縄文ネット アーカイブ



変な日本語「を」

非常に気になることがある。
日本語のことである。
それも、もっとも簡単なはずの、ひらがなの読み方である。

例えば「先生」は「せんせい」と書く。しかし読み方は「せんせえ」なのである。
これをひらがなの通りに「せんせい」と言うのは変なのである。

「お父さん」なら「おとうさん」と書くが、読み方は「おとおさん」である。ひらがな通りに「おとうさん」と発音する人はいないはずである。

そして最近特に気になるのが「を」の読み方である。
どうやら小学校の先生からしてが、「うぉ」と読ませているのではないかと思われる。
最近テレビで歌っていた歌手も「を」を「うぉ」と発音していた。

しかし「を」本来の発音は、ア行と全く同一の「お」なのである。
いったいいつから「を」を「うぉ」と読むようになったのだろう。

「終わり」を歴史的仮名遣いで書けば「をはり」であるが、これは「おわり」と読むのが当たり前である。

もし「を」が「うぉ」であるのならば、「スターウォーズ」など「スターヲーズ」と書けばよいことになってしまうが、誰もそんな書き方はしない。そんな読み方がないからである。
(060113)


あいうえお

もう一つ、心配になったことがある。
「あいうえお」の発音である。

小学校一年生の教科書だったか、「あ」は口をめいっぱい大きく、「い」はめいっぱい横にひろげて、「う」ならウンとこさつぼめて…という調子で、口の形をはっきりさせてはっきりと発音しましょうという、目を背けたくなるような指導が写真も入って念入りになされていた。モデルを担当していた女の子を不憫に思ったものである。

日本語の「あいうえお」は残念ながら、そういう発音はしないのである。
そういう発音をしているのは、日本語教師としての基本を無視した似非教師に教わった外国人か、自分の国の言語がそういうふうに発音するのでそのまま日本語でもやってますという外国人だけである。

もっとも、歌の世界は事情が異なるらしい。
昔々のこと、デビューしたばかりのピンキーとキラーズの今洋子さんの口の開け方がすばらしくはっきりしているというので、淡谷のり子だったか、偉い大先輩に褒められていたことがあった。
どうやら歌はそれでも良いらしい。

しかし日常の話し言葉でそれをやったら、かなり変なことになる。とても日本人とは思えないのである。

もっとも、あまりにモゴモゴ喋るのも嫌われがちなので、外国人みたいにはっきり話すのはまだましなのかもしれない。
(060113)


敬語の誤用

コンビニ店員など、若い人の敬語がおかしいといった指摘をよく見かける。

「文法が正しくない」などという発言を耳にすることもあるが、それは簡単な話ではない。
日本語のネイティブ(日本語を母語とする人)であれば、文法上の間違いというのは基本的におかさないというのが私の立場である。
その場合、私の用いる“文法”というのは、学校でやっているような国文法等ではない。
自分の意思や気持ちを相手に正確に伝えるために必要な、言葉の中でものごとを表さない部分の使い方のルール、それができていれば、「文法が正しくない」とは言えないと考える。

実際の発話例を見てみよう。

 店員A「千円、お預かりさせていただきます。」

これは20代の男性店員。
姿勢として彼は非常に腰が低く、悪く言えばぺこぺこしている印象であった。

最も一般的な謙譲表現では、

 「千円、お預かりします。」

これで十分であり、これが標準といって問題なかろう。

 「お」+「動詞連用形」+「する」=お預かりする

この語形を使うことで、その動作が自分の謙った動作であることを表し、「私が」という動作主語を必要としないものとなる。
単に「預かります」だけでは、自分と相手と、あるいは第三者と、誰の動作を言っているのかわからないことになるから主語を必要とするが、謙譲語と尊敬語でさえあれば、自分(自分の側の者)なら謙譲語、相手(相手の側の者)なら尊敬語ということで、日本語らしく短くてきれいな発話が可能になる。

