jomon.sumpu.net

真説 日本語文法、パングラム、そして日々のこと

from Suruga, Japan

← Home        

烏骨鶏のヒナ


ヒヨコは3羽いるらしい。これは帰宅後ストロボを焚いて撮ったものだ。
鶏小屋に入ると一斉に騒ぎ出してカメラを向ければ逃げる。逃げても狭い鶏小屋だから逃げようもないのに逃げ回る。ヒヨコも親鶏の陰に隠れようとするから撮りづらくてかなわない。手こずっているうちに蚊に刺されてしまった。
050630

チューインガムの進化

写真のガムをずっと愛用させていただいていて自宅にも会社にもまとまった量の入ったこのようなボトルを置いていたりする。

歯科医の友人に聞いたらキシリトール入りガムを噛んでいれば虫歯にはならないと言っていたから、子供を虫歯にしたくないことと自分もこれ以上歯をだめにしたくないことから毎日欠かせないものになってきている。ただし歯周病にはなるので歯磨きは欠かすなとも言われた。

L社の製品が一番広告に金をかけているのではないかと思われ、またコンビニの棚でもたいてい一番良いところを占めているが、写真のC社の製品は、噛んで持続する味の長さでL社の2倍以上と実感するので、L社の製品はまったく買う気にならなくなってしまった。
昔から日本では、ガムと言えばL社と思われてきたために、まだまだL社は半独占的に威勢の良い商売をしているのかもしれないが、もうやめた方が良いと思う。噛み比べてみればその差の歴然としていることに誰でも気付くはずだ。

今回は、C社の宣伝のようになってしまったが、仕方ないと思う。あまりに違いが大きいのだから。
050629

真夏の6月

6月という季節は梅雨前線で曇ることさえなければ真夏なのだということをあらためて実感するきょうこのごろ。
きょう正午の天気図を見ると、梅雨前線は朝鮮半島の中央部やや南寄りから新潟北部、宮城南部あたりに引かれているから、関東以西は梅雨が明けているように見える。
きょうも30度は軽く超えて日中外を出歩くにはかなりつらい。小中学校のプールもすでに始まっているから子供たちは日に日に黒く日焼けしていくことだろう。
しかし梅雨前線はこれからゆっくり南下してくると天気予報は言うから、水不足で困らないように是非そうあってもらいたいものだ。

ジュヌビエーブ・ラポルトさん

ほんの2年ばかりピカソの愛人さんをしていたことがあるという79歳になるジュヌビエーブ・ラポルトさんというおばあさんが、今まで所有してきたピカソ作の鉛筆デッサン20点をパリで売りに出して、総額約2億円というまとまったお金になったというニュースがあった。デッサンは1951年ごろのもので、モデルはラポルトさん自身だという。
ラポルトさんはデッサンを50年以上、金庫に入れてしまってきたらしいが、もっとたくさんピカソが見たいと切望する人は多いのだから、せめてどこかの画廊か美術館にでも預けておくことはできなかったのだろうか。半世紀以上しまい続けてきて、やっと出してきたら即換金、おお良かったねぇ!としか言いようがない。
050628

開成町の田園風景


神奈川県足柄上郡の開成町というところに行ってきた。
原風景が展開しているすばらしいところである。これなら足柄山の有名人金太郎さんが出て来ても不思議でない。
川は豊かに流れ、田にはお玉杓子や鴨が遊ぶ。うちの方にもまあなくはないが、開成町のようなのどかさはない。
のどかさの理由はいろいろ考えられるが、一番は道ではないかと思う。うちの方と同じ平地でありながら道が曲がりくねっている。拡幅もさして行われておらず、未舗装部分もちゃんと残されている。
050626

静岡日本語教育センター殺人事件

とんでもない事件が起きてしまったようだ。
私も一時期お世話になった石原先生が今日、中国人に刺殺されて亡くなったという報道があった。
石原先生は静岡日本語教育センターの理事長で、長年にわたり中国人への日本語教育と日本人への中国語教育に携わってこられた方で、「日中友好」に尽くしてこられた人だ。中国語は中国人並みにぺらぺらで、通訳にも忙しいと話しておられた。
静岡県日中友好協会ホームページのリンク集にも、静岡日本語教育センターは筆頭に載っているが、昔は「教育センター」の入口に確か「静岡県日中友好協会」の看板が掲げてあったはずだ。
私が教務主任を務めた日本語学校が廃校になったとき、石原先生から呼ばれて「教育センター」で講師をやってくれと言われたことがあった。なんでも私の評判が中国人学習者の間ですこぶる良かったらしい。学習者諸君には大いに感謝したが、それ以上安月給で日本語教員を続けることはできなかったため、一応教育センターにはうかがってお断り申し上げた。
石原先生を殺害したという犯人は「教育センター」で日本人に中国語を教えていた李志忠という男であるらしい。訳は話さないという。あるいは彼のプライドによるものなのかもしれないが、憶測でものを言うわけにも行かぬから、今はただ石原先生のご冥福をお祈りする。
050625

