縄文ネット アーカイブ



戦前の日本映画、戦前の日本女性

戦前の女優さん、堤真佐子さんの主演映画『乙女ごゝろ三人姉妹』というのを最近、日本映画専門チャンネルでやってくれました。
(成瀬巳喜男監督トーキー第一作、昭和10年PCL)

浅草の飲屋街を三味線弾いて歌って酔客から小銭をもらう“流し”、これを“門付け”といったそうですが、その門付けの置屋さんみたいなのがありまして、その女主人の次女で、自らも門付けで毎晩働いているという役どころ、なんとも健気で可愛くてたまりません。
戦前の女性って、なんて魅力的なんだろう!…なんて、つい思ってしまいますが、さてどうでしょう。
人間は、誰しも「健気な姿」ってものに胸を打たれます。
悪い境遇に苦しみながらも、笑顔を忘れず、慎ましくも強く生きてゆく…。
そんな姿を見れば誰だって感動するものですが、感動されてる当人としたら、決してそんな境遇にいたいとは思ってないわけで、例えば戦前なら、男性がやたら偉くて、女性はそれに付き従って召使いのように生きていました。夫唱婦随ってわけですね。
その当時はきっと離婚率も低くて出生率高く、同時に、女性の社会進出には、現実問題としての大きな制限や障害があったことでしょう。
なにか別の映画で主人公の男が、「女とは哀れな生き物だ」みたいなことつぶやく場面がありましたが、実際、一人では到底自立なんてできなかったんですから、戦後の女性解放がやってくるまでは、まったくひどい社会だったと言わざるを得ません。
それを呑気に、戦前は良かったんだなぁ!なんて思わないように、この映画でまたつくづくそう思った次第です。
(050404)

昭和初期ともなりますと、町の様子、人々の様子がまるで、江戸時代か明治時代かってぐらい、古風ですねぇ。
男も女も、年寄りはもちろん、子供も、学生や軍人さんを除いたら、ほとんど着物をきています。
『乙女ごゝろ三人姉妹』では、三女がレビューの踊り子で、いつも洋装なんですが(洋装って言葉も今じゃ死語ですね!)、近所の子供たちに「モガ!モガ!」とはやし立てられてます。「モガ」ってのは「モダンガール」のことで、「モボ」が「モダンボーイ」。まあ知識としてはそういう言葉も昔から聞いてはおりましたが、子供が人を小馬鹿にしようと実際使う場面を見せられますと、70年前のその時代をしみじみと感じることができます。

この世に映画が始まって、すでに百年を超えております。今や大昔の“現代劇”でタイムスリップ!なんてことができるようになっているわけです。
(050405)


堤真佐子

朝から日本映画専門チャンネルで高峰秀子・藤原釜足主演の『そよ風父と共に』をみて、町内の清掃、終わってすぐまた日本映画専門チャンネルで堤真佐子・大川平八郎主演の『サーカス五人組』をみました。
日本映画専門チャンネルでは、「4カ月まるごと成瀬巳喜男劇場」という企画で、戦前からの成瀬の“写真”をかけてくれています。「写真」というのはもちろん「活動写真」のことで、戦前には「写真を見に行く」と言えば「映画に行く」という意味だったんですね。

成瀬という巨匠の作品を、日本映画専門チャンネルさんのおかげでたくさん見せていただいていますが、私が一頃夢中になった小津安二郎よりも、屈託なく楽しませてもらえる作品ばかりです。ユーモアのセンスに余裕があって、遊び心にも溢れています。小津はどっちかというと堅苦しいぐらいの几帳面さが美学になっている面があるのですが、成瀬はもっと開放的、それでいて女性を描くことにかけては、小津よりも上をいっていると言っていいでしょう。

堤真佐子(日本映画データベース)という女優は、昭和8年、『音楽喜劇ほろよひ人生』という映画(P.C.L.)から端役で銀幕に登場し、翌昭和9年に4本、昭和10年にも4本のP.C.L.作品に出演しているようです。一番本数をこなしたのは昭和12年のようで、戦後にはあまり活躍していませんから、ヒロインよりも手堅い脇役といった立場にいた人でしょうか。当時のブロマイドを見せてくれるこんなサイト(銀幕の女神たち)もあって、まことにありがたい時代になったものです。

戦前には戦前の理不尽があって、決して古き良き時代などとは言い切れない面があったとは思いますが、戦渦を挟んでその文化が断裂したようになっているのは確かです。
もっとも、その断裂によってこそ生まれた戦後文化というものを否定するわけにもいきませんから、戦前も戦後も、そして戦争の時代も、しっかりと受け止めて暮らしたいものです。

