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真説 日本語文法、パングラム、そして日々のこと

from Suruga, Japan

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夏休みの横浜

土曜、写真は横浜の關帝廟。久しぶりだった。よく行った飲茶の店が食べ放題になっていた。家鴨を久しぶりにたくさん食べた。
日曜は朝から八景島。伊豆の三津にもある「シーパラダイス」は、最近テレビでもイルカ訓練の様子が放送されたようで、子供たちはそうなると喜ぶ。テレビでその背景を知るというプロセスが、経験を興奮させるということが、子供にはよくある。アシカやイルカのショーはなかなか見応えがあった。
もっとも、海豚食の駿河人に見る資格を問う向きはあるかもしれない。
050731

伊豆ナンバー


静岡県のナンバーは現状、「静岡」「浜松」「沼津」の3つだが、この度、「伊豆」がそれに加わることになったらしい。
伊豆半島の車はすべて「沼津」だったから、「沼津」の車がこれでだいぶ減ることになる。
050729

アメリカの泥棒に好まれているホンダインテグラ

CNNのニュース記事に、「2004年に米国で最も盗まれた車」というのがあった。

1位から25位までが掲載されていたが、「何年型の何という車」で分類されていて、1994年型から2001年型まで、8つのインテグラが16位までにランキングされている。

ランキングトップは1999年型のインテグラで、1998年型が3位、以下、6位に1996年型、7位に1995年型、9位に1997年型、11位に2001年型、14位に1994年型、16位に2000年型となっている。

シカゴのCCCインフォメーションサービスという保健関係の会社による調査だそうだ。
050727

シャワー付きトイレ(ウォシュレット)のDIY

屋内に2つあるトイレのうち、1つがまだ暖房便座のみだったので、DIYで取り替えを行った。
シャワー付きトイレは、10万円以上払って業者に一切を頼むものだとばかり思っていた。
ところがなんと、家電量販店にも並んでいるではないか。値段はピンキリだが、TOTOなどは高価で、ナショナル、東芝、サンヨーといった家電品メーカーのものは3万円以内で買える。
ナショナルの一番安いものを25,000円ぐらいで買ってきた。
中には、給水の分岐栓も入っていて、工事の説明書もついている。だからそれを見ながらやるだけである。所要時間もせいぜいが30分だった。
横着者は横着税を支払い続けなければならぬということを改めて知らされたところである。
050724

すてっかーぁ


かっこいいステッカーをいただいてしまった。
ビートに貼りたいところだが、大事にしまっておくことにする。
050720

経験、価値観、愛による破壊など

昨年の、フランスからの来客に続いて、今年も遠い異国から実地には初対面の客を迎えるのだが、人間どうしであるからには何らかの共有できる価値観が必要である。それが最初から、何から何までばっちり共感し合えるなんてことは、普通はない。
実はあるにはあるのだが、それはどんな場合かというと、たとえば宗教である。

昔、ドイツ人の友人宅に世話になったとき、彼のお姉さんに会った。かの「アルプスの少女」と同じ可愛らしい名の通り、小柄で、目もくりっとして実に可愛い人だったが、彼女は Bhagwan Shree Rajnessh というインドの聖者を信仰していて、当時インドのプーンというところにいたらしいその聖者のもとに、事実上住んでいた。久しぶりにドイツに帰国したところを、友人が紹介してくれたのだが、彼女には「アルプスの少女の名」とは別に聖者から、ア・ナマニド・リミナ(公表を避けるため私がいじったものである)という名前をもらっていて、どちらかというとその名で呼んで欲しがった。彼女の Rajnessh への信仰はかなり熱心だったようで、私に『 Ancient Music In The Pines 』という Rajnessh の著書もくれた。英語で読むのが大変なので、拾い読み程度しかしていないが、その思想はヨーロッパ人に大いに受けていたようだ。