豆柴のチャッピー

鶏がいることと烏骨鶏がいて雛が孵ったことなど書いたが鶏はどれも卵を手に入れるために飼っているのであって実はペットではない。さらに小屋を作ることから何からすべて我が父がやっており私などはとれた卵をいただくだけなので実はここで私がさも飼っているぞとばかりに紹介するのも憚られるところなのである。さらに恥ずかしいことに先日は鶏肉も食べさせてもらった。小屋にはいると攻撃的になるのがいたので料理したということだったが、そういうことも私は経験がない。その点自分はなんとも情けない男であると思う。
我が家のペットは豆柴のチャッピー、雌犬である。夏場は涼しいところを好む。
050624

癒しの森

某国立公園内の某森の写真。なんとも癒されそうに見えるかもしれないが、まあ、気持ち良いと言えなくもない。きっといいだろうと思って足を踏み入れたのである。
ところが、ゴミが捨てられている。コンビニの袋、コンビニの弁当の容器、ペットボトルの空き容器、ティッシュペーパー・・・。全部拾って帰るには、大きなゴミ袋が必要だったので、そのままにしておいたが、ゴミの現場というのは道路に停車しやすいスペースがあるためで、そこに停めて飲み食いしたあとに持ち帰らず捨てていったのであろうと想像できる。
自分の車にはゴミを置かない主義だとかいうろくでなしが、まだまだこの世には少なくないが、ちょっと古い日本映画を見ていると、食べたあと、飲んだあとに包みや瓶などをぽいと捨てる場面がよく出てくる。しかも捨てるのは、道端であるとか、砂浜であるとか、人の割と来そうなところである。昔はゴミ拾いで生活していた人もいたからそれで良かったのだろうか、などと考えるが、こうした悪習は、私たちが先祖代々受け継いできたことなのだと知らされるところである。
050623

春暁の替え歌

昔、台湾で教えてもらった『春暁』の替え歌を紹介したい。

上がもとうた。

 春眠暁を覚えず
 処々啼鳥を聞く
 夜来風雨の声
 花落つるを知りぬ多少ぞ

下が替え歌。

 夏の日、風呂に入らず
 処々蚊に喰われる
 夜が来て手で叩く音
 何匹死んだか知らぬ

日本語で読むとわからないものだが、もとうたは韻を踏んでいる。そして替え歌も同じように韻を踏んでいる。漢字を全部音読みにして読んでいただければわかるかと思う。
050622

山里の鶯

写真をクリックしていただくと、先日山里で録音してきた鶯の啼き声が聞こえる、と思う。
静岡市は安倍川の支流である藁科川に沿って上って本川根町に向かう途中の、かなり高いところにある集落である。
録音は、手に持ったデジタルカメラで録ったもので、本格的な機材によらぬため、多少聞き苦しい点があろうかと思う。
050621

『まごころ』昭和14年東宝映画

今朝もまた朝の5時半から、日本映画専門チャンネルで成瀬巳喜男の戦前作品を見せてもらった。
成瀬巳喜男監督脚本、石坂洋次郎原作、高田稔、村瀬幸子、悦ちゃん、入江たか子、加藤照子出演、昭和14年の『まごころ』である。

この作品は、これまで成瀬ファンがなかなか観る機会にめぐまれなかったものらしい。とにかく観終わって断言できるのは、間違いなく大変な傑作であるということだ。泣かされ、はらはらと緊張させられ、また安堵し、和み、笑える。

ただラストで出征してゆく主人(高田)を見送る妻(村瀬)と娘(悦ちゃん)、娘の友達(加藤)とその母(入江)の祝福にはあまりに屈託がない。戦争の時代、お国のために命を捧げることが美しく正しかったのだろうが、この映画もまた、戦争を積極的に肯定している。

