま何時?」
「ええっと、9時5分まえ。」

というとき、「ええっと」の間というのは、針と文字盤の指し示すものを人間の言葉に変換するために必要な間なのであろう。

針と文字盤に人間の言葉はない。
つまり、“時”は“時”なのであって、人間の言葉を超越していなければならないという、人間が“時”に対してもってきた本来の概念と畏敬とが、この様式によって効果的に表現される。それが針と文字盤のもつ威厳なのではないだろうか。

「デジタル」の数字にはそれが決定的に欠けていると見ることは、あながち間違いではないと思われる。

ところが、その威厳のない方である「デジタル」の方が、携帯電話にせよコンピューターにせよ、針と文字盤よりも正確に“時”を示すということになってきた。

それによって針と文字盤への信頼は失墜し、単なる人間の言葉にすぎなかった数字表示の方へと信頼の対象を移さざるを得なくなった。

これが面白くないと感ずるのは、時計の歴史と共に歩んできた私たち「文明人」の当然もつべき感情であるわけだが、面白くないからといって、デジタルの正確さまでを否定しようとするのは本末転倒と見るべきであろう。

歴史あるスイスの機械式時計工房から優れた時計が生み出されてきたのは、まずなによりも、その機能に寄せられる信頼にあったはずである。いかに正確な時を刻み続けるかが時計の優劣を決する最大の基準であったはずである。

ところがスイス機械式時計は完全に敗北した。

しかしその敗北を認めたがらない向きがスイスの内外を問わずあって、スイス機械式時計の真価は正確さなどではなく、時を表現する機械式の威厳そのものにあり、あるいは趣味性にこそあると、世間一般に主張されるようになってきた。

だが皮肉にもそう主張されはじめた時点から、もはやスイス機械式時計は、“時”を刻む機能を追求すべき真の“時計”ではなくなってしまったのである。スイス機械式時計は“時計”ではなく“伝統工芸”であり、“伝統工芸”以上のものはすでに生み出せなくなってしまったのである。

つまり今の時代では、“時計”を取るか、“伝統工芸”を取るかという二者択一において、“伝統工芸”という骨董を取りたい向きがスイス機械式時計を選択しているのであって、真の“時計”を選択したい向きはとっくにスイス機械式時計に見切りをつけて、新しい技術による“真の時計”を選択するようになったと見るべきであろう。

“真の時計”というのは、正確な時を刻む性能を追求した製品であるが、その追求をやめるところから、時計は時計ではなくなり、単なる工芸品、あるいは骨董となり、懐かしい品々と肩を並べて博物館に陳列されるのである。

そもそも“威厳”を保ちたければ、“中身”が伴わなければならない。
“中身”もないのに“威厳”だけを取り繕おうとするのは滑稽でしかない。

スイス機械式時計には確かに立派な“威厳”が認められるが、正確に時を刻みうるかどうかと見れば甚だ頼りなく、たとえば携帯電話の時報機能を完成度の高い“おとな”と見れば、スイス機械式時計のその頼りない性能は“こども”でしかない。“プロ”と“素人”と見てもよいだろう。正確な仕事をするのが“プロ”であり、それができなければ“素人”の誹りは免れない。それがいつの時代にも常識なのである。

スイス機械式時計とはつまり、伝統工芸という、“時計”とは直接関係ない部分での“プロ”とはなり得ても、“時計”としては“素人”レベルなのである。

だから今のこの時代、スイス機械式に固執する人たちは、それを“時計”と呼ぶべきではなかろう。
せいぜいが“旧式時計”とは呼べても、その“旧式”を省略すれば誤解を生じる。

“旧式時計”が真の“時計”に比べて威厳があるのは、その性能においてではなく、そのどこまでも過去にしがみつく人間の執念にこそあるとも言える。

しかしその機械式に固執する態度こそが針と文字盤への信頼を失墜させてきたのであれば、針と文字盤をもって時計を作り続けるその代表格たるスイス時計業界の、性能追求に関わる怠慢が招いた事態であると見ることもできるのである。

性能が悪いのに威厳だけは保ちたい。そうした極めて滑稽で無様なる態度が、時計が保ち続けてきた針と文字盤による威厳を崩壊させてしまった。果たしてスイス時計業界は、その責任を自覚しているのだろうか?