これが尊敬語なら、

 「お」+「動詞連用形」+「に」「なる」=お預かりになる
 「受身形」の形=預かられる

という形になる。

謙譲語にもどれば、「お預かりする」ともう一つ、「〜させていただく」という言い方があるが、その場合、

 「千円、預からせていただきます。」

となる。
これと、先にあげた「お〜する」の形を、欲張ってか両方いっぺんに使ってしまったのが店員Aの発話「千円、お預かりさせていただきます。」であるわけだ。

さてこれを文法的に間違いだと言えるのだろうか。

「お預かりする」あるいは「預からせていただく」のどちらか一方だけで十分なところ、その両方を組み合わせて発話することができてしまった。できてしまうがゆえに、両方やればより謙った表現と感じられる。
店員Aはそう思ったのかもしれない。

大事なことは、謙るという目的を達成できるかどうかであるから、発話した店員Aがそれで満足し、そう言われた客がそれで店員Aの態度を良しと見れば、どこにも問題はないということになろう。

しかし、すべての客が良しと受け取ってくれるかどうかはわからない。
なにやら聞き慣れない言葉を言ってるぞと、訝る向きもあろう。

実際私自身も、ちょっとこれは変だ、謙譲のやりすぎだと感じたから、彼にそう指摘してやるべきだったのかもしれない。
(060217)


敬語の誤用、その二

 店員B「千円お預かりになります。」

これは20代と思われる女性店員の発話例である。
いつも行くたびにそう言ってくれる。

昨日書いたように、「お〜になる」という言い方は、ふつう尊敬語になる。 それを知らないために彼女はこのような発話を繰り返すのか。

「〜になります」という言い方はとても便利なものである。

 「(トイレは)右の奥になります。」
 「こちらが会員証になります。」
 「合計で千円ちょうどになります。」
 「明日の開店時間は9時からになります。」

…などなど。

彼女の言わんとする言葉を分解して、

「千円(の)お預かり」「に」「なります」

…とすれば、

「千円お預かりすることになります。」

…という意味とも取れるから、「預かる」が自分の動作だという意味になり、これも文法的に間違いだとは言い切れない。しかし問題は、これが相手の「預かる」という動作を言う尊敬語とまったく同じ形になってしまうことである。

やはりこれも避けてほしい言い方だということになろう。
(060218)


いただきます

きょうは「いただきます」の話であるが、食事のことではなく、謙譲語のことである。
どうも最近、耳障りな「いただきます」が多いようなのだ。

 先生に教えていただく。

とまあ、このように遣われるのが「いただく」である。
分解すると以下のようになる。

 先生に :相手としての先生
 教えて :先生の動作
 いただく:謙って言う自分の動作

まずこの文の中には、「先生」を尊敬する部分がない。「先生」という呼称それ自体はまあ尊敬であるが、「教えて」は尊敬でもなんでもないし、「いただく」は自分の動作で謙譲語なのである。

「いただく」に対しては、「くださる」を遣う言い方もある。

 先生が教えてくださる。

 先生が :動作主としての先生
 教えて :先生の動作
 くださる:敬って言う先生の動作

このように「くださる」を遣えば「先生」を尊敬する意味合いが入ってくる。

しかしどうも最近は、「くださる」でも言えるはずのところを「いただく」ばかり遣っている、あるいは「いただく」しか遣えないという人が多すぎるのではないだろうか。

「〜していただく」という言葉の基本的な意味は「〜させる」という、いわゆる“使役”と同義でもある。
例えば「先生に教えさせる。」などと言えば失礼きわまりないわけである。

もちろん、「先生に教えていただく」なら、精一杯の謙りが「いただく」に込められているから、失礼というほどのことはないとも言えるわけなのだが、「尊敬」「謙譲」などを取り払った語義そのものの部分では、どこまで行ってもこれは“使役的”なのである。
尊敬ではなく、使役と通ずる意味合い、それが「〜していただく」なのである。

だから、できれば「〜してくださる」の方を優先して用い、「〜していただく」については、「くださる」で言い換えのできない場合に限るようにするのが、本当に正しい日本語だといえるのではあるまいか。

「くださる」が遣えない、「いただく」しか遣えない、どうもそういう人が増えてきているように感じられてならない。これこそが、日本語の乱れというべきものだ。

附記
「先生にお教えいただく」とすれば、「お教え」に尊敬が入ってくるので、「教えていただく」のように失礼な色合いになることはない。
(060307)


死んでいただきます

1と2を比較されたし。

1.先生、ひとつ教えていただけますか?
2.先生、ひとつ教えてくださいますか?