彼女のように、聖者の著書を暗記するほど読んで、聖者の言う通りの生活を心掛けて聖者のもとに集った人々というのは、初対面からいきなり、主要となる価値観がマッチしてしまう。
そこが宗教のすごいところである。
このように宗教による擬似的な、ほぼ同一の経験を積み、同一の思想を身につけて価値観を共有するというプロセスは、どんなに遠い異国の民をも、容易に結びつける力をもつ。
ただそれが、平和的であり、社会的であってくれれば良い。

しかし時に、非社会的で破壊的な価値観を作り上げ、圧倒的な群衆によってそれが共有されることもある。 また、よく使われる「愛」の名が危険な場合もある。
破壊的な群衆が、「愛」の名のもとに結束して、「愛」ゆえに破壊や殺戮をおこなうこともあるからだ。
そんなことは、普通に考えて間違っている。間違っているのは明らかなのだが、当の群衆は正しいと信じて疑わない。破壊や殺戮を正しいとする「思想」が共有されているからである。

見知らぬ人とでも意気投合するには、そこに何らかの共有している経験や、経験に基づいた価値観が必要である。
宗教によらないとなれば、今のこの時代をどう捉えているかという考え方でもよし、特定の政治や時流、あるいは流行への共感や反感でもよく、まずは手探りで互いの生き方を知り合うところから始めることになる。

同じひとつの国に暮らしていて、言語や時代を細部まで共有していればそれは容易であろうが、言語も文化も異なる間柄であったら、とにかく話し合ってみなければならない。話し合うことで、相手との間では話すべきでないことも見えてくるから、その話題は避けようという暗黙の約束も出てくるだろう。

日本人として育ってくると、そのような異文化との暗黙の約束がわからないことがあって、日本人どうしでやるような好みの押し付けをしてしまうことがある。好みの押し付けも、“善意”という名の「愛」であることが多いから始末に負えない。一方的な愛は破壊をもたらすものであるから、それをやれば“友好”は破綻する。
050719

各地で今年一番の猛暑

やけに暑いと思ったのは、真っ昼間黙々と大掃除のようなことをしていたせいばかりではなく、梅雨が明けて本当に気温が高かったせいらしい。お盆が終わって通常モードに戻ったので、9月初旬に来る予定の、遙か遠方からの客を迎えるべく、物置と化している部屋を泊まれるように片付け始めた。きょう一日では到底終わらず、というよりきょう一日でやろうとすれば翌日動けなくなる恐れがあるので、これからの休みにぼちぼちやっていこうと考えている。
子供たちはそれぞれ友だちとプールへ行って来た。これまで休みにはくっつかれていることが多かったのだが、ようやく子供だけで遊んでくれるようになってきた。出費も減るので自分の小遣いも増えそうでありがたいところだが、「貧乏人とは金を遣う者、金持ちとは遣わず働く者」と子供たちに教えている手前、小遣い増えたと喜んでいるわけにもいかない。
金持ちと貧乏に関しては、浪費しがちな自分としては、己を戒めるためにいい加減その違いを見極めようと思ってきたところである。世の中には、一千万円もするメルセデスに乗っていて借金が一億近くある人がいるという話も聞いたことがある。しかも稼ぎがないという。普通なら破産となるはずだが、いったいどうやって暮らしているのかさっぱり想像がつかない。何にせよ、金を遣って偉く見せたい者は貧乏人に決まっている。金持ちとは、金を稼いで偉く見せるはずである。自分はどっちかというと前者のうちであるのかもしれない。なんとか正しく生きていきたいものである。
050718

石原慎太郎東京都知事によるフランス語に関する発言

このところの報道によれば、石原都知事がフランス語に関して「数を勘定できず国際語として失格」であると発言したというが、「数を勘定できず」というのはつまり以下のようなことであろう。

「1」〜「12」は、英語と同様に、それぞれ独自の単語がある。
日本語であれば、「11」なら「10、1」、「12」なら「10、2」と言うところだが、「11」と「12」を独自の単語で言うことに関しては、英語に対しても我々は“違和感”を覚えるところである。