しかし堤は良いです。
背も低い、顔も「小顔」とかでなくて円いし決して美人ではない、和服の時代の人だからウエストもそんなに細くないし、脚だって今の基準からしたら太い。外見はそんなですが、そこにはすべてを受け止めて生きる理想の女性像、ひいては人間像を見る思いです。男尊女卑の日本社会で男が勝手に作り出した我慢強いばかりの女性像ではなく、もっと普遍的な人間像ですね。
勝った負けたに血道を上げるような低次元の生き方など超越していて、しかもそれこそが、最も普通の人間であるということを教えられる思いです。

このような人物を1930年代から次々に世に問うた成瀬巳喜男監督には、心から感謝しております。
もちろん、日本映画専門チャンネルさん、東宝、その前身のP.C.L.(写真化学研究所)にも感謝、感謝。
(050515)


大女優、入江たか子

今朝早くから眠いのを頑張って見た映画の主演女優、入江たか子のこと。

「おばあさまは西南の役でおじいさまの出征を見送ってからみずから喉を突き切って自害した立派な日本の女だったのですよ。」
というようなことを一人息子に語る母の役。そのあとすぐ胃癌で死んでしまうが、夫に宛てて息子を立派な日本人に育ててくれと書き残す。もちろん毛筆で、額に飾りたいような見事な達筆である。日本が戦争に向けて一致団結を強いられた昭和17年、東宝映画『母は死なず』、監督は成瀬巳喜男。公のために死ぬことが正しく美しいとされた時代の、プロパガンダ色のある作品である。

戦前からの大女優であった入江たか子については、このページに詳しい。

明治44年の生まれである。我が祖母は明治43年だったからわずか一つ違いだが、大阪の映画小僧さんコレクションのブロマイドを拝見するとなんとも大正ロマンかと思うような遠い昔を感じさせるが、大正時代にはまだ子供だったのだから女優としてデビューした16歳より後、つまりすべて昭和の写真である。

もっと古い、大正時代のブロマイドを私も一枚持っていたことがある。アメリカの、若くしてこの世を去ったカリスマ的二枚目俳優、ルドルフ・バレンチノのもので、かなりきれいなものだった。しかし20年ほど前、ほんの数週間付き合ってくれた女性にあげてしまった。正直、後悔している。

ちなみに基本的なことだが、ブロマイドというのは印刷であってはならぬはずだ。バレンチノのブロマイドも印刷物ではなく、印画紙に焼き付けられた写真であった。

入江たか子は戦後も化け猫の役などをやって映画の世界で生きてきたそうだ。さらに大林宣彦の『時を駆ける少女』にも出演していたという。あの可愛らしい原田知世が見たくて封切りを見に行ったにもかかわらず、私にはその入江の記憶がない。

本名を東坊城英子という一華族の生き様に思いを馳せた日曜の朝だった。

大阪の映画小僧さんコレクションのブロマイド集『銀幕の女神たち』を是非ご覧あれ。
(050619)


『まごころ』昭和14年東宝映画

今朝もまた朝の5時半から、日本映画専門チャンネルで成瀬巳喜男の戦前作品を見せてもらった。
成瀬巳喜男監督脚本、石坂洋次郎原作、高田稔、村瀬幸子、悦ちゃん、入江たか子、加藤照子出演、昭和14年の『まごころ』である。

この作品は、これまで成瀬ファンがなかなか観る機会にめぐまれなかったものらしい。とにかく観終わって断言できるのは、間違いなく大変な傑作であるということだ。泣かされ、はらはらと緊張させられ、また安堵し、和み、笑える。

ただラストで出征してゆく主人(高田)を見送る妻(村瀬)と娘(悦ちゃん)、娘の友達(加藤)とその母(入江)の祝福にはあまりに屈託がない。戦争の時代、お国のために命を捧げることが美しく正しかったのだろうが、この映画もまた、戦争を積極的に肯定している。

召集令状が届いた日のシーンでは、さも魚釣りにでも出掛けるかのごとき楽しげな言葉が交わされる。

「お父さん、戦争に行くの?」
「ああ」
「勝ってね!」
「ああ、敵をいっぱいやっつけて来るぞ」

「悦ちゃん」というのはこの子役の芸名なのだが、芸名に「ちゃん」までついているのはちょっと珍しい。
昭和40年代のテレビドラマに「チャコちゃん」「ケンちゃん」というのがあったが、いずれも役名だった。
この悦ちゃんは、戦前日本映画では大人気の子役だったらしい。やっときょう『まごころ』1本を観ただけだが、確かに才能豊かで魅力溢れる子役であった。

ジャッキー・クーガンやシャーリー・テンプルを知っていながら、悦ちゃんを知らなかった自分を恥じねばなるまい。
(050620)