召集令状が届いた日のシーンでは、さも魚釣りにでも出掛けるかのごとき楽しげな言葉が交わされる。

「お父さん、戦争に行くの?」
「ああ」
「勝ってね!」
「ああ、敵をいっぱいやっつけて来るぞ」

「悦ちゃん」というのはこの子役の芸名なのだが、芸名に「ちゃん」までついているのはちょっと珍しい。
昭和40年代のテレビドラマに「チャコちゃん」「ケンちゃん」というのがあったが、いずれも役名だった。
この悦ちゃんは、戦前日本映画では大人気の子役だったらしい。やっときょう『まごころ』1本を観ただけだが、確かに才能豊かで魅力溢れる子役であった。

ジャッキー・クーガンやシャーリー・テンプルを知っていながら、悦ちゃんを知らなかった自分を恥じねばなるまい。
050620-2

烏骨鶏が孵る

我が家には鶏小屋とは別に烏骨鶏小屋があり、そこでこのところメスが卵を温めていたので子供たちは喜んで「生まれたら」名前をつけるなどと言っていたが、今朝ようやく孵ったそうだ。見に行っても見えなかったが、私以外は皆が目撃したのだから孵ったのだろう。
名前を考えておいて、などと言われたが、烏骨鶏のヒナの名前など見当もつかない、と思ってふと浮かんだのは「ヤマモト」という日本人によくある名字だったが、口に出す前にひっこめた。なぜ「ヤマモト」が思い浮かんだのか、自分でも理由がさっぱりわからない。
050620

大女優、入江たか子

今朝早くから眠いのを頑張って見た映画の主演女優、入江たか子のこと。

「おばあさまは西南の役でおじいさまの出征を見送ってからみずから喉を突き切って自害した立派な日本の女だったのですよ。」
というようなことを一人息子に語る母の役。そのあとすぐ胃癌で死んでしまうが、夫に宛てて息子を立派な日本人に育ててくれと書き残す。もちろん毛筆で、額に飾りたいような見事な達筆である。日本が戦争に向けて一致団結を強いられた昭和17年、東宝映画『母は死なず』、監督は成瀬巳喜男。公のために死ぬことが正しく美しいとされた時代の、プロパガンダ色のある作品である。

戦前からの大女優であった入江たか子については、このページに詳しい。

明治44年の生まれである。我が祖母は明治43年だったからわずか一つ違いだが、大阪の映画小僧さんコレクションのブロマイドを拝見するとなんとも大正ロマンかと思うような遠い昔を感じさせるが、大正時代にはまだ子供だったのだから女優としてデビューした16歳より後、つまりすべて昭和の写真である。

もっと古い、大正時代のブロマイドを私も一枚持っていたことがある。アメリカの、若くしてこの世を去ったカリスマ的二枚目俳優、ルドルフ・バレンチノのもので、かなりきれいなものだった。しかし20年ほど前、ほんの数週間付き合ってくれた女性にあげてしまった。正直、後悔している。

ちなみに基本的なことだが、ブロマイドというのは印刷であってはならぬはずだ。バレンチノのブロマイドも印刷物ではなく、印画紙に焼き付けられた写真であった。

入江たか子は戦後も化け猫の役などをやって映画の世界で生きてきたそうだ。さらに大林宣彦の『時を駆ける少女』にも出演していたという。あの可愛らしい原田知世が見たくて封切りを見に行ったにもかかわらず、私にはその入江の記憶がない。

本名を東坊城英子という一華族の生き様に思いを馳せた日曜の朝だった。

大阪の映画小僧さんコレクションのブロマイド集『銀幕の女神たち』を是非ご覧あれ。
050619

また紫陽花

天気が良かったので朝から藁科川沿いを上り峠を越えて本川根町は寸又峡温泉まで行って来た。
目的の町営温泉は閉まっていて、これもまた言い出すと役場の怠慢を指摘しまくることになるのでさらに腹が立ってきて気分が悪いからもう忘れることにしようと思うが、仕方なく本川根町内にある湧かし湯の別の温泉にビートを走らせたがこれもまだ開いていない。「bookmarks」のページに紹介している箱根湯本の湯の里おかだのように早朝から開ける風呂というのはまだまだ少ないのが現状である。

結局は川根町まで大井川沿いを下ってきて川根温泉をつかってきた。ここは湧かさず十分な湯温と県内随一を誇る湧出量で近年非常に人気の高い温泉だが、さすがに混んでいる。
寝坊している子供たちを丸一日ほったらかすのもまだ年齢的に早いかもしれないと思うから、未明から起き出して昼までに帰ってくるというような土曜のドライブが多くなるが、それに日帰り温泉を加えるとなると毎度同じところへ行くほかない。温泉地に住んでいるわけではないのだから仕方ないことなのだが。