追記:
ひとつ一千万円を超えるような装飾品としての時計を求める向きならば、飾り立てられたその宝石類に主たる価値があって「ムーブメント」部分は何でも良いということなのだろうから、なおさら機械式には見切りをつけるべきだろう。
051106

腕時計

きょう土曜日は晴れ、明日はまた雨だというが、腕時計のことを考えていた。

まず、携帯電話を持つようになって、腕時計というものが必要なくなってきたということがある。
携帯電話には時計がついていて時刻も自動的に修正してくれるので、今まで使っていた腕時計よりも時間が正確なのである。117番をかけて時報に合わせるなどということをすれば電話料金がもったいないし、NHKあたりの時報に合わせてテレビの前で待ち構えるという習慣からも遠ざかった。

それで腕時計は狂うにまかせるということになり、携帯電話を見て時刻を修正するぐらいなら、はじめから腕時計は持たず、携帯電話だけ持っていれば良いことになる。正確な時刻を知りたければ携帯電話を見ればよいのだ。

今使っている腕時計は、もう十年ぐらい前に友人の時計店で買ったもので、チタンケース・チタンバンド・ソーラー電池・10気圧防水、値段が3万円以上もした、なかなか上等のセイコーである。シンプルなデザインなどにも不満はないが、いかんせん携帯電話に比べると時刻があてにならない。もちろんクォーツだから、狂うといっても大したことはないのだが、世の中に正確な時刻を知らせる装置がこうも溢れてくると、時刻を知らせることこそが唯一の機能であるはずの腕時計なのに、その目的をしっかり果たせないガラクタだということになってくる。

腕時計のくせに、携帯電話に負けていて、毎日向かっているMacintoshコンピューターにも負けているのだ。Macintoshコンピューターの時計も以前はあてにならなかったが、最近ではインターネットとつながって自動で修正してくれるので、携帯電話とまったく同じ正確な時刻を表示するから、1秒と狂っていることはない。

そんなわけでここ何年かは、腕時計をしない生活が続いてきたのだが、このセイコーはソーラー電池のおかげで、電池交換不要でいつまでもいつまでも動き続けている。持ち主がその存在を何か月忘れていようとも、たまに見ればちゃんと動いている。時刻が正確かどうかなど頓着なしだとばかりに、朝も夜も夏も冬も雨の日も風の日も、ただ黙々と秒針を回し続けている。

こうなると憎めなくなってはくる。

そもそも自分は腕時計というものが好きだった。
持ち物の中でも、肌身離さずといえば腕時計が筆頭にくるほどだった。
今まで所有してきた腕時計を思い出せば、どれも愛着があって大事な持ち物だった。
しかし、だからといって、まんざらでない自分の身分を誇示するためにあるかのような、やれ手巻きだ自動巻だなどといった時代遅れで不正確な「高級」腕時計には興味がなかった。
それが時計であるのなら、自分の持ち物の中で最も正確に時を刻んでもらわねば意味がないと思うのだ。

かといって、携帯電話やコンピューターの時計では、数字を表示するだけで針というものがついてないから、時計らしさというものがない。時計はやはり、文字盤があって、長針と短針があって、秒針が刻々と回り続けるものでなければならない。

そんなわけで、電波時計を買うことに決めた。
時代も変わって、ソーラー電池は当たり前となり、電波時計というものも小型化されてきて、値段も安い物が出るようになってきたからだ。

さてでは具体的にどんな時計にするか、その条件をまとめるのもまた楽しい。
  1. ソーラー電池であること。
    腕時計の電池交換など今さらできない。
  2. 電波時計であること。
    人間が時計に正確な時刻を知らせるなんてあべこべである。
  3. 1万円台で買えること。
    保険をかけたくなるような時計では持ち主が間抜けに見える。
  4. 10気圧以上の防水であること。
    神経質な骨董品を身につけたいとは思わない。
  5. 薄型・軽量であること。
    しかしこれにはカネがかかりそうである。
  6. 目覚ましぐらいはついていても良い。
    携帯電話なみにスケジュール管理までやれとは言わないが…。
  7. 暗がりでも見えること。
    ここでも携帯電話に負けるわけにはいかない。
  8. ナイロンバンドであること。
    皮は劣化しやすいし、金属はうるさい。
  9. 文字盤はアラビア数字であること。
    書体にもよるが、わかりやすいのが良い。
  10. 質素な感じであること。
    腕時計に「高級感」などあれば人間がかえって無様である。
  11. 日付ぐらいは欲しい。オートだとなお良い。
薄型・軽量を追求するとやはり高価なものになるようで、たとえばシチズンのエクシードなどに優れた製品があるようだが、10万円を超えていたりして手が出せない。そもそも時計に神経を遣って暮らすのは避けたいのである。

