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「ちょっと」とはどういう意味か? 心的意味を特定すれば具体的意味も導出できるという簡単な話

「どうぞよろしく」なんてのは、言葉としては内容がない。中国語なら「多々指教」かもしれないけどそれだって「たくさんのご指導をお願いします」という意味で具体的な内容を含んでいる、しかし「どうぞよろしく」には内容らしい内容がない。
考えてみれば「どうも!」なんてのはその代表かもしれない。
「先生、”どうも”ってどういう意味ですか?」と学習者に聞かれれば、私は「言葉のお辞儀です」と説明することにしていたけど、そういう説明をしている参考書や辞書はどこにもない。ないけどそれ以上に説明のしようがないと思うからそう説明していた。
(興津平成十三年六月七日『台湾茶掲示板』への投稿から)

「どうも」の意味について、ネット上に初めて書いたのがこの文であるが、「言葉のお辞儀」というこんな簡単な意味であってさえ、日本人は説明に窮してしまう。

「どうもって、どういう意味?」
こんな質問を外国人にされて、一生懸命に解答を考えるのだが、どう頑張っても簡単明快な説明ができない。それは専門の研究者にさえ全くお手上げなのである。

日本語には全般にこうした“意味不明”の単語が溢れている。

「ちょっと」という言葉も説明が難しい。
説明が難しいのは、「客観的にどんな事象を指すのか?」という説明をしようと考えるからであって、そもそもその「客観的」という視点が狂っているのだ。

幼い子供たちが植木鉢で遊んでいてベランダが泥まみれ。それを見つけた母親が慌てて、

「ちょっと、ちょっと!」

と叫ぶ。

この「ちょっと」とは何か?
三省堂の『大辞林』にあたってみると以下のように「説明」されている。

* 数量・程度などがわずかなさま。時間が短いさま。
* 軽い気持ちで行うさま。特に何という考えもなく行うさま。
* 大層というほどではないが、かなりの程度・分量であるさま。
* (下に打ち消しの語を伴って)簡単には(…できない)。
* 軽く相手に呼び掛ける語。もしもし。


「わずか」と説明していながら「かなりの程度・分量」と書いている。これではまったく説明にならないどころか、日本語を学ぼうとする外国人を逆に絶望の淵へと突き落とす。

全体を通して読んでみても、要するにこの辞書でこの項を担当した人とその人が集めた資料を書いた人々には、「ちょっと」を説明するだけの能力がまったくないと見なさざるを得ないわけだ。

岩波書店の『広辞苑』ではどうか。

* わずか。少し。
* 存外。かなり。
* しばらく。
* こころみに。
* ほんのついでに。
* 少々のことでは。そう簡単には。


『広辞苑』もこの通り、『大辞林』同様、まったく役に立たないことがわかろう。“要するにどういう意味か”に対する解答がないのだ。
第一、上にあげた母親の「ちょっと、ちょっと!」という子供に向けた叫びを『大辞林』や『広辞苑』の中の各説明に言い換えてもいずれも意味が通じない。

日本語の専門の研究者が、日本語の最も基本的な単語について説明ができない。
これが現状であり、現実なのである。なんと嘆かわしいことであろう。

では以下に「ちょっと」の説明をまとめる。

「ちょっと」には、量の「少し」という具体的な意味のほかに、下記の心的な意味がある。

* (流れの)途切れ、障害


「どんどこ、どんどこ、どんどこ、どんどこ・・・・ちょっと。」
と、このように表れるのが「ちょっと」である。

「どんどこ、どんどこ…」と流れているところへ障害物が挟まって途切れ、「ちょっと」となる。

「なんだい?見せてごらん。…おお、これはちょっとすごいねえ!」

話し手は、平常心という状況の流れの中で見るつもりであったが、見せられた物によってその平常心が途切れたことを「ちょっと」によって表現している。

「ちょっとトイレ。」

これも同じで、「少し」を意味しないところの「ちょっと」はいずれも同様の説明となる。会議や麻雀などで時間が流れているのを途切れさせてしまう時、いきなり「トイレ」と言うのはぶっきらぼうというものであるから、そこに「ちょっと」を差し挟む。
「タイム!」という時に「ちょっとタイム!」と言いたくなるのも同様である。

「ちょっと」は途切れを最小限に抑えたいという思いから、その途切れの程度が「少し」であるという意味で頻用されるようになったのではないかと思われるが、現代では“途切れ”そのものを強調するために語気を荒げて「ちょっと!」などと叫ぶことも普通になっている。

「ちょっと、ちょっと!」という母親の叫びもそういう意味であるから、別の言葉に言い換えるとすれば、

「待ちなさい!」

となる。
以下も同様で、

「山田君、ちょっと。」
…といえば、「今やってる仕事を途切れさせて(悪いんだが)、話がある。」という意味。

さらに具体性のない婉曲表現に以下のようなものがある。

「私にはちょっと…。」

これは、「あなたが私にしようとしている話は、私を相手にしてはスムーズに進みません。」あるいは「あなたが私に問いたい質問は、私からは返答できません。」といった意味。
「私にはちょっと…。」がどんな文脈で発言された場合であっても、「途切れて流れない」「スムーズにいかない」「障害がある」という意味となり、いずれも同一の心的意味を表す。

言葉には心がある。
その心が何であるのかを特定する努力を怠ってきた結果が、『広辞苑』や『大辞林』に見られる日本語研究の体たらくなのではあるまいか。
(060311)