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日本語文法 研究ノート『本当の意味』


あとがき 本当の意味

 私たちは子供のころから日本語を使って暮らしている。
 その日本語の中で、子供でも間違えずに使っている一番の基本と思われる部分について述べてきた。
 もちろんまだその全部とはいえないが、日本語の、その一番大事な部分は説明しづらい無意識の中にある。

 私たちの認識は、いつもわかりやすい対象に向けられていて、わかりにくいことや、説明しづらいことだとつい、まあいいかで流してしまう。せいぜい「なんか引っかかるなぁ。」と、悶々とはするけれど、「いつまで考えてもしょうがない。」という生活の智慧が優先する。
 「文法」の問題も、みんなが説明できないことを扱うので、物知りそうな人から「それは過去形です。」などと断言されれば、たとえ「本当にそうか?」と心に引っかかっても、じゃあ何だと代案を出せるわけでもないから、じゃあそういうことにしておこうで終わってしまいがちだった。
 その「断言」が、権威と結託すると弱ったことになる。

 朝の朝礼で、登壇するとすぐ校長は言った。

 「帽子をかぶっている人が、帽子を脱いでください。」

 我が敬愛する校長は、日本語ネイティブではなかったから、このような「は」と「が」の間違いを時々していたが、「私は君たちが生まれる前から日本に住んでいます。日本語の文法も勉強しました。」と自信に満ちていた。
 権威にたてつくなら本当の意味を用意しなければならなかったが、この場合の権威とは決して校長ではなく、校長が学んだという「文法」だ。

 幸い、日本には日本語のネイティブが圧倒的多数を占めているから、いくら権威であろうとも、「文法」ごときに日本語を変質させるまでの力はない。
 「こういう場合は『が』を、こういう場合は『は』を用いる。」などと仮にどこかに書かれていようとも、それによって使う日本語を決められてしまうのは、日本語を「文法」から学んだ校長たちだけなのだ。

 もちろん、だからといって校長が変な日本語を使うのを笑って見ていていいわけではなかった。
 「日本人にしかわからないんだよな。」
 そんなセリフで、本当の意味など説明できなくて当然というのでは、日本語はカルト教かということにもなってしまう。

 どうしたら本当の日本語を描写できるのか、どうしたら本当の意味を説明できるのかという、その方法から探してみるべきだったが、無限にある言葉の用例のうち、いったいどこから手をつけて良いかもわからないから、個人でできることといえばつまり、内省という方法しかない。普段は感じられないところにある自分の心の動きを、なんとかして感じるのだ。
 しかしそれで何かを仮に感じたと思っても、それは思い過ごしとどう違うのか、証明する手立てを見つけるのにまた途方もない苦労をする。ひとりで悟りを開いたなどとほざくだけでは笑われるのが落ちなのだ。

 それでも内省しかなかった。ただひたすら内省を続け、無意識の側に隠れようとする心の動きを感知する。それを客観的に説明できる思考レベルに引っぱりあげて、ああでもないこうでもないとモデルを描く。お絵描きだったら自信もあったし、これしか方法はないと思った次第だ。

 描写すべきは、私たち自身の主観という日本語運用システムだ。

 それは個人差なく、知識量とも思考能力の優劣とも無縁に、誰にも平等に与えられているはずだから、もし正しく描写できれば、世界の常識にも少なからず影響を及ぼすこととなるだろう。

 そんなことができるだろうか。できそうかどうかは、この本にあることが、あなたに本当の意味だと感じてもらえるかどうかにかかっている。


平成十八年九月二日 興津諦



 参考文献
 大修館書店 月刊『言語』一九九四年十二月号
『〈日本語学習者のための〉新しい日本語文法』興津諦