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日本語文法 研究ノート『本当の意味』


第六章 「の」‥客観、決まり事、判断の共有

1.日本語には二通りあるということ

 これもまた、日本語の基本中の基本となる言葉だ。
 まずは発話例から。ほぼ同じような意味を表すようにも見える文を二つずつ並べる。

 女が、「ケーキ食べたい。」と言う。それに対して、ケーキ代を払いたくない男が言う。
(1)「ケーキは高い。」/「ケーキは高いの(だ)。」
(2)「ケーキは虫歯になる。」/「ケーキは虫歯になるの(だ)。」
(3)「ケーキは高カロリーだ。」/「ケーキは高カロリーなの(だ)。」

 私たちの日本語には、このように「の」がつく言い方と、つかない言い方と、常に二通りの言い方がある。
 二通りあるということは、どっちも必要だからあるということだ。しかもその必要度は非常に高いもので、「る/た」同様、これがわからなければ日本語の基本がまったくわからないということになってしまう。

 意味を考える前に一応おことわりしておく。
 ここで扱う文末の「の」は、関東以外の耳には、「だ」をつけて「のだ」の形にしないと「女性的」とも聞こえるとか、様々な「の」があって分類自体がなかなか難しいとか言われるものだが、本書では、「の」の後に「だ」がつけられるものを全て、同じ一つの「の」としておく。私たちの実感としては、そう認識されているはずだからだ。

 そんな「の」だが、これもやはり単純に説明されたことがないようだ。
 「高い。/高いの。」といった違いについて、私たちはただ「の」が付くかどうかの違いだと、ごく単純に認識しているわけだが、単純な認識ながら、意味の違いははっきりしていて大きく、ときには「の」ひとつで意味が逆転することすらある。

2.《主観》がヨビカタの一部となる

 まず(1)〜(3)それぞれの上の方に見た「高い」「なる」「高カロリーだ」は、すでに見てきた通り、《主観が主となる認識のあり方》だ。

 次に下の「高いの」「なるの」「高カロリーなの」は、それぞれ《主観が主となる認識のあり方》の直後に「の」を付けて括ったものだ。
 もちろん「の」※の後、さらに「だ」や「だった」などを付けて新たに認識のあり方を加えることもできる。(※「の」は、「ん」にもなる。)

 「高い。」→「高いの。」「高いんだ。」「高いんだった。」「高いんだろう。」

 こうなると「高い」の「い」に表れていた《主観》は、「の」によって霞んだ感じともなってくる。
 また「高いのだ」は、「ケーキだ」と同じ「〜だ」という形と化していることから、「高いの」というひとまとまりが、《ヨビカタ化》したと見ることができる。

  高い  + の =  高いの  ‥「高い」がヨビカタ化したもの

3.「の」の本質的な意味

 これまで見てきた通り、ヨビカタとは《対象》を内容とする。
 《対象》は《主観》と対立してあるもので、《客体》とか《客観》とも言い換えられる。
 ところが《主観》を含む「高い」は、「の」で括ることで「高いの」とヨビカタ化し、対立するはずの《対象》の側に転換されるわけだ。
 これを単純な式で表すとこんなふうになる。

 主観 × の = 対象  ※「主観」としたのは、「高い」など、主観部分を含んだ語の意

 「の」がつくことによる意味の変移を次のように見る。

 ・「高い」は、「い」という主観で括られるので、話し手の認識
 ・「高いの」は、ヨビカタ化し《対象》になるので、括られた「高い」は、話し手の認識ではなくなる

 つまり「高いの」は、《主観ではない認識》を意味することになり、話し手個人の認識から離脱する。
 個人の認識でなくなるとなれば、それは《客観的認識》、つまり《誰とでも共有されるべき認識》となり、《常にそうと決まっていること》、《決まり事》といった意味にもなる。

 以上を先にあげた発話例で確認しておこう。

(1)
 「ケーキは高い。」‥男の個人的な認識
 「ケーキは高いの。」‥誰とでも共有されるべき認識、決まり事

(2)
 「ケーキは虫歯になる。」‥男の個人的な認識
 「ケーキは虫歯になるの。」‥誰とでも共有されるべき認識、決まり事

(3)
 「ケーキは高カロリーだ。」‥男の個人的な認識
 「ケーキは高カロリーなの。」‥誰とでも共有されるべき認識、決まり事

4.衝突する二つの《客観》

 具体的な発話例をもっと見てみよう。

(4)教室で、非常に優秀な生徒が難しい問題を解いている。先生がそれを見て生徒に注意する。
 先生「ここ、xだよ。」
 生徒「え? yですよ。」
 先生「xだよ。」

