縄文ネット アーカイブ



嘘がばれない社会

個人情報保護法というのが始まったんだそうで、大変なことですねぇ…。
今まで性善説でやってきたのを性悪説に方向転換しようというような話だと思います。

これも悪いやつが出てくるためであって、防衛手段として仕方ないといえばそうなんでしょうけど、メリットを生むにはデメリットも背負わないといけません。
この法律の場合、私が懸念したくなるのは、社会の性質をさらに悪い方向に助長してしまう危険性があるんじゃないかということです。

特に日常の人間関係においてなんですが、ネットが普及し、携帯電話が普及し、携帯電話メールが普及して、ひとつ家庭の中、誰が誰と付き合ってるのかもわからなくなっております。
そうなると、近しい関係でも嘘がばれなくなるんですね。
コアとすべき人間関係に偽りの部分が増えてくるということは、ちょっと考えただけでも恐ろしいことだと思いませんか。すでに思い当たるところをご経験済みの方も多いことでしょう。

ご案内の通り、すでにネット上では、個人が集団に入っていく際にも、匿名で入っていくのが当たり前になってきております。
入ろうとする集団自体も、ほとんど皆が匿名で人間関係を作っておりますから、次から次へと匿名の、名無しの権兵衛さんが増殖してきます。

そんな中で、私のように実名をさらし、住所をさらして来るやつなんてのは、きわめて奇異にうつるんでしょう。
異分子は排除するという反射が、動物としての人間にも備わった本能としてありますから、真っ先に攻撃対象になりやすい。つまり、実名を名乗るという正常な行為が、逆転して例外的なもの、つまり異常なものとなってきているわけです。

そんな中、匿名が当たり前になりつつあるこの異常な社会での、個人情報保護法なんですね。

これでますます匿名が当たり前=正常ということになります。この法律で法的根拠すら得てしまったわけですから、そもそも正常であった「実名」の方が異常、さらには精神異常かという立場に立たされることになったわけです。

戦前の映画などに描かれる下町社会や村社会など見ておりますと、どこの誰がだれそれとどうしたのこうしたの、下世話なことをみんなが知っていて、みんなで見守り合うというような、日本人が本来おこなってきた人間関係の構図をおだやかに思い出すことができますが、平成の現代、匿名なるものがここまで当たり前になってきますと、嘘で塗り固めた仮面と仮面の付き合いが増殖し、大事にすべき人間関係など、これから次第になくなっていくのではないかと、背筋の寒い思いがしてまいります。

仮面や偽名は、いくらでも取り替えることができます。
しかし自分の顔や実名は、自分そのものですから、簡単には交換できません。

自分の顔で、名前で発言してこそ、発言への責任も生じてきますが、仮面・偽名では、無責任な言動ばかりが増えてしまいます。
そんな社会、嘘がばれない社会になど、普通は誰でも住みたいとは思わないはずです。
(050408)