大井川沿いを下ってくる途中でまた紫陽花をカメラにおさめた。一昨日アップしたものより数段上を行くブルーで、まあなんときれいなことだろうと心が洗われた。
050618

自分の写真

ネタ切れでもあり、たまには自分の写真をアップするのもありかもしれない。携帯電話のカメラで撮って、メール添付して自分のマックに送り、Adobe Photoshop®で色を減らしたのだが、この程度の小さい写真ならなんとか使えてしまう。しかしホームページ用でさえあるなら携帯電話で用が足りるのかと思うとさびしいものがある。
050617

紫陽花

梅雨どき晴天の少ないためか私は青いアジサイが好きなのだが、これも咲く時期というものがあって今の季節にはやはり咲いてくれないと困る。
春には春の花が咲き、夏には夏の花が咲き、秋には秋の実がなって、みなそれぞれ、約束をやぶることなくちゃんと楽しませてくれる。自分もちゃんと約束を守って生きているのかどうか、仕事では仮にきっちりやったにしても子供たちに寂しい思いをさせてやしないかとアジサイを眺めて反省しているところ。
明日また小学校の参観会にはスリッパ持参でこっそり仕事を抜けるとしよう。
050616

ミスター・インクレディブルの日

コンビニに予約してあった『ミスター・インクレディブル』DVDが昨日発売となりオマケの小さなゲーム付きで買って帰って観ることができた。先日も書いたが子供たちはすでに映画館で観ており、初めて観るのは私だけなのだが実は一番ピクサー映画のファンになっているのはこの私なのかもしれない。我慢などしないで子供たちと一緒に映画館で観れば良かったのかとも思うが、冬の公開から夏のDVD発売までというこの半年間の長さは大人と子供では感じ方に十倍ほどの違いがあるのではないかと思っている。
DVD発売時点で子供たちの記憶にある映画館で観たことというのはすでにずっと前のこととなっているが、大人にとってはつい昨日か先週かというほど最近のことにすぎないから映画館で観られなかったとしてもDVD発売まで十分に待つことができるのだ。
DVDには本編以外にも付録が多い。まだ全部見たわけではないが、監督による各シーンの解説も入っていてとても興味深く楽しめる。

さて内容だが、さすがピクサー! 期待を裏切ることはなかった。
ピクサーの作品はどれも、コンピュータグラフィックによるアニメーション映画であるが、この手法の始まった当初というのは、どうも目につらくて長時間見ていられないような汚い作品が反乱していた。特にNHK教育でやっている子供向けの番組にはひどいものが多かった。こんなものを見せたら子供の目にも教育にも悪かろうと思ったものだ。その当時は、アーティストであるよりもコンピューター技術者が作品を作っていたからではないかと思われる。
芸術的な素養が多少でもあればあのようなきたないものを作品であるとして垂れ流すようなことはしないのがアーティストであるはずだと思う。
ピクサー作品はその草創期からなかなかきれいではあったが、スタッフの役割分担が進み、経験も豊富になってきて、かなり細分化されたそれぞれの仕事をこれでもかという技とセンスで打ち出してくるようになってきているから、もはやCGアニメというカテゴリーなどとっくに超えてしまって人工の色や光線を制御し目に快く見せる技量がすでに実写を超えたと見ても間違いではないだろう。「インクレ」は、そこまでやってくれた。

21世紀のアニメーション手法は今後もピクサーが独走して切り拓いてゆくに違いないわけだが、これに比べると我が国のスタジオジブリなど、まだまだだなと思わざるを得ない。『ハウルの動く城』が全米十数都市での公開ということだが、その数からしてマニア向け作品の域を出ていないことがわかる。

野球の世界ではイチローが、松井秀喜が、世界から集まった最高の選手たちと互角に戦うようになってきているが、映画の世界で真に世界の一流作家と認められる者は出ていない。いるじゃないかという声も聞こえてきそうだが、評論家による評価ではなく興行成績という数字そのものでアメリカ映画に勝とうと努力するべきで、カンヌでどうのといったことは細かいところ・狭い世界における評価に過ぎないと私などは思う。それは映画をどこまでも“大衆芸術”と見ての話になるので、“芸術”とは別のことだという異論は当然あるものと思うが。
050615