1は、「いただく」を「いただける」の可能の形にして、さも丁寧さ十分の風である。しかし2と比べると、先生を敬う心掛けに、大いに差が感じられるはずである。
しかし昨今、2の「くださいます」の使用頻度が世間から激減しているため、2は微妙に古風とさえ感じられ、1ならごく普通の丁寧な言い方と感じられる。
これが問題なのである。

3.死んでくれ。
4.死んでもらう。

「くれ」というのは「くれる」の命令形である。
ところが命令形を使用している3の方が、4よりも低姿勢である。
3の「死んでくれ」には、「頼む」という姿勢があるが、4にはまったくないためだ。
「死んでくれ」なら、窮極の言動として、泣きながら発する言葉ともなるが、「死んでもらう」では、あまりに冷血である。

では4をもっと謙って言ってみたらどうか。

5.死んでいただく。

慇懃無礼も甚だしいというところである。
いくら「いただく」などと謙ったところで、「くれ」と命令形にした「死んでくれ」と比べたら、やはり相手にお願いするという姿勢が皆無であることに何ら変わりはないのである。つまりこれにも冷血さこそあれ、「死んでくれ」のような泣きながらの窮極の言動とはなり得ない。

「いただきます」は、どこまで行っても一方的なのである。一方的に自分が謙るばかりで、相手のことなど考えなくとも発することができる。
それが「いただきます」なのである。
(060308)


「どうも」の意味

 老師!「どうも」是什麼意思?
 (先生!「どうも」ってどういう意味ですか?)

そう聞かれたら「ぺこり!」と頭を下げる。下げた頭を指でさして「こういう意味です。」と教えれば良い。
「どうも」は言葉の上でのお辞儀なのである。

「どうも」と言いながら、ぺこりと頭を下げれば、その挨拶はほぼパーフェクトとなる。

 「この木彫りの形、どうもよくわからんなぁ…。」

という場合の「どうも」は、首を傾げる意味である。
「どうも」は、どっちにしてもこうべを垂れる意味になる。

 実るほど頭を垂れる稲穂かな

稲穂は「どうも」と言って微笑んでいるのだ。
(060308)


命令形と敬語、どっちを言われたいか?

「命令形を使って話す男って、偉そうでいやだわ。」
教員をしていた二十代後半の女性の発言であった。

すかさず私は面白い例を紹介してさしあげた。

雨が降っているが傘もない。貴女はひどく傷ついて泣いている。涙も枯れんばかりに泣き通しで食事もしていない。
そこへ心優しい男友達が紙袋を持って現れる。
貴女が濡れないよう傘を差しかけ、見れば湯気と、おいしそうな匂いを発しているその紙袋を差し出して一言。

1.「食べろよ。」
2.「食べて下さいよ。」

さあ、どっちの台詞がじーんと来る?

そう問われて彼女は涙を浮かべ、
「そうねっ!命令形の方が断然いいわ!」
私が「食べろよ」と言った瞬間、じーんと来たらしい。

命令形は、よくそれを避ける言い方や敬語と対比されて丁寧か否かでその価値を判断してしまいがちである。
しかし実は命令形も敬語も、相手との距離を調節する言葉でもあるのだ。

命令形を避けることによって生じた距離が、せっかくの優しさを打ち消してしまうこともある。
こうした当たり前のことを誤解している人もいて、そういう人には言葉のセンスがない、ということになる。

危険が迫ったら、
「逃げろー!!」
と叫ぶのが正しいが、センスの欠けている人は、
「逃げてください!!」
と叫ぶのかもしれない。

「え? なにを下さいだって?」
その一瞬が生死を分けることもある。
(060308)