ところがフランス語では、この独自の単語が「13」から「16」まで続く。「10、6」という言い方はせず、「17」からやっと「10、7」という言い方をする。
「17」から「19」までは規則的な言い方になるのだが、「11」から「19」までのうち、6つが不規則で、規則的な言い方はたったの3つしかない。

また、「20」にも独自の単語があり、これを「ヴァン」という。また「21」だけは「ヴァン、1」とは言わず、「ヴァン、&、1」と、「&(et)」が入るのも厄介に思える。「22」から「29」には、その「&」は入らない。

そして更に面倒なのは、「70」以上の数字である。
「30」「40」「50」「60」までは、一応規則的な言い方になるが、「70」をフランスにおける最も標準の言い方で言うには、「60、10」と言わなければならない。「72」なら「60、12」である。

さて「80」は、となると、これは「4、20(キャトルヴァン)」と言う。4×20=80だから、掛け算である。
「90」は「4、20、10(キャトルヴァンディス)」と言う。つまり「92」なら、「4、20、12(キャトルヴァンドゥーズ)」になり、「97」なら、「4、20、10、7(キャトルヴァンディセット)」である。

以上の説明を、フランス語を知らない人が聞いたら、たいていは混乱して、わけがわからんということになるだろう。

ちなみに、このややこしい「70」「80」「90」については、フランス語でも非標準語の中には、規則的な言い方、つまり「7、10」、「8、10」、「9、10」という言い方もある。

私はフランスには延べ3カ月ほど行っていたので、最低限のお金のやり取りぐらいはフランス語会話で行うことができるようになったのだが、初めはもちろん苦労した。すらすら言えるようになろうと、風呂などで「1」から「100」までを暗唱するという独学の特訓をかなりやったものである。

しかしさらにもう一つ、数字に関して使いこなせず痛い目にあったことがある。
それは「2時」と「12時」の区別、あるいは「2歳」と「12歳」の区別である。

「2時」「12時」をそれぞれフランス語でどう言うか、カナで表現してみると、それはともに「ドゥズール」であり、「2歳」と「12歳」はいずれも「ドゥザン」なのである。
もっともこれは、日本人なら「love」も「rub」も「ラブ」と聞こえて、日本人がうっかり「アイ・ラブ・ユー」などと言おうものなら「私はあなたを擦ります」と聞こえる類なので、どうということはないのかもしれないが、フランス人でも「12時」と言うときには、「2時」との混同を避けるために「12時、正午」などと言っているから、あまり楽観視するわけにもいかないところである。

石原発言は、このような厄介なフランス語事情を指すものと思われるが、それでいてフランス語という言語は十分に国際語として通用してきているのが現実であるから、今さら「失格」などと言ったところで、世界中が苦笑するところだろう。

石原都知事に損害賠償訴訟を起こしたという日本のフランス語学校校長さんたちも、苦笑するだけにしておくべきだったのではなかろうか。(苦笑)
050716

悪魔の思想

以前我が家によく来てくれていたイギリス人の友人が言っていたこと。
「イギリス人がどんな人たちかと言うことはできない。イギリスで生まれて出生証明書を持っていればそれがイギリス人なのだから。」
彼は日本に住んでいながらも常に自分の出生証明書を携帯していて私に見せてくれたこともある。

ちょうど今から1週間前の木曜日、ロンドン市内の数か所を同時に襲った爆弾テロは、どうやら自爆テロだったとの見方が有力になってきており、実行犯のうち3人は、ウエストヨークシャーに住むパキスタン系イギリス人の若者であると特定されたようだ。
彼らがこれまでどんな生活をし何を考えてきたかについては今後の詳しい報道を待つとしても、郊外で比較的平凡に暮らしてきたらしいという若者たちの心をとらえたのが「思想」であると見ることは、おそらく見当違いでもないだろう。