ロンドンで裸の自転車集団

今朝BBCのニュースサイトを見たらロンドンのピカデリー広場だかからアメリカ大使館までを自転車で行進したという大集団の記事が載っていて、しかも全員がパンツもはかないすっぽんぽんだというので驚いたのだが、すぐさま日本のニュースサイトを探したが出ていなかったので、これを紹介するのをきょうの更新としようと考えながら会社に行ったらなにやら忙しく時間が過ぎてしまい、BBCの記事も見あたらなくなってしまった。きっとどこかにまだあるのだろうけど探すのも億劫だ。

そのグループというのは石油の大量消費に抗議するのが目的らしく、自転車で、自然のままで、こんなに生き生きと暮らせるのだということを訴えたかったのだろう。参加した女性のコメントが載っていた。確かこんなことを言っていた。

公衆の面前に自分の裸体をさらすのは怖いことだが、石油がこのまま消費されるのはもっと怖いことだ。

違ったかもしれないが大体そんなことを言っていたと思う。
こういうことを実際にやってしまうのは凄いことである。日本では絶対に不可能である。日本の周辺諸国でも不可能であろう。どうも文化が違う。
夏、ロンドンの都会の中の公園の芝生に寝転がっている裸の人を見かけたことがある。日光浴というものを彼らはことのほか好むようだ。裸になるということが、ある程度場所をわきまえたらできてしまうのが彼らの習慣であるようだが、その「ある程度のわきまえ」が具体的にどこであるかという点において、英国と日本とでは異なるということが言えるのかもしれない。

フランスを放浪した時にはヴァカンス真っ盛りのビーチリゾートに泊まったことがあったが、私の泊まった部屋は砂浜に乗りだしたような平屋の建物にあって窓を開けるとトップレスの若い女性たちがゆっさゆっさとあるいているのがよく見えた。部屋の窓を開けて外の景色を見るのは当たり前のことのはずだったが何やら覗き見をしているような気分になって窓が開けられず困ったことがあった。
050613

梅雨入り

静岡方面でも梅雨入りとのことだが毎年梅雨入りといって雨が続いた記憶に乏しく、今年もやはりというべきか梅雨入り宣言とともに晴れさえして気温高く部屋にいてなおじっとりと汗が噴き出るからいよいよこれで本格的夏の到来を実感するところ。

この時期台風の心配さえなければ実は海開きをするべきで伊豆東海岸、伊東の海水浴場はすでに6月4日の土曜日から始まっている。

駿河湾では西端の御前崎に近い方に相良や静波といった大きな海水浴場があるが海開きは毎度7月1日でそれまではたとえどんなに暑かろうとも行楽客を歓迎しようとは考えてもいないらしい。しかも7月初旬こそがこの地域では雨が多いときている。こういうのを日本語では「馬鹿の一つ覚え」と言う。

利用客の都合に合わせてこそ成り立つのが商売というものなのにそれをあべこべに考えているかのごとくまるで疑問を持ったことがないという地方行政に未来などないと言うべきだろう。旧態依然とした殿様商売をまだ続けようという馬鹿者どもにつける薬はないのかもしれない。
050612

大型タンクローリーが対向車線で多重事故

子供らを乗せ自宅から5キロほど離れたイヨートーカドーに行き子供のTシャツなど買って昼食のラーメンを食べてから帰宅すべく東名インター取付道路に出るところあたりからなんだかやけに混んでいると思いつつもそのまま自宅方向に向かうが自宅まであと数百メートルの取付道路片側二車線は完全に渋滞となり最後の右折となる中島交差点に辿り着いたところで警察がUターンの誘導をしていて何事か起きていたと気付かされた。それまで対向車線を走ってきていた車はすべてUターンさせられた車だったのだ。

中島交差点をそのまま右折すれば国道150号線で南安倍川橋を渡るのだが橋の手前を左折すれば我が家に至る。

Uターンし裏道に入ってなんとか帰宅したが我が家周辺のこの異常事態の真相を知ったのは珍しいことにテレビの全国ニュースだった。大きな交通事故が南安倍川橋を渡りきった下川原で発生していたということだった。事故の時間は午前11時20分ごろ、大型タンクローリーがあろうことか反対車線を走行し次々に衝突したという。この事故でタンクローリー運転手が重傷、対向車線は幸い軽傷者のみだったそうだ。

事故現場に沿って立つサイゼリヤというレストランで土日に昼食を取ることがよくあるが、その時はいつも混雑を避けて11時半ごろに行くので我が家がこの事故に巻き込まれた可能性は高かった。
050611

