縄文ネット アーカイブ



日曜午前

長女が予定通り4時前に起きてきてCS放送のアニメが始まったので、雨の降る中を一人ジーノで伊豆へ向かった。午前中に帰宅すると告げての「半日」ドライブである。

この写真を撮った韮山(にらやま)の反射炉に寄ったころはまだ薄暗く、それから山を越えて伊東へ下り、伊東市南部の城ヶ崎(じょうがさき)海岸に着いたのが6時50分ごろ。どちらも観光名所であるが、反射炉はまったくひと気なし、城ヶ崎には早起きの太公望ぐらいしかいなかった。

観光名所とされる所には、この韮山の反射炉のように、一度来たら二度と来たくはならないような所がまだあるようだ。つまり「みやげ」だの「そばうどん」だの「コーヒー」だの「ラーメン」だのといった、二目と見られない醜悪で巨大な看板が、どこにいても視界に入ってくる類の「名所」である。韮山の反射炉は特にそれがひどい。この写真にはそうした見苦しい物が写っていないが、あとほんの数メートル引いたところで撮れば左右にそれらが写ってしまう。大体ここは史跡のはずであるから、学生や子供たちが勉強に来る場ではないのだろうか。伊豆の国市(旧:伊豆長岡町、韮山町、大仁町)には即刻周辺の看板を撤去すべく条例を制定してもらいたいものである。

さて普段なら渋滞ばかりで通る気のしない伊豆東海岸であるが、早朝はさすがに空いていてどの道路も快適そのものであった。東伊豆町の北川(ほっかわ)に立ち寄り、また南下して熱川(あたがわ)の温泉旅館で風呂を借りた。タオルなし700円。取り立てて立派な風呂場ではなかったが、湯は天然温泉100%保証の掛け流しということで、予防接種のため昨夜我慢した入浴を一人完全貸し切り状態で堪能させてもらい、ここまで来た甲斐があった。

そのまま河津まで下って、天城を経由し、帰りだけ沼津インターから東名高速を利用して、帰宅したのが午前11時ちょうどだった。ETCがついたので財布のカネは差し当たり減らないが、あとからクレジット会社の請求が来て引き落とされるので借金を増やしながら走っているような気になる。

帰宅してみると娘たちは二人して川向こうの公園まで自転車で遊びに行っていた。長女にウィルコムのPHSを持たせてあるので、昼だから戻ってこいといった用件がすぐに伝わる。世の中なにかと便利になったものである。
(051030)


名物と、街づくり。

もう古い記憶になるが、学生時代に自転車を飛行機に乗せて西欧を一人旅した時、最初の国、イギリスへ行ってつくづく感じたことである。

高校時代にチャーリー・チャップリンの研究をしていたので、チャップリンの生まれ故郷であるロンドンの南部へ行った。ケニントンロードなどがそれであった。たった一箇所、「Charles Chaplin lived」と記した地味なプレートの取り付けられたアパートがあったが、他には特になにもなし。それでも『チャップリン自伝』に出てくる何か所かを写真に何枚も撮っていたら、壁に映画のチャーリーをかたどった大きな看板のあるパブを一軒見つけた。パブの名前は特にチャップリン由来のものではなかったと思うが、はっきりチャップリンゆかりの地とわかるのはどうやらその店だけであった。

これが日本だったらどうだろうか。少なくともチャップリンの銅像ぐらいはあるだろうし、チャップリン饅頭や、せめてチャップリンキーホルダーぐらい売っていてもおかしくないところである。なにしろここから出た世紀の大芸術家である。世界中にその名をとどろかせ、世界中の人々を笑いの渦に巻き込んだ大天才であるのだから。

昨年は娘たちを連れて柴又の帝釈天にお参りする機会もあったが、あそこの参道もすごいことになっている。故渥美清さんの演じた車寅次郎のキャラクターはそこら中で笑っているし、とらやの原型はうちだとばかりに団子屋も並んでいて、果たしてどこがそのオリジナルなのかはわからない仕組みになっている。

日本人の感覚なら、柴又のあの浮かれ方も、当然のこととして受け入れることができるが、ケニントンロードとその周辺のロンドンっ子たちは、いったい何を考えているのだろう。

想像するところだが恐らくこれは、まず何よりも先に、そこに住む人々の生活があるということではないだろうか。その土地がいかなる有名人を輩出したにせよ、現に今そこに住む人々の生活こそが優先されるべきであって、住民たちはその土地をたった一人か二人の有名人の色に染められたいとは考えないのではないかと思う。

観光名所になって遠方からカメラをぶら下げた集団が年中押し寄せているような街にするか、それとも他の街と同様に、住民の住みよい街にするか、その二者択一だとしたら、ロンドンっ子たちは迷わずその後者を選択しているということなのではないのだろうか。

それでいて、かのチャーリー・チャップリンを生んだ土地であることに密かな誇りを持ってもいる。それで十分だろうし、それ以上何を望むというのだろうという話なのである。
(051031)


個人崇拝が好まれ個人の好みが尊重されない未成熟社会

昨日の話「名物と、街づくり。」はまあ、お国柄といえばそれぞれ特色があって何ら問題はないところなのかもしれないが、本当にそれだけなのだろうかという疑問が完全に払拭されることはない。その疑問とは、日本社会の成熟度に関わることである。

社会がそこそこに成熟してくると、例えば「個人崇拝」のような風潮が廃れてくるといったことが実際にある。昔はなにかにつけて、「偉い人」というのがいたものだが、現代では、それがたとえ総理大臣であろうとも、尊敬されはしても崇拝されることはない。

我が祖母の世代など見てくると、崇拝の対象となってきた人物、なにやら絶対化されている人物というのが話のあちこちに出てきたものだが、母の世代ではかつてあったものが今は忘れられているし、自分の世代では最初からまるでないといっていいと思う。まったくないのも寂しいから、天皇陛下とタイの国王陛下とダライ・ラマ法王猊下だけは絶対の存在と崇めたく思っているが、それというのも、そうした存在のあまりのなさから強いて崇めようと努力しているところがある。

自分の生きている現代の日本社会が、それだけ平等な社会になってきているということであろうし、同時に、平等すぎることへのある種の不安も働いているわけである。

柴又の賑わいが、山田洋次や渥美清への個人崇拝だけだとは言えないが、参道商業のコンセプトがそれに便乗したものであると見ることはできるわけだから、それで成り立ってゆくのであれば、ある意味で日本人の成熟度を表すものと見ることもできよう。

「寅さん人気にあやかっての商売」が成功するのは寅さん人気がすごいからだという説明がされるのであろうが、その人気の絶対度が高ければ高いほど、日本人はミーハーであるということになり、個人の趣味趣向が全体に流されやすいということにもなる。そこは異論を許さない空気に支配されていて、戦前の全体主義がまだ形を変えて続いているということにもなってくる。

この全体主義的なところが日本社会の特質なのだと思うこともあるが、実は単に成熟していないだけだとも言えるのではないだろうか。
(051101)