日本でも十年ほど前に、テロ組織と化した「オウム」なる似非宗教がテロ行為を働いて多くの犠牲者が出たが、「オウム」一連のテロ実行犯というのもまた、どちらかといえばエリートといえるようないたって「まとも」な若者たちであった。
普通に暮らせばさして深刻な不自由はなしに暮らせるはずの若い魂が、ある日を境に「思想」に取り憑かれる。取り憑かれて魔物となり、まったく落ち度のない普通の人々を無差別に殺戮する。しかも彼らはそれを「正しいおこない」であると信じている。

人類には“隣人との共存”という根本原理があるはずであって、それに反する思想や言動が正しくないのは明らかなのだが、「思想」は時として隣人との共存をも否定する。

我が家が父子家庭になったばかりのころ、子供たちを河口湖の日帰り温泉に連れて行ったことがある。長女が8歳、次女5歳のときだったから、まだ私といっしょに男湯でもよかったのだが、長女がどうしても女湯に入ると言い、次女も女湯に入ると言い出した。子供たちだけで女湯に入ったのは、たしかその時が初めてだったと記憶している。初めてのことで気が気でなかったので、私はさっさと体を洗って烏の行水とばかりに出てきてしまい、男湯と女湯に別れるその入口で子供たちを待った。
まさか中を覗くわけにもいかないから心配でたまらず、四十代ぐらいの優しそうな女性が出てきたところへ声を掛けて聞いてみた。
「ええ、いましたよ。お父さんと来たって言ってましたよ。もうそろそろ出てくるんじゃないかしらね。お父さん心配でしょうけど、大丈夫ですよ。」
そう言って笑われた。
なんとも優しくて、ごくごく普通の女性だった。見ず知らずの人間とても、みなこうして共存しているのだ、なんと有り難いことかと、感謝の気持ちでいっぱいになった。

「思想」はそんな人をも殺害し、その行為を正しいとするのだ。
そんな思想につけ入られる心の隙間があるとするなら、それは感謝という、人間にもっとも不可欠な感情の欠如ではあるまいか。
050714

ホンダビートのシルエット


どうもまた最近この車への愛情というものが増してきている。
それでまたこんなイラストをやり出した。
050713

Firefoxブラウザに新機能を加える

Googleから面白いものが出た。Firefoxブラウザ用のツールバーなのだが、例えばこのキャプチャー画像のような表示が表れる。
「感謝の心」と出ているのは、当ページのHTMLに書き込んである「title」であるが、その上に出ている「Gratitude: 感謝」とあるのは、カーソルを英単語に持っていくと表示される訳語で、これがGoogleからツールバーをインストールすることによって加わるブラウザの新機能なのである。
ちなみにこのキャプチャー画像は、Mac 0SX によるものだが、手の形のクリックカーソルはキャプチャーされなかったので、あとからAdobe Photshop の鉛筆ツールで描き加えたものである。
050711

大雨

昨夜までかなり降って静岡市内でも床上浸水があったらしい。9時ごろから止んできょうの午前3時ごろ外に出た時には星も見えた。急に風向きが変わったために北側の窓から雨が吹き込んだことと、車庫のシャッターを閉めずにいたためにビートのカバーが少し濡れてしまったことぐらいで我が家は特に問題なしだが、未明の3時ごろそれに気付いてビートのボディーカバーを外して干し、ボンネットとバンパー、フロントガラスなどを拭いてきれいにした。そのままドライブに出掛けようかとも思うが3時間ぐらいしか寝ていない。今日は和尚さんも見える。出掛けても道路は水浸しだろうからビートがますます汚れる。やはり寝ることにする。
050710

七夕

天候からしても「七夕」は旧暦でやるのが正しいと思うが、うちの方では何でも新暦である。お盆も新暦だから出居もすでにお盆モードになっている。それにしても「七夕」と書いて「たなばた」と読むのは無理があるような気がする。辞書で調べると「棚機」と書いて「たなばた」というのもあるが、これなら納得するところ。「七夕」と書いて「しちせき」とも読むらしいが、これも音読みではその通りなので納得。織姫と彦星の話というのはつまり、ともに働き者だったが結婚してラブラブで夫婦生活に耽って仕事をしなくなってしまった若い夫婦が無理矢理引き離されたという、これはまったく、なんともまあ、子供には話せないような話なのであるが、これがなぜだか子供たちのための願い事の行事になっているのだから不思議なものだ。引き離されてから妊娠していたことがわかって次に会う一年以内に出産、なんて話はないのだろうかと心配にもなる。
050706