扇風機初日

昨夜から今朝の天気予報によればきょうの予想最高気温などきのうより4度も下がって24度程度と夏日ですらなく恐らく過ごしやすかろうと思われたがなんとも本格的にじめじめとしてきて不快指数にすればきっと十分に夏の到来ということなのだろう。そこできょうは平成17年初の扇風機使用ということになった。

涼しい。
眠たくなるぐらいに涼しくて心地よく、これで仕事さえなければアイスチョコもなかでも買ってきてくつろぎたいところだ。
050610

歌わぬ雨

歌っているなどといえるほどはっきりとした雨音が聞こえてくればまだ覚悟のできようものを仕事で部屋にこもる間にしっとりと湿らせては姿をくらます卑怯な雨が晴れ間に巻き上げた埃の溶剤となってざまを見ろとでもいわんばかりにボデーを汚してゆくので仕方なくスタンドにて五百円の簡単洗車を依頼しなければならぬ。先週今週来週とこのようなことが続けばそれも積もってガソリンの満タンに足るほどの出費となるのは悔しい思いがしてならぬのだが、小さくて見窄らしい車を汚れたままにすれば心の憂鬱は避けられぬのでまたスタンドに車を運ばざるをえぬ。

昨日来社した印刷会社のまだ若い営業は頭頂もそのど真ん中に子供の時分に見た漫画のラジコンアンテナ状に髪を少し束ね立てていたが彼がもし気付かぬのなら教えてやるべきだったのかもしれぬと今さらながら思うのはそれがヘヤスタイルというものではなく単なる寝癖であろうと容易に想像がついたからだ。しかし彼は私にとっては客人でもあったので初対面の、我が社に利益をもたらす彼の来客に寝癖がついていますよと指摘したところで、寝癖は直らぬゆえそのようにアンテナ化しているのであってただ彼に恥をかかせる以外に何ら良い結果は得られぬはずであったから見て見ぬ振りをするというその場での私の判断はあながち間違いでなかったのではないかとも考える。

寝癖というものは就寝前に洗髪をして寝た場合などに顕著だから起床後シャワーを浴びて頭からつま先まですっきりと洗って一日を始めるというやり方が好ましいとも思うが、排気ガスや埃で汚れた髪を、清潔に保つべき敷布や枕カバーに一晩中押し当てるのも勇気がいることだからやはり就寝前の入浴ははずせないものと思われる。 それならもっと早い時間に入浴して寝るまでに髪をすっかり乾かしてしまえば良いのかもしれぬがそれをいうならヘヤドライヤという便利な道具もあるわけで、就寝前であれなんであれそれを活用するのが賢明なる現代人といえるのだろう。しかし我が家において日々使用が可能なヘヤドライヤはここ数年見あたらず探してみようと思うほど切羽詰まったこともないので洗ったらそのうち乾くさという考え方から少しも先に進んだことはなかったのだ。そのくせ食器乾燥機を使用している。

気圧が低いせいなのか頸から上ばかりが妙に暑く気だるい午後がこのところ続いていて、溌剌とした午後を過ごしたいと思えどその実現にはまだ数か月を要するのかもしれぬ。
fic. 050609

EXPO '70

本棚の奥から出て来た絵はがきです。
『日本万国博』『EXPO '70』『Japan World Exposition, Osaka, 1970』とあって、「人類の進歩と調和」というスローガンも入っています。通常の2倍はある大きな葉書の28枚組で¥500という値段、当時としては高かったんでしょうね。これ以外に27枚、めぼしいパビリオンも紹介されているんですが、ここではちょっとアップしきれません。
シンボルだった「太陽の塔」の葉書裏面にはこうあります。

シンボルゾーン
大屋根(お祭り広場)をつきぬけてそびえる太陽の塔、そしてその内部には、母の塔と青春の塔があり、地下と地上、空中の展示場では、人類の過去、現在、未来が表現されています。


葉書は特大サイズのため、当時の国内郵便料金では25円かかると、紙ケースに記されています。普通の葉書だと7円ぐらいだったでしょうか。このころすでに10円ぐらいしたんでしょうか。

追記です。
探したら良いページがありました。こちらです。『郵便料金の移り変わり』
これによりますと、万博当時の普通の葉書は7円ですね。昭和47年2月から10円になったようです。
当時は切手の収集も流行ってました。うちにもまだ当時のストックブックがあります。
050608

