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和語の仕切りは和語の仕切り

「見る」という語があるが、辞書では複数の意味に分類するのが普通である。(以下『大辞林』より抜粋)

1. 目で知覚する
2. 風景などを楽しむ
3. 映画やスポーツを鑑賞する
4. 文字や図で表されたものを理解する
5. 存在を認める
6. 判断するため状態を調べる
7. 判断、評価する
8. 診断、診察する
9. 手相などで占う
10. 鑑定する
11. ある立場に立って判断する
12. 特定の範囲から結論などを導く
13. 世話をする
14. 実現する

…とこのようにざっと見ても「見る」一語が大変な種類に「分類」されている。

学校の国語の試験などでも、

「次の各文の“みる”は、AからDのどの意味か。」

というような出題があって、子供たちはその分類に従うことを強制され、

「見るは見るなんだからどれも一緒じゃないか。」

などと考える子供は、1点ももらえない。

祖母「ひろしや、ちょっと見ておくれ」
孫「見るって、観察?それとも診断?ちゃんと正確に
言ってくれないと困るなあ、おばあちゃん。」

家庭でこんな会話になったら悲惨である。

日本語を母語として生まれ育ってきて、「見る」という語を誰も間違いなく遣っている。それはひとえに「見る」という語の意味の仕切り(カテゴリー)を頭の中にしっかりと作ってきたということなのであって、その仕切りの中にさらにまた別の仕切り(上記1〜14)を作ることは、日本語での実生活から得られるものでは到底ない。

「知覚」なら「知覚」で意味がわかるし、「楽しむ」は「楽しむ」である。いずれも「見る」とは別の仕切りにある言葉である。

「映画を見ましょう」という普通の言い方がある一方で「映画を鑑賞しましょう」という堅苦しい言い方もある。それぞれ色合い(ニュアンス)が異なるから、話す状況によってどちらかを使い分けるのが当たり前であるのに、辞書や国語教育は、「言い換え可能」であるかどうかによって「分類」というものを強制してくる。

もっとも「分類」が不要というわけでは決してない。
しかし「分類」が、「定説」とされる学説だけに許された特権であるはずはないのであるから、たとえば「和語を漢語と対照させて、漢語の仕切りに従って和語を仕切る」ことがさも正しく当たり前であるかのような「分類」でよいのか?

確かに和語というものは、意味が漠然としていて特定しにくいとう性質があるのかもしれないが、特定しやすい漢語や外来語が、和語より優れたものであるかのような印象を与えられ続けて育つ日本の子供たちを心配する必要もあるのではないか。

漢語や外来語を多用する話者よりも、和語だけで言いたいことをしっかり伝えられる話者の方が、実際のところはるかに好感度が高い。

国語教育の目的とは本来、好感度の高い話者を育てることにこそあるのではないだろうか。
(060312)


子供には易しい。専門家にだけ難しい。

これまでにあげた「ちょっと」や「どうも」などという語は子供でも当たり前に使っている基礎的な語彙であるわけだが、辞書を引いてみた通り、専門の研究者にとってはどうやら解読不能な恐ろしく難しい語であるということらしい。

専門家がこれでは、人工知能に「どうも」と言わせることは不可能だろうし、「ちょっと」という言葉さえインプット不能である。

しかし私たち素人は物心つかぬうちから遣ったり聞き取ったりしている。

専門家には、「範疇」や「演繹」という語の方がきっと「どうも」や「ちょっと」よりはるかに易しいのだろうが、私たち素人や子供たちには正反対で、「範疇」や「演繹」なんてよくわからないが、「どうも」や「ちょっと」だったらとても簡単で、絶対に間違えて遣うこともない。

これはどう考えてもおかしな話である。

▼専門家
「どうも」「ちょっと」などの易しい言葉であるほど意味が特定できず、「範疇」「演繹」などの難しい言葉であるほど意味が特定しやすい。

▼素人や子供
「どうも」「ちょっと」などの易しい言葉ならわかりやすくて説明も要らないし間違って遣うこともないが、「範疇」「演繹」などの難しい言葉だと説明されてもよく理解できないし使いこなせる自信もない。

これはいったいどういうことか。
たとえばこんな説明ができるかもしれない。

「どうも」「ちょっと」などの易しい言葉がなぜ易しいのかといえば、それは言葉のこころが通じるからである。

「範疇」「演繹」などの難しい言葉がなぜ難しいのかといえば、それは言葉のこころが通じない、感じられないからである。

たとえば「あじゃぱー」という言葉がある。
これは『大辞林』を引いても出ていない。
ということは、専門家がそれを言葉と見なしてすらいないということである。

しかし私たち素人には、「あじゃぱー」のこころがわかるから、これは易しい言葉の部類である。(この言葉が流行したころにはだれでも理解していた。)

以下はグーグルで検索してみたときのヒット数(060314)
あじゃぱー(ひらがな):27,900件
アジャパー(カタカナ):24,700件
(060314)