日本語文法の基礎理論について (2007.5.31)


一 明らかに二通りある“語”ないし“語の部分”

 “語”ないし“語の部分”を、以下「語」とする。

1 客観的語義を伝えるために用いる語
    (私 着物 だれ 話し 歩き 美し ほぼ ゆっくり …)
2 客観的語義を伝えるためでなく用いる語
    (〜は 〜が 〜も 〜だ 〜だった 〜だろう 〜のだ …)

1 客観的語義を伝えるために用いる語
 ・語義を客観的に説明できる
 ・認識の対象を伝えるために用いる

2 客観的語義を伝えるためでなく用いる語
 ・語義を客観的に説明できない
 ・認識の対象以外の“なにか”を伝えるために用いる

 ここで便宜上、1を「S」、2を「M」と仮称する。

 あらゆる語がSかMかのいずれか一方にのみ分類されるのではなく、それぞれの語は次の三類のいずれかに分類される。
 (第1類)Sとしてのみ用いる語
 (第2類)Mとしてのみ用いる語
 (第3類)Sとしても用いるが、Mとしても用いる語


二 認識の対象以外のなにかとは、認識の対象ではない“それ”

 改めて次の命題を再掲する。
 ・Sは認識の対象を伝えるために用いる。
 ・Mは認識の対象以外の“なにか”を伝えるために用いる。

 話者は発話において、認識の対象という内容と、認識の対象ではない内容とを併せて伝える。
 それが対象でないとなれば、認識の対象以外のもう一方、つまり“認識の主体”であるということになる。
 以下、「認識の対象」を「対象」、「認識の主体」を「主体」とする。


三 認識成立の基本条件は認識の対が存在すること

 主体が対象に対立することで認識は成立する。
 いいかえれば、主体と対象が常に一対として存在することで認識は成立する。
 これを《認識成立の基本条件》と見る。

 発話が話者の認識を伝えるものである以上、もし対象のみを伝え、主体を排除してしまえば、認識の片側だけしか伝えないことになる。
 認識の内容を伝えるということは、対象を伝えるとともに主体を伝えるということ、いいかえれば、認識の両側を伝えるということである。

 主体と対象の対、あるいは「認識の両側」を以下、「認識の対」とする。


四 Mの多様な形態

 「山」という対象を認識するとき、特別な語調を一切ともなわずただSのみ、つまり「山。」とのみ発話することは、主体を排除した発話となりうる。
 それに対して、「山」という対象を認識し、「山だ。」「山だった。」「山か。」「山ね。」「山さ。」「山かも。」「山だろう。」などとMをともなって発話することは、「山」という対象に「だ」などの主体を加えた認識の対を内容とする発話となる。

 認識の対は、「だ」「か」などのMを排除しても、特別な語調をともなうことによって成立する。「やまぁ?」「やーまっ!」の類。
 「やまぁ?」とは「山か?」などに近い発話であり、「やーまっ!」は「山だ。」などに近い。
 このように語調は、Mと同様の伝達内容を有すると見ることができ、語調もまたMの一種であると見られる。

 同じように「あっ、山。」「おお、山。」などにおける「あっ」や「おお」もまたMである。
 また話し相手に回答を求められてのち一定の沈黙をおいてから「・・・・山。」とする間合いの類もまたMである。


五 文法のゆくえ

 「助詞」「活用語尾」などをMと認め、同じように客観的語義のない「語調」や「感動詞」などとともに認識の主体がいかなる発話内容として伝えらえるかを研究することが、今後あるべき文法研究の方向であると考える。