名刺メーカー

暇なとき、名刺を作るのが癖になっています。
美大を出て、最初に作った名刺がウケたことに始まっています。
今までに、いったいいくつ名刺を作ったかわかりません。印刷用のデータを作っただけで印刷には回さなかった名刺もたくさんあります。
今度は印刷してみたいと思っています。しかし、もったいないからやっぱりやめておくかもしれません。
今回の名刺には、日本地図と、我が家を通る経緯線を入れて、緯度と経度をそれぞれ0.001の位まで記してあります。
マピオンという地図のサイトで「住所一覧で探す」をやっていって自分の番地まで辿り着くと、表示される地図のURLの中に数字が入っています。それらしい数字が緯度と経度です。
コンピューターってのは、実に偉いもんですねぇ。
050607

ヤモリ

特に珍しくもないかもしれませんが、我が家にはヤモリが住み着いています。
写真は廊下の突き当たりにある洗面所の窓ガラスです。
夜になると、明るい窓の外にこのように張りついて、集まってくる虫を食べるようです。実際に食べているところは見たことがありません。
家の中に入って廊下にいることもあります。天井に張りついていて落ちてきたこともあります。また、床を歩いていて、ドアに挟まれて死んでしまったのもいます。
ニホンヤモリは、「Gekko japonicus」というんだそうです。
050606

安倍郡大里村役場の跡

『安倍郡大里村役場(あべぐんおおざとむらやくば)』の跡
 明治5年(1889)五月一日に馬淵(まぶち)・川辺(かわのべ)・稲川(いながわ)・中田(なかだ)・見瀬(みせ)・中(なか)・安倍川(あべかわ)・中野新田(なかのしんでん)・西脇(にしわき)・石田(いしだ)・中原(なかはら)・下島(しもじま)・中島(なかじま)・西島(にしじま)・高松(たかまつ)の15ヶ村と弥勒町(みろくちょう)、および南安東村(みなみあんどうむら)の一部から大里村ができました。大里村の発足とともに宮崎安七郎が初代村長に就任し、ここに敷地158坪(約521平米)、建坪41坪(約135平米)の村役場が建設されました。昭和四年の静岡市との合併に伴い、村役場はその務めを終えました。
 東海道本線の跨線橋「宝台橋(ほうたいばし)」の建設により、昭和9年(1934)頃旧村役場は敷地が縮小、また、建物も解体され、跡地は「馬淵公園」として生まれ変わり、今日に至っています。

『馬淵」=地名の由来と沿革=
 馬淵は、安倍川下流の左岸に位置しています。地名の「馬」は、「真」の借字・「淵」は、川の淵を指し、この地がかつて、安倍川の氾濫原であったことを示しています。
 室町期から慶長年間にかけて、当地には駿河八神社の奉弊使(ほうへいし)・馬淵太夫(まぶちのたいぶ)が居住していたと言われています。(『駿河国新風土記』より)
 「馬淵」は、室町期の14世紀中頃から見られる地名で、江戸期から明治22年まで馬淵村として有度群(うどぐん)(後に安倍郡)に属していました。
 昭和4年(1929)に大里村(戸数2,964戸・人口14.327人)が静岡市と合併し、旧馬淵は同7年(1932)から馬淵町一丁目・二丁目と馬淵本町になりました。昭和16年(1941)からは、一丁目から十丁目となり、更に、昭和41年(1966)の住居表示実施に伴い馬淵一丁目から四丁目となって現在に至っています。
平成7年11月(監修 静岡市教育委員会)
温故知新
(馬渕地名の由来と沿革、安倍郡大里村役場)小冊子の参考資料、西脇の萩錦酒造 萩原家所蔵の大里村史と駿河国新風土記、日本地名大辞典(角川文庫)静岡市百年の足跡(静岡新聞社)及び山本雄三氏、荒川秀治郎氏その他古老談を基にしたものなり。尚、安倍郡、最後の郡長は鈴木勝太郎氏、後の静岡警察署長になられた方、また大里村の最後の村長は中島の石上庄太郎氏でした。村役場の建物は昭和九年に解体され中島え移築された、その後昭和二十六年に中村町に移築され共に農業会館として活用された立派な建築物でありました。
平成六年十月吉日 馬渕一丁目 山村雄三誌 荒川秀次郎
以上は、静岡市駿河区馬淵一丁目、安倍郡大里村役場跡にある立て札を書き写したものです。
我が家は中島ですから、昭和4年に静岡市と合併されるまで、静岡市ではなく安倍郡大里村だったんですね。
今年から静岡市駿河区となって、少し昔に戻ったのであれば嬉しいところです。
050605