それで最終的にはカシオOVW-100BJ-3AJFという製品に決まった。送料なしの¥12,250であるから、今後さらに安くて薄くて軽い製品が出てきても「機種変更」の可能な金額である。(このページの一番下、一番安い製品である。)
この値段でこれだけの製品を出してくるというのは、セイコーやシチズンでは真似ができそうにない。
デジタルカメラでも、ニコン、ミノルタ、オリンパスといった有名ブランドと同価格なら、いまやカシオの方がはるかに優れた製品を出しているが、腕時計でもどうやらカシオの技術力はすごいことになっていると見て間違いなさそうである。
051105

日本のこと、アメリカのこと、中国や北朝鮮のこと。

日本はなぜアメリカと戦争をして負けて、なぜ中国が偉そうにしているのだろうという疑問が長女にも出て来たので、わかりやすく説明してやることにした。


1 なぜ戦争をしたか?なぜアメリカに負けたか?

あのころは、今とはまったく時代が違っていた。
今の時代は、国と国が、お金の力で競争する時代。
あのころは、国と国が、領土を拡げて競争する時代だった。
弱い国は、強い国の領土になった。
あのころは、そういう時代だった。

アジアでは、日本だけが強い国だった。
中国も弱い国だったし、朝鮮半島もすごく弱かった。
日本人は、世界の新しい知識や技術を勉強するのが好きで、団結力が強くて、ルールをきっちり守ることができたから、とても強い軍隊を作ることができたけど、中国人や朝鮮人はそういうことが苦手で、世界から何百年も遅れていたからだ。

でも世界には、ヨーロッパとか、アメリカとか、強い国がたくさんあった。
アメリカやヨーロッパは、日本がいくら強くなってきても、日本は白人の国ではなかったし、みんなチビだったので、日本をなめていた。
なめていたので、日本に対していろいろと、不平等な条約を強制したり、日本がもっと強くなろうとすることを妨害したりした。

だから日本はもっと強くなろうとして、アメリカなどとぶつかった。
でも周辺の、弱いアジアの国々に対しては、ちょっと強引に、強い日本がもっと強くなるように、協力させようとした。

そんなわけで、日本はアメリカやイギリスと戦争をした。それで、アジアに進出していたヨーロッパのいろんな国々の軍隊を蹴散らした。イギリスの軍隊も負かした。
でも、アメリカとの戦争には勝てなかった。
それはアメリカがものすごく強い軍隊をもっていたからだ。


2 日本はアメリカに負けてどうなったか?

日本はアメリカとの戦争に負けて、アメリカの言うことを何でも聞いた。

まず、戦争のころまでに拡げていた領土を全部失った。
それは、朝鮮、満州(中国東北地方)、台湾などだった。
さらに、もとから日本だった沖縄までアメリカに取られた。

日本の北海道・本州・四国・九州などは取られなかったけど、そのかわり、アメリカの言いなりになって、憲法を作りかえたり、政治の仕組みを変えられたりした。

さらに、アメリカの軍事基地をたくさん日本でお世話することになった。
アメリカが、日本の近くで戦争をするときに、いつでも日本から軍隊を出発させることができるようにするためだった。
今でもアメリカの軍事基地は、日本のあちこちにある。

取られた沖縄は、のちに返してもらったけど、沖縄にはアメリカの軍事基地がとてもたくさん残された。
沖縄の人たちは、戦争中は日本のためにたくさんの犠牲を払って戦ったけど、負けていったんアメリカの領土になって、また日本にもどってもまだたくさんのアメリカ軍のためにたくさんの我慢をしている。


3 アメリカはまだ敵なのか?

アメリカはもう敵ではない。アメリカは日本にとって、とても大事な国だ。
アメリカ人と日本人は、大変な戦争をしてお互いにたくさんの犠牲を出したけど、お互いの実力をとてもよくわかり合っている。
だから日本人とアメリカ人は、これからもずっと友だちでいられる。
だけど、今はまだ、日本はアメリカの軍隊に国を護ってもらっている。
アメリカの軍隊が日本からいなくなったら、日本を狙っている中国や北朝鮮が喜んで日本をいじめに来る。
でも日本にはアメリカの軍隊がいるから、中国も北朝鮮も、日本をあまりひどくいじめたりはできない。
日本人が今まで平和に暮らしてこられたのは、アメリカのおかげなのだ。


4 日本はこれからもずっとアメリカの軍隊に護ってもらうのか?