忙しくなってきた

仕事がようやく忙しくなってきた。WEB仕事もあるので帰宅後もつい自宅作業にもなってしまう。こういう時は仕事だけ考えていたくなる。よってここの更新も十分とはいかないが仕方ないところだ。それにしてもこのところは眠たくて困る。6時間ぐらいは寝ているがそれを過ぎると目が醒める。本当は8時間寝るか、昼寝をしたいができない。睡眠が短めになると寿命が縮むような気がして心配になる。
050705

東京都小平市小川町

久しぶりに新幹線に乗って東京、といっても東京駅からさらに1時間半以上もかかる小平市の小川町というところまで行ってきた。
母校の校友会で総会があったため、新支部長の代打であるが、総会はいつも通り何事もなく終わり、映画監督の崔洋一さんの講演を聴いてから記念撮影をして帰ってきた。
しかし遠い。静岡東京間はひかり号のおかげで1時間だが、それから母校に辿り着くまでが骨である。おまけに卒業から二十年以上も経っているから道に迷いそうにもなる。
崔監督という方には、実に楽しい話を聞かせていただいた。照明助手として映画界に入り、大島渚監督『愛のコリーダ』(1976 大島渚プロ=アルゴスフィルム)で助監督をするなどされて、『友よ、静かに瞑れ』(1985 角川春樹事務所)、『月はどっちに出ている』(1993 シネカノン)、『血と骨』(2004 「血と骨」製作委員会)など、17本の監督、12本の脚本を手がけ、大島渚監督の『御法度』(1999 松竹など)には近藤勇役で出演もしている。講演では、北海道穂別の老人たちが作ったミュージカル映画のさわりも見せてくださった。
050703

宇宙戦争

スティーヴン・スピルバーグ監督の最新作が先月29日に封切られたので、きょうさっそく、期待して見に行ってきた。2005年パラマウント映画、トム・クルーズ、ダコタ・ファニングなどが出演している。

まず子役のダコタちゃんはショーン・ペン主演の『I am Sam.』という作品でのルーシー・ダイヤモンド役を見て以来だが、それから4年も経っているから10歳の役といっても当然成長著しい。可愛さよりも若干おばさん臭くもなっている。子役の命は短いものだから仕方ない。

『宇宙戦争』は言わずとしれたH・G・ウェルズ原作の古典的SFによるものだが、古さゆえの荒唐無稽さもしっかりと継承されている。先に映画化されたのは1953年のことで、あれから半世紀を経ているから、特殊効果など技術的には当然進歩している。
今回すごいと思ったのは、疾走する車の中にいる人物三人、会話をしているのだが、それをカメラがカットつなぎなしで前から横から後ろからと、車を周りながら撮り続けているというカットだった。ピクサーのフルCG映画でならもはや驚きもしないが、全て実写と見せてのこのカットには驚いた。
もっとも、走る列車を空撮してそのまま車内のコンパートメントまでカメラが入り込むなんてことだってできてしまう時代だから、こんなことで驚いていてはいけないのかもしれない。

しかしやはり驚きの連続である。実写とCGとの境界線は、『ジュラシックパーク』や『タイタニック』のころと較べても格段にわからなくなっている。そこにはあらゆる技術を一本の映画作品に集約させる無数のプロとプロ集団がいて、新作に関わるごとにその腕を上げているから、もはや技術的な限界も、限界ゆえの妥協も存在しないのだろう。「技術的に無理」なんて言葉、ハリウッドでは死語となっているはずだ。それでもなお貪欲に、細かいところにこれでもかとチェックを入れて、次はさらに高度な技術を、ということがまだ続けられていることだろう。美術屋や技術屋さんたちはそれを怠っていては生き残れないはずだからだ。