2005年4月〜 タバコパッケージ

愛用のタバコも今年4月からパッケージデザインがひどいことになりました。
写真左が従来のデザイン、右が新しいものです。これをやらされたデザイナーとしたら悔しくてしょうがないでしょうね。せっかくのデザインがすっかり破壊されています。
メーカーとデザイナーが魅力的で完成度の高いデザインを心掛けるのは当たり前の話、それを汚すべく注意書きを加えているという矛盾。異教徒の遺産だからとタリバンが仏像を破壊したことと同レベルの犯罪だと言うべきでしょう。タバコが健康に良いとか悪いとか、そういう事とは全く関係のない話です。
050603

信号待ち


昨日の帰りに信号待ちしてたら右前方にこんな車がいました。かっこいい。きれい。静岡ナンバーでした。
トヨタ2000GTですね。昭和40年、330台限定、6気筒DOHCエンジンですね。実は昔、我が家にもシルバーのが1台ありました。ブリキのが。
050602

持ち物

車でちょっと出掛けるとなりますと、普通は免許証を携帯します。私の場合も財布の中に入っていますので、財布を携帯します。写真の派手な色のが財布で、愛知万博に行ったときに買ったんですが、グァテマラ製、織物でできてます。それまでは、コンビニで買ったサッカー日本代表の財布だったんですが、マジックテープが剥がれてきて、万博で気に入ったのがあったので買い換えたのでした。
車に乗らなくても、ちょっと散歩をするなんて時にも携帯するのが、タバコとライターです。これも、夏になって薄着になってきますと、ポケットがなかったりして困ります。写真にはありませんが、それにさらに携帯電話など持ち歩こうと思うと、夏用普段着のだらしない短パンなどでは、ポケットの重量が増してますますだらしなくなります。
デジタルな生活で、大事なスケジュールなどは携帯に入っていて知らせてくれるようになってたりしますが、アナログテキストエディターの代表格、手帳とボールペンも日常の必需品です。写真にうつってますのがファイロファクスのミニサイズの手帳、買ってからすでに15年ぐらい経ってますが、高価なリフィル(紙)は買わずに、安い紙を自分でパンチして使ってます。ボールペンには昔からこだわってきたりしたんですが、最近はカランダッシュという色鉛筆で有名なメーカーのものを使ってます。
あと車のキーですね。さらに小銭入れ、デジカメ、なんらかのカード類などなど、どうしてこうごちゃごちゃと、物がないと暮らせないんでしょうね。
釣りはしないんですが、釣り用のチョッキを一つ持ってまして、これにはやたらとたくさんのポケットがついてるんですが、カバンを持ち歩きたくないときにはこれを着用して重宝します。背中にも大きなポケットがついておりますので、レジャーシートなんかもポケットに入ります。
犬と散歩するとき、犬は手ぶら、といいますか、一切持ち物がありません。首輪をつけられているだけで、それもきっと邪魔なことでしょう。でもそれで長旅までこなしてしまうのが犬さんのすごいところです。
人間は、あれだこれだそれだと物を持ち、まるで物を運ぶために生きてるようです。
050601

ボク、じょーもん坊や。
ボクをさわると
運動するヨ!
FIFAコンフェデレーションズカップ Germany 2005 決勝戦が終わりましたねぇ。しかしっ!ブラジル対アルゼンチン、4対1でブラジルの圧勝!そのブラジルと引き分けた我らが日本は、強かったんですね!?アルゼンチンと当たりたかったです。
050701
FIFAコンフェデレーションズカップ Germany 2005 グループB、日本対ブラジル戦が終わりました。2対2の同点でした。あと1点、取れたかもしれないという試合でしたが、取れなかったというのが結果でした。それにしても日本は強くなったんだなぁと思います。ジーコ監督にObrigadoです。
050623
6月は生まれ月ということもあって、本文の文体を変えてみることにしました。全然理由になってないんですが、ものごとそう「こうだからこうだ」と言えばいいというものではないと気付く年頃なんですかね。ちょっと今日は睡眠不足がつらくて、きっと目が赤くなっていると思います。早く帰って寝たくてたまりません。
050610
サッカー日本代表チームの2006年ワールドカップ出場おめでとうございます。
12年前、8年前からしたら、かなりレベルが上がってるんでしょうね、日本のサッカーは。それとも朝鮮のレベルが下がってるんでしょうか? いや、やはり日本のレベルが上がってるんでしょう。
スタジアム外で応援されたサポーターの皆さんにも感謝です。
050608
© 1996-2005 jomon.sumpu.netAddress: 1185-1 Nakajima, Suruga, Shizuoka #422-8046 JAPAN