日本にはまだ、自衛隊しかない。
自衛隊は、日本の国の中で、アメリカの軍隊に協力することはできても、自分たちだけで戦うことはできない。
だから、もしいつか、アメリカの軍隊に護ってもらえなくなったら、日本も自分たちでちゃんとした軍隊を作らなければならない。

軍隊というのは、普通の国ならどこの国でも当たり前にもっているものだ。
どこの町にも警察があるのと同じように、どこの国にも軍隊がある。
もし警察がなかったら、泥棒や人殺しが自由に悪いことができてしまう。
同じように、もし軍隊がなかったら、泥棒の国や人殺しの国が自由にやってきて、めちゃくちゃな要求をする。
日本が今まで、中国や北朝鮮からそういうことをされないで済んだのは、アメリカ軍がいてくれたおかげ。
アメリカ軍が、日本を護ってくれていたおかげ。

でも、アメリカ軍だって、日本人のために戦争をして、日本人のために中国などと戦って死んだりするのはいやに決まっている。
だから、日本の国は、日本人が自分で護るのが正しいことなのだ。

アメリカに護ってもらっているままだと、日本はいつまでもアメリカの子分のまま。
子分は親分の言うことはなんでも聞く。
日本はこれまで、アメリカの言うことはなんでも「はい。はい。」と聞いてきたけど、そういう関係だと、日本人もいやだし、アメリカ人だって、日本のために戦争して死んだりするなんていやだから、もう普通の友だち関係になりたいと、お互いにそう思っている。

だからこれからは、日本もちゃんとした普通の国になるように、ちゃんとした普通の軍隊を持たなければならない。
それは当たり前のことだし、アメリカだって、今は日本は大事な味方なんだから、日本が強い軍隊をもって、アメリカと一緒に世界の悪い国と戦うことは歓迎してくれるのだ。


5 中国や北朝鮮は、本当に日本と戦争したがっているのか?

どうかはわからない。
だけど、中国も、北朝鮮も、日本人をいっぺんに何万人も殺せるミサイルを、いつも日本に向けていて、いつでも発射できるように準備している。
日本はそんなことは全然していなくて、中国とも北朝鮮とも仲良くしようと努力しているのに、中国や北朝鮮は、ちっとも仲良くしようとしてくれないのだ。


6 中国や北朝鮮は、なぜ日本と戦争する準備をしているのか?

中国や北朝鮮の考え方は、ずっと前から何百年も遅れていたけど、やっぱり今も、何百年も遅れているからだ。
今の時代は、一生懸命働いて、お金持ちになって、お金の力でお互いに助け合って、みんなで仲良く暮らそうという時代になっている。
でも、中国や北朝鮮は、お金の力よりも、ミサイルとか、そういう軍事力で威張るのが、今でも偉いと思っている。
もうそういう時代はとっくに終わったのに、まだそういう考え方をしているのだ。

そういう考え方の国が、すぐ隣にいるから、日本もアメリカ軍を頼りにしてきたし、これからも自分たちの軍隊が必要になるのだ。


7 なぜ中国や北朝鮮はそんなに遅れているのか?

それはまだ「民主主義」になっていないから。
国みたいな大きなもの全体を、誰か一人の都合で動かしていると、なかなか正しい国が作れない。
中国も北朝鮮も、一部の人だけの都合を優先していて「民主主義」になっていないから、たくさんの中国人やたくさんの北朝鮮人がつらく苦しい生活をしている。

ほとんどの中国人や北朝鮮人は、国の政治に参加できない。
国は、そこに住む人々のためのものだから、「民主主義」になって、住んでいる人みんなの国にならないといけないのに、中国も北朝鮮も、国はごく一部の人のもので、住んでいる人たちのものではないのだ。

そういう国というのは、日本やアメリカやヨーロッパでは、とっくの昔に終わっているのに、中国や北朝鮮ではまだ続いている。
また、中国や北朝鮮以外にも、世界にはそういう遅れた国がまだまだある。

そういう遅れた国では、国民が国に対して「民主主義にしてくれ!」なんて言うと殺されてしまったりする。
中国でも、北朝鮮でも、そういうことを言えばすぐ殺される。


8 北朝鮮は民主主義じゃないのか?