では映画は期待通りだったのかというと、ちょっと考えなければならない。
そもそも原作があまりに古臭いから、今の技術でリアルなものを作ったからといって、技術や美術だけで作品全体に現実味を持たせることはできなくて当然なのだ。
そこに演出家の想像力と技量が試される。
スピルバーグほどの巨匠であれば、それもこちらを唸らせるレベルでやってくれることだろうというのが私の期待だったわけだが、想像を絶する局面における想像を絶する人間の葛藤というものが、どうも描き切れていないと思う。
これは、想像を絶する宇宙人の破壊力が極端にものすごいものだったから、人間の葛藤までそのレベルにもっていくことができなかったのではないか。もちろん、トライはしていた。発狂しそうになるところも一応描写されてはいた。しかし物足りなさが残ってしょうがない。

ここまで荒唐無稽な原作に挑戦しようというからには、人物描写に関しても、細部の細部に至るまで徹底して観客の想像を超えてくれないことには、結局技術宣伝だけで終わってしまうのではないか。
050702

顔文字を真面目に考えたりして…

(゚Д゚) ( ´∀`) ( ゚∀゚ ) ((( ; ゚Д゚))) (゚з゚)
(´・ω・`)   (`・ω・´)  (・∀・) ヾ(*´∀`*)ノ

…このあたりまではよく使われているものだが、要するに( )によって顔の輪郭を作り、その中に目と口、できれば鼻まで、何らかの記号を用いて書き込み、顔らしく見せるというのがいわゆる「顔文字」である。「顔」の左右に万歳をしたような「手」を加えることもある。

英文などで昔から使われているものには、
:-)
などがあるが、これは「顔」を横に倒した形になっている。横書き文化ならではの発想、なのかもしれない。

戯画、漫画の文化を誇る我らが日本では、西欧などよりは、さらに微妙な表情を使い分ける必要があるはずだ。
下地には、あくまでも漫画がある。
漫画を日常読む習慣がなければ、日本人が使い分ける「顔文字」など、その微妙な違いは理解しにくいだろうし、使い分ける必要性を感じない文化もあることと想像する。

おおかたの記号は使い尽くされている感もあるが、メールではなく、HTMLに限っての記号ということであれば、「特殊文字」を使ってみても面白いかもしれない。
すでに使われているのかもしれないが、例えば以下のような「顔」はどうだろう。

(・ϖ・) (・ς・) (・≅・) ( ⊗ ϖ ⊗ )

これらの「口」あるいは「鼻」の部分と、最後のものにおける「目」の部分は、「&○○;」という特殊文字を呼び出すための半角英数字によって表示させたものなので、そのままコピー&ぺーストしても表示されないと思う。
例えば、「©」という著作権の記号があるが、これは「&」と「;」の間に「copy」を入れることによって表示される。「copy」のかわりに「reg」を入れれば「®」が表示される。
同じようにして「piv」を入れれば、歯を出している口のような形の「ϖ」を使うことができるというわけだ。

すでにより突っ込んだものを書いている人もいることだろうから、ボロの出ないうちにこの話はここまでとしておこう。
050701

ボク、じょーもん坊や。
ボクをさわると
運動するヨ!
Jリーグも折り返しですが、不調だった静岡勢のジュビロとエスパルスも、なんとか浮上してきているようです。たった4勝しかしていないエスパルスですが、引き分けがリーグで一番多くて、そのおかげでなのか10位まできました。静岡のスポーツの話題というと、大相撲の片山関です。四股が美しいといわれております。見事に足が上がるんですね、高々と。しかしまた今日も負けました。
050719
FIFAコンフェデレーションズカップ Germany 2005 決勝戦が終わりましたねぇ。しかしっ!ブラジル対アルゼンチン、4対1でブラジルの圧勝!そのブラジルと引き分けた我らが日本は、強かったんですね!?アルゼンチンと当たりたかったです。
050701
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