(5)教室で、非常に優秀な生徒が難しい問題を解いている。先生がそれを見て生徒に注意する。
 先生「ここ、xだよ。」
 生徒「いえ、yなんですよ。」
 先生「xなの。」

 (4)には「の」が使われていない。だから先生、生徒ともに、「x」か「y」かを、自分の認識のまま発話している。

 それに対して(5)では「の(=ん)」が使われる。
 生徒が「yなんですよ。」と発話したことは、解答が間違いなくyであることをすでに客観的に認識しているという意味だ。だから当然、先生とも共有できる認識、先生も同意すべき正しい結論という意味になる。

 それに対して先生が「xなの。」と返したのは、解答がxであることを、先生が客観的に認識しているという意味であり、生徒の発した「客観」とは正面からぶつかる。
 もちろんこの場合も先生は、「の」を避けて二度目の「xだよ。」を発話することもできる。
 その場合は「客観的認識」という意味ではなく、教師としての自分の認識という意味になってくる。
 あえてそのように「の」を使わないことで、客観など持ち出さないという姿勢、つまり、自分の自信や威厳を示すこともできる。

5.「の」を使うべきケース

(6)テーマパークで喫煙場所を探していた男。喫煙できそうだと思って入ったカフェテラスでタバコに火を点けようとすると、店員が頭を下げながらやってくる。
 店員「申し訳ございません。こちらは禁煙となっておりまして…。」
 男 「ああ、ここも吸っちゃいけないんだね。」

 男は「いけないんだね。」で、「吸っちゃいけない」を《決まり事》と理解する。
 だがもしここで男が、「の」を使わず次のように発話したらどうだろう。

 「ああ、ここも吸っちゃいけないね。」

 店員のあの言葉に対してこんな返し方というのは、日本語のネイティブらしくない発話という印象にもなるが、それでもやはりこう発話したとすれば、「吸っちゃいけない」が個人の認識という意味になってしまう。
 そもそも店員が、「〜となっている」という言葉をつかって《決まり事》を教えてくれたのだから、「吸っちゃいけない」が男個人の認識であるはずはないのだが、それを個人の認識として「吸っちゃいけないね」といえば、「吸っちゃいけない」ことを知っていたという意味になってしまう。

 このように、「の」を使うかどうかで、話し手の本心や置かれる立場が逆転してしまうというケースもあるのだ。
 ということは、これを悪用することもできてしまう。それは吸ってはいけないと知っていた場合だ。いけないことを知っていたのに、注意されて「いけないんだね。」と「の」を使えば、それは偽証ともなりうる。

 このように、「の」ひとつで意味が逆転することもあるわけだ。

6.「の」に含まれてくる意味

 また、たとえ「の」をつけることができたとしても、「の」によって含まれてくる意味を嫌い、あえてつけずに話すこともあるだろう。

(7)コンビニのレジ。客が「マイルドセブン」と言って、レジ奥にあるタバコを買う意志を店員に示す。店員がそれを聞き直す。
 店員「マイルドセブンですか?」

 ここでもし、「の」=「ん」を使って次の言葉を発したらどうだろう。

 店員「マイルドセブンなんですか?」

 これでは客が不愉快になる可能性が高い。
 不愉快の原因は、「の」を付けることによって、《決まり事》というニュアンスに変わるためだ。つまり、「あなたはいつも、マイルドセブンと決まっている。」というような意味合いだ。
 「マイルドセブンなんですか?」では、「お客様は、いつもマイルドセブンを吸ってるんですか?」とか、「本当は違う銘柄ではなかったんですか?」といった意味とも取れるから、客としてみたら、「マイルドセブンで悪いのか。何を吸おうがおれの勝手だ。」といった気持ちにもなるはずだ。

 また、言うまでもないことだが、話し言葉には抑揚や間合いというものもあって、ヨビカタやゴビにさらなる意味を加えることもある。
 たとえ「の」は使わずに「マイルドセブンですか?」と言うにしても、「へぇー、なるほど!マイルドセブンですか?」というような意味を込めて、全体が山型に大きく盛り上がるイントネーションで、「マイルドセブンですかあ?」と言えば、「の」を付けて不愉快にさせる場合と同じような意味になるだろう。
 「へぇー、なるほど!」にも、知らなかった《決まり事》を知った、納得したという意味が込められるからだ。