北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」という名前になっているけど、その中にある「民主主義」とか「人民(の)」とか「共和国」とかいうのは、全部ウソ。
国の名前なのに、ウソの名前をつけている。
それを見てわかるとおり、ちっとも正しくない国なのだ。

日本もアメリカもイギリスも、国の名前の中に「民主主義」なんて入っていないけど、ちゃんと立派に本当の民主主義をやっている。


9 日本の中にも悪い政治家がいるのか?

日本の中にも、中国や北朝鮮が「良い国」で、本当の民主主義をやっているアメリカや、本当の民主主義を進めている台湾が「悪い国」だと思っている頭のおかしい政治家がいる。

たとえば、日本共産党や、社民党(←?意味不明)とかいう変てこな政治団体の政治家は全部そういう悪い政治家だ。
その人たちは、自分が日本人のくせに、日本がつぶれてなくなれば良いと考えていて、民主主義をやっていない何百年も遅れた悪い国である中国や北朝鮮がもっと強くなると良いと考えている。
ちょっと信じられない話だけど、本当にそういう頭の変な政治家がいるのだ。

でも、今度の選挙で、小泉総理が勝って、また新しい内閣ができて、内閣の中には、悪い政治家はほとんどいなくなった。
これからだんだん日本も、普通の国になってくるんじゃないかと思う。
台湾人がビザなしで日本を旅行できるようにもなったことだし、これからは、台湾の政治家だって、ニコニコ笑って大好きな日本に遊びに来たりできるようになるんじゃないかと思う。

そうなってほしいな。
051103

個人の責任と必要金額

ジャンボ尾崎が16億円の借金で破産したというニュースが流れているようだ。
何に遣ったのか知りたいと思う。人間ひとりでどうしたらそんなお金が必要になるのか、あるいはそういうことが突然襲ってくるということもあるものなのか、いったい人生の必要額はいくらなのだろうかと考える。

遣うより稼ぐのが好きな人が金持ちで、稼ぐより遣うのが好きな人が貧乏人だと子供には教えているが、基本的には実際、そんな簡単なことなのだろうと信ずるところである。

ところが自分も、カネをずっと持っているという性分ではなく、これだけ余裕があったらあれが買えるこれが買えると思いを巡らすのが好きで、えいやっと遣ってしまうのがまた抑えられないから、子供に偉そうなことを言えたほどのことはまったくない。遣いたい気持ちが抑えられなければ、持っているカネを遣えないカネに変えてしまうのが良いだろうと思い、子供の学資保険はかなり多め(自分としてはの話)にがんばっているが、それ以外に貯金らしい貯金もない。

しかし16億はとんでもない金額である。
しかしそのとんでもないと思うのは、億単位のカネに縁がないからなのである。

億に縁があれば、億の貯金もあり得るし、億の借金もあり得る。しかしせいぜい万にしか縁がなければ、万の貯金しかあり得ないし、万の借金しかあり得ない。

つまり、億単位を稼ぐ人生でも、万単位しか稼がない人生でも、プラスにもなれればマイナスにもなり得るということなのである。だから、億と万とどっちが金持ちなのかは、わかったものではない。
051102

個人崇拝が好まれ個人の好みが尊重されない未成熟社会

昨日の話「名物と、街づくり。」はまあ、お国柄といえばそれぞれ特色があって何ら問題はないところなのかもしれないが、本当にそれだけなのだろうかという疑問が完全に払拭されることはない。その疑問とは、日本社会の成熟度に関わることである。

社会がそこそこに成熟してくると、例えば「個人崇拝」のような風潮が廃れてくるといったことが実際にある。昔はなにかにつけて、「偉い人」というのがいたものだが、現代では、それがたとえ総理大臣であろうとも、尊敬されはしても崇拝されることはない。

我が祖母の世代など見てくると、崇拝の対象となってきた人物、なにやら絶対化されている人物というのが話のあちこちに出てきたものだが、母の世代ではかつてあったものが今は忘れられているし、自分の世代では最初からまるでないといっていいと思う。まったくないのも寂しいから、天皇陛下とタイの国王陛下とダライ・ラマ法王猊下だけは絶対の存在と崇めたく思っているが、それというのも、そうした存在のあまりのなさから強いて崇めようと努力しているところがある。

自分の生きている現代の日本社会が、それだけ平等な社会になってきているということであろうし、同時に、平等すぎることへのある種の不安も働いているわけである。

柴又の賑わいが、山田洋次や渥美清への個人崇拝だけだとは言えないが、参道商業のコンセプトがそれに便乗したものであると見ることはできるわけだから、それで成り立ってゆくのであれば、ある意味で日本人の成熟度を表すものと見ることもできよう。

「寅さん人気にあやかっての商売」が成功するのは寅さん人気がすごいからだという説明がされるのであろうが、その人気の絶対度が高ければ高いほど、日本人はミーハーであるということになり、個人の趣味趣向が全体に流されやすいということにもなる。そこは異論を許さない空気に支配されていて、戦前の全体主義がまだ形を変えて続いているということにもなってくる。

この全体主義的なところが日本社会の特質なのだと思うこともあるが、実は単に成熟していないだけだとも言えるのではないだろうか。
051101

名物と、街づくり。

もう古い記憶になるが、学生時代に自転車を飛行機に乗せて西欧を一人旅した時、最初の国、イギリスへ行ってつくづく感じたことである。

高校時代にチャーリー・チャップリンの研究をしていたので、チャップリンの生まれ故郷であるロンドンの南部へ行った。ケニントンロードなどがそれであった。たった一箇所、「Charles Chaplin lived」と記した地味なプレートの取り付けられたアパートがあったが、他には特になにもなし。それでも『チャップリン自伝』に出てくる何か所かを写真に何枚も撮っていたら、壁に映画のチャーリーをかたどった大きな看板のあるパブを一軒見つけた。パブの名前は特にチャップリン由来のものではなかったと思うが、はっきりチャップリンゆかりの地とわかるのはどうやらその店だけであった。

これが日本だったらどうだろうか。少なくともチャップリンの銅像ぐらいはあるだろうし、チャップリン饅頭や、せめてチャップリンキーホルダーぐらい売っていてもおかしくないところである。なにしろここから出た世紀の大芸術家である。世界中にその名をとどろかせ、世界中の人々を笑いの渦に巻き込んだ大天才であるのだから。

昨年は娘たちを連れて柴又の帝釈天にお参りする機会もあったが、あそこの参道もすごいことになっている。故渥美清さんの演じた車寅次郎のキャラクターはそこら中で笑っているし、とらやの原型はうちだとばかりに団子屋も並んでいて、果たしてどこがそのオリジナルなのかはわからない仕組みになっている。

日本人の感覚なら、柴又のあの浮かれ方も、当然のこととして受け入れることができるが、ケニントンロードとその周辺のロンドンっ子たちは、いったい何を考えているのだろう。

想像するところだが恐らくこれは、まず何よりも先に、そこに住む人々の生活があるということではないだろうか。その土地がいかなる有名人を輩出したにせよ、現に今そこに住む人々の生活こそが優先されるべきであって、住民たちはその土地をたった一人か二人の有名人の色に染められたいとは考えないのではないかと思う。

観光名所になって遠方からカメラをぶら下げた集団が年中押し寄せているような街にするか、それとも他の街と同様に、住民の住みよい街にするか、その二者択一だとしたら、ロンドンっ子たちは迷わずその後者を選択しているということなのではないのだろうか。

それでいて、かのチャーリー・チャップリンを生んだ土地であることに密かな誇りを持ってもいる。それで十分だろうし、それ以上何を望むというのだろうという話なのである。
051031

日曜午前

長女が予定通り4時前に起きてきてCS放送のアニメが始まったので、雨の降る中を一人ジーノで伊豆へ向かった。午前中に帰宅すると告げての「半日」ドライブである。

この写真を撮った韮山(にらやま)の反射炉に寄ったころはまだ薄暗く、それから山を越えて伊東へ下り、伊東市南部の城ヶ崎(じょうがさき)海岸に着いたのが6時50分ごろ。どちらも観光名所であるが、反射炉はまったくひと気なし、城ヶ崎には早起きの太公望ぐらいしかいなかった。

観光名所とされる所には、この韮山の反射炉のように、一度来たら二度と来たくはならないような所がまだあるようだ。つまり「みやげ」だの「そばうどん」だの「コーヒー」だの「ラーメン」だのといった、二目と見られない醜悪で巨大な看板が、どこにいても視界に入ってくる類の「名所」である。韮山の反射炉は特にそれがひどい。この写真にはそうした見苦しい物が写っていないが、あとほんの数メートル引いたところで撮れば左右にそれらが写ってしまう。大体ここは史跡のはずであるから、学生や子供たちが勉強に来る場ではないのだろうか。伊豆の国市(旧:伊豆長岡町、韮山町、大仁町)には即刻周辺の看板を撤去すべく条例を制定してもらいたいものである。

さて普段なら渋滞ばかりで通る気のしない伊豆東海岸であるが、早朝はさすがに空いていてどの道路も快適そのものであった。東伊豆町の北川(ほっかわ)に立ち寄り、また南下して熱川(あたがわ)の温泉旅館で風呂を借りた。タオルなし700円。取り立てて立派な風呂場ではなかったが、湯は天然温泉100%保証の掛け流しということで、予防接種のため昨夜我慢した入浴を一人完全貸し切り状態で堪能させてもらい、ここまで来た甲斐があった。(熱川の写真はasian1000のページに掲載。)

そのまま河津まで下って、天城を経由し、帰りだけ沼津インターから東名高速を利用して、帰宅したのが午前11時ちょうどだった。ETCがついたので財布のカネは差し当たり減らないが、あとからクレジット会社の請求が来て引き落とされるので借金を増やしながら走っているような気になる。

帰宅してみると娘たちは二人して川向こうの公園まで自転車で遊びに行っていた。長女にウィルコムのPHSを持たせてあるので、昼だから戻ってこいといった用件がすぐに伝わる。世の中なにかと便利になったものである。
051030

ボク、じょーもん坊や。
ボクをさわると
運動するヨ!
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サーチする:  
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明日からいよいよ師走に入ります。暑い夏から今まで何してたんだろうと思うんですが、思い出せません。そういう時にはここの過去ログが役に立ちます。
051130
11月もあっという間にぞろ目の11日、めっきり冷えてまいりました。本日は、背景画像(右側欄外の地紋)を今まで横線だったのを斜めにしてみました。これがなかなか面倒な作業でした…。
051111
11月になってしまいました。年賀はがきも発売だそうで、実際、来年の年賀状デザインの仕事も始まっております。年末が、始まった。というところでしょうね。あとは、あっという間にお正月!となるわけです。…やれやれ。
051101
このところ、ここの上に検索窓をつけております。気が変わってまた変える可能性もあるので「縄文ネットの履歴」には載せずにおきます。ヤフージャパンとGoogleの検索窓は、ボタンを自分で作りました。また、テキスト入力欄をGoogleと揃えております。ヤフージャパンオリジナルのHTMLソースはこちらです。どれもちょっと大きすぎたり派手だったりするんですよねぇ…。
051022
この日曜と月曜に、PPD作例集へのアクセス数がなぜか急激に跳ね上がっておりました。恐らく現在も普段にない多数のアクセスが続いているものと思われます。原因を調査しておりますがまだわかりません。どこかアクセス数の非常に多いサイトにてリンクが貼られたものと推察しておりますが、何か情報がございましたら是非、お知らせ下さいますようお願い致します。
051018
今日は「富士山初冠雪!」というニュースが各メディアでも流れているようです。ニュースで聞くより自分で見る方が早いこともあるというのは静岡に住んでいるおかげです。
富士山頂に最初に雪が降る「初雪」の方は、山頂の富士山測候所で行われてきたのですが、例年9月の初旬あたりでした。
富士山頂というところは、実は一年中ほとんど雪が降るので、どの雪が「初」かとはっきりしないところがあって、年間の最高気温のあとを「初雪」としてきたのだそうです。
ところが昨年9月、富士山頂の測候所は、初雪の観測をやめてしまいました。それで今年は「初雪」報道はなく、麓から雪化粧が見えたという意味での「初冠雪」のみの報道となったんですね。
ちなみに、富士山が“すっぴん”で見られるのは、大体7月ごろから9月ごろまでの3か月間だけで、あとはずっと“お化粧”をしています。
051011
10月になりました。昨日伊豆の某峠では気温22度と出てましたが…暑い静岡です。今日は日中室温が30度近くありました。夜は夕涼みがてらアイスクリーム屋へ行ってきました。値段もいいけど味もいいです。月に一度ぐらいは食べたいもんです。
051002
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、きょうは台風がはるか沖を通過して陽射しもまた強くなり、日中をオープンカーのビートで走るには、まだちょっと早いかなというところです。なにしろうちのビートにはエアコンがないんですねぇ。めっきりと言えるほど涼しくなるのが待ち遠